衛宮士郎はイキっているのか?

※staynight全ルートクリア前提で話を進めます。ネタバレに配慮しません。
※個人の解釈です。人それぞれ解釈は違うと思っていますし、物語・キャラクターの解釈に絶対的唯一の正解はないとの考えの下での意見です。ご理解ください。

先日、ツイッターで「衛宮士郎がイキっている」というツイートが流れてきた。
どうやらstaynightのFateルート三日目の、バーサーカーからセイバーを庇って身を投げだした一幕について言っているらしい。
「イキる」とは「虚勢を張って調子に乗ること」だと理解している。
衛宮士郎は本当にイキっているのか、なぜそう見えるのか、考察してみた。


イキっていると見られる理由の一つに、自分より強いセイバーを庇おうとする/戦いから遠ざけようとしている、という意見が見られた。
まず、衛宮士郎がセイバーと己の力量の差を正しく理解しているかについて。
これについてはまず間違いなく、衛宮士郎はセイバー>自分だと理解している。
それは、セイバー召喚直後、セイバーと共に凛から聖杯戦争の説明を受ける際、屋敷に戻る途中での彼の述懐の「……セイバーはどう見ても人間だ。しかも明らかに主である俺より優れている。」[Fate 三日目・マスター講座 遠坂凛(Ⅱ)][UBW 三日目・夜 令呪、一回目]や、セイバー召喚後教会に向かうシーンの「通り魔だろうがなんだろうが、セイバーに手を出したらそれこそ返り討ちだろう。」[Fate 三日目・言峰教会 オルター・エゴ]から窺える。
ちなみに、上記二場面は士郎がバーサーカーの前に飛び出す直前である。
わたしには、衛宮士郎はむしろ無力感に苛まれているように見える。
たとえば、強盗被害に遭った家を見て「無力さに唇を噛んだ。切嗣のようになるのだと誓いながら、こんな身近で起きた出来事にさえ何もできない。」[二日目・夕食 恋のマジカルレンジャーフォース]
バーサーカーと邂逅し、凛から逃げなさいと言われての「何より――俺が駆けつけたところで、一体何ができるというのか。」「夜の中、一人立ち尽くす。……悔しいが、俺には戦う力が欠けている。俺ではセイバーを助ける事も、バーサーカーと戦う事も出来ない。出来る事といったら、今のうちに安全な場所に逃げ出す事だけだ。」[UBW VSバーサーカー 何処に向かう]

