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はつなつ

 目が覚めた瞬間から、なんだか少し空気が冷たくて、軽度の倒錯を覚えてしまいそうだった。
 ここのところずっと体調が悪く、全てのお仕事・作業を一旦お待ちいただいているような状態だ。原因は明白で、季節のせい。初夏のせい。初夏の、記憶のせい。

 Twitterでも何度もお伝えしたことがあるのでご存知の方も多いだろうと思うけれど、わたしは学生の頃、首絞め通り魔に遭い殺害されかけた。詳細は省くが、それ以来極度の睡眠障害を患っている。また、この季節、初夏という緩やかに気温が上がりゆく時期になると、フラッシュバックが起こる頻度が増える。所謂PTSD症状である。
 首に手をかけられたときの、気持ち悪さ。恐怖。

「あっ、わたしここで死ぬんや」

 そんな思考が一瞬にして脳裏を駆けた。
 大好きな研究室の教授ではなく、実家の母の姿がぼんやりと薄れゆく意識の中で浮かび上がった。
 死の間際の走馬灯というものは本当に起こり得るのだと知った。

 結果的にはなんとか生き延びることが出来たので今もこうしてつらつらと駄文をしたためたり、あのとき結局「幸いにも」が重なって死なずに済んだんやよなぁ、などと他人事のようにぼんやり思い浮かべたり、苦しくても創作活動はやめられないしやめる気もあらへんで!と意気込んでみたり出来ている。だが、それだけだ。「結果的に助かった」だけなのだ。
 人は誰だって、生きている限り「次の瞬間に死ぬかもしれない」という残酷な可能性を背負っている。

 わたしに出来ることは、その可能性に対峙して「今」を生きることだけ。

 その「今」に大好きな人がいて、大切な友人たちがいる。現在は休会中だとは言え、句会を開けば俳友が集まってくれる。句会では、真剣に議論しながらも決して他者の俳句を頭ごなしに否定するようなことはせず、最後は「勉強になったなぁ~」などと楽しく穏やかに笑い合いながら別れてゆく。あるいは少しだけお酒引っかけにいくか!なんてその場のノリで大衆居酒屋に入って、議論の続きをしたり。
 それらの全てが幸せな景で、愛おしくて、わたしにとってひととのご縁こそが宝物なのだと実感する。

 初夏は嫌いだ。少しずつ気温が上がり、暑さを感じ始める頃、あの夏のあの夜に暗闇の中で起こった一連の記憶と死の恐怖が蘇る。
 初夏は、嫌いだ。
 それでも今日、今現在のこのときに、生きることの幸せや喜びを手放さずに居られるのは。季節は巡り、しかし日々新たな時間が生まれ、いのちは紡がれるのだと知っているからだろう。

 わたしはもう、それを知っている。

 なんだか空気が冷たくて、まるで浅い春に戻ってしまったかのような、そんな寒さすら覚えて。
 上着を一枚、多く羽織って。
 昨日とは異なる太陽が昇った今日に、わたしは、あなたは、生きている。


yakka.


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