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寝息

 句を作って、調べ物をして、執筆作業をして。その間にもCの寝息が聴こえる。途中、突然不可思議な音が混ざったりする彼女の寝息はなんだか面白い。そして、優しい。
 作業BGMというものが世の中には存在するけれど、私にとってCの寝息はそういった類のものでもあるのかもしれない。寝息が、響く命の音が、安寧をもたらすのだ。穏やかな心地を抱き、のんびりと自分のペースで作業に取り組むことが出来る。

 人の気配を多少感じられる方が作業に集中しやすい、という方は多い。小さな喫茶店や大学の研究室、ゼミ室、図書館。静かではあるけれども、無音ではない場所。自分以外の誰かの存在を感じられる場所。普段は自宅で集中して執筆や創作活動に取り組んでいる方であっても、偶にはあえて外出して作業をするようにしているという話も頻繁に聞く。
 専門的に研究を重ねたわけではないので単なる個人的な感想、あるいは感覚的な認識になってしまうが、「人の気配」という現象は適度な距離感の上で自身を見守ってくれているのではないかと思う。
 実際に<他者>が<私>を認識している、ということではない。ある存在が、別の誰かの存在そのものを見守っている。意図せずとも。生命が響き合って、無意識の間に相互補遺がなされている。
 そんなふうに考えるのは、あまりにも光に縋りすぎているだろうか。

 この日記をしたためている今も聴こえる柔らかな寝息は、光である。

yakka.

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