ではなぜ、士郎はセイバーが自分より強いとわかっていて、セイバーを庇ったのだろうか。
これはもうその後の彼本人のセリフそのままだろう。
「庇った訳じゃない。助けようとしたらああなっちまっただけだ。俺だってあんな目にあうなんて思わなかった」[四日目・目覚め 行動原理〜遠坂凛(Ⅲ)]
だが、だからといって自分を危険に晒すような真似を衝動的にできるものか?
衛宮士郎の誰かを助けようとする行動は不随意な反射的行動に近い。
士郎は十年前の大火災で全てを失った。
幼心に周囲で焼け死んでいく誰もがもう助からないとわかって、自分一人だけで逃げ続けた。
[一日目・十年前の回想〜朝 Rebirth][Fate 十五日目・地下教会 ほほをつたう]
だが、逃げ続けることはできず倒れ、衛宮切嗣に聖剣の鞘(遥か遠き理想郷/アヴァロン)を埋め込まれることで救われた。
[三日目・目覚め 焼きついたもの][Fate 四日目・目覚め 行動原理〜遠坂凛(Ⅲ)][Fate 十五日目・脱出〜外人墓地 輝ける星]
どうあっても誰も助からない地獄で、衛宮切嗣は■■士郎を救ってしまった。救えて、しまった。
助けてくれた衛宮切嗣を、士郎は「何でもできる魔法使い」だと慕う。
[二日目・放課後〜アルバイト 遠坂凛(Ⅰ)]
そして、切嗣のような『正義の味方』になりたいと願うのだ。
[一日目・就寝 鍛錬(魔術回路)][一日目・夜の帰宅 白い少女]
この時から、士郎は『できないのだから仕方がない』という言い訳が使えなくなってしまったのではないかと考えている。
だって絶対助からなかったはずの自分を、衛宮切嗣は助けてみせたのだ。
だから、何もできないはずはない。何かができるはずで、何かをしなくてはならない。
もう何もできないからと助けを求める声を無視して一人だけ逃げることは許されない。
そして、もし、誰かを助けて、自分を助けた切嗣が浮かべたように笑えたなら、きっとその時にこそ皆を置いて逃げた自分は救われるはずだと信じている。
[Fate 九日目・夜 ボーイ・ミーツ・ガール]
その強迫観念を更に強固にしたのが、切嗣との最期のやり取り、『月下の誓い』である。
月見をしながら、切嗣がふと「子供の頃、僕は正義の味方に憧れてた」と零す。
夢は諦めたのだと言う父に、士郎は「爺さんの夢は――――俺が、ちゃんと形にしてやるから」と返す。
切嗣は「ああ――安心した」と微笑い、息を引き取る。
[Fate 四日目・目覚め 行動原理〜遠坂凛(Ⅲ)][UBW 五日目・朝 選択肢]
士郎の言う『正義の味方』は「誰かを助けて、誰も死なせないようにする」存在だ。[Fate 四日目・目覚め〜行動原理 遠坂凛(Ⅲ)]
作中綺礼やキャスター、凛から疑問を呈されるものの[Fate 十五日目・地下教会 ほほをつたう][UBW 十一日目・午後・帰宅 キャスター襲来][UBW アインツベルン城 君の歪み]、衛宮士郎は養父である衛宮切嗣を敬愛している。
士郎視点に切り替わる[一日目・十年前の回想〜朝 Rebirth]の1シーンだけでも「白い陽射しに溶け込むような笑顔」「とんでもなく優しい声」「切嗣と同じ名字だという事が、たまらなく誇らしかった」「その姿はずっと眩しかった」等、士郎から切嗣への敬慕は枚挙に暇が無い。
本当に「衛宮切嗣に引き取られて、衛宮士郎は幸福だった」のだろう。[Fate 十五日目・地下教会 ほほをつたう]
全てを失った子供が、自分を救ってくれた存在に痛烈に憧れる。[UBW アインツベルン城 君の歪み]
彼のようになるのだと決め、彼の後を追うことを決意する。
切嗣は士郎に正義の味方を継いでくれと望んだわけではない。
だが、士郎が自分から父の夢を継ぐと誓い、切嗣はそれに安心したと答えた時点で、憧憬は絶対に何が何でも成し得なくてはならない目標に変わった。
「衛宮士郎が、本当に衛宮切嗣の息子なら、なにがあっても、悪いやつには負けられない」[Fate フェイト/ステイナイト(Ⅱ)]などのセリフからその気負いが読み取れる。
こうして、衛宮士郎は二重の戒めを受けてしまった。
たとえ衛宮士郎の意思が自分では役に立たない/恐ろしいからと救いを求める者に何もしない選択をしても、衛宮士郎という存在は"何もしない"ということに耐えられない。
それがよく表れているのはUBW十二日目の選択肢だ。
絶体絶命の凛を前に、物陰に隠れたプレイヤー(=士郎)は出ていけば死ぬが助けるか助けないかという選択を迫られる。
この選択肢で「助けない」を選んでも士郎は物陰から飛び出すのだ。[UBW 十二日目・対峙 肉体反抗]
死ぬのは怖いと言いながら、彼は雄叫びを上げながら凛の前に飛び出す。
思えば、セイバーに会う前、既に士郎はランサーとアーチャーの戦いを見て、二人を"人間ではない"と理解しながら、ただ通りがかっただけの観察者の身で、ランサーの宝具を受けそうになったアーチャーを「見過ごして、いいものなのか」と逡巡していた。[三日目・放課後〜夜 運命の夜]
衛宮士郎は自分の力量に自信があるから/セイバーを侮ったから、調子に乗ってバーサーカーとセイバーの間に割り込んだのではない。
"敵"ならば、まだ耐えられる。[UBW 決断 イリヤの死][UBW 選択 理念。]
だが、彼は、たとえ何もできなくても、傷ついている/正義の味方が守るべき誰かを前に何もしないということに耐えられない。
そこに、士郎自身の恐怖や無力は考慮されない。
傷つくものを前に何もしないでいることは、彼にとって死よりもつらいことなのだ。

さて、ここで一つの疑問が残る。
士郎はセイバーのマスターだ。
サーヴァントであるセイバーは、士郎が死んでしまっては存在できない。
セイバーを助けると言いながら、自分を蔑ろにすることでセイバーをも危険に晒しているのではないか?
その答えは、ちょうどバーサーカーと遭遇するすぐ前、教会での令呪を破棄する選択肢にある。
聖杯戦争から降りることを宣言した士郎は、セイバーに向かって「……それにセイバーだって、俺みたいな半人前より、まっとうなマスターと契約した方がいいだろう」と投げかける。[Fate 三日目・夜 帰らずの森]
士郎は、セイバーはマスター(=自分)を失っても他のマスターを探す猶予はあると認識している。
だから、歯に衣着せずに言ってしまうならば、セイバーは士郎を失ってもいい。問題ないと、士郎は思っているのだ。

最後に、士郎のセイバーへの"女の子"扱いについて。
これは士郎が最も反感を買っている部分ではないかと私は考えている。
一回目のランサー戦後、凛を襲うセイバーを士郎は止める。
敵であっても無闇に人を傷つけるなという理想論を掲げるつもりかと問い質すセイバーに士郎はそうではなく「女の子が剣なんて振り回すもんじゃない。怪我をしてるなら尚更だろ」[Fate 三日目・マスター講座 遠坂凛(Ⅱ)]と言う。
実は、士郎が最初から露骨に"女の子"扱いするのはセイバーだけだ。
藤ねえに対しては保護者や姉貴分[三日目・目覚め 焼きついたもの][UBW 拒否 ディストレーション(Ⅲ)〜ルールブレイカー]、桜は「後輩」「面倒を見なくちゃいけない年下」[一日目・朝の支度 間桐桜(Ⅰ)]。
凛に関しても、ところどころ"女の子"として改めて意識する場面はあるものの[Fate 四日目・朝 契約成立][UBW 十一日目・凛の客間 グッドモーニング?]、基本的にはより気安い、"戦友"のような信頼を置いている節がある。
セイバーは特別、士郎から"女の子"扱いをされているのだ。
思い返してみれば、[セイバー召喚。VSランサー プロミスト・サイン]での士郎の浮かれっぷり、混乱っぷりは異常だった。
いくらセイバーが綺麗だとは言え、学校のアイドルである凛を前にした時の反応[Fate 三日目・マスター講座 遠坂凛(Ⅱ)][UBW 三日目・夜 令呪、一回目]と比べるとそれ以上の要因があるように思える。
ところで、ここで、士郎の言う"女の子"とは何だろう。
思い出すのは切嗣の信念「女の子は守ってあげなくちゃいけないよ」である。[Fate 五日目・朝食〜登校 わくわく藤ねえランド〜間桐の兄妹]
士郎にとって、"女の子"とは守るべきものだ。
そして、なぜかサーヴァントであり、自分とは比べ物にならないぐらい強いセイバーを"女の子"として認識して、守ろうと、守れないのならせめて共に戦おうとしている。
その理由は、十四日目、セイバーとのデートの最後に、士郎の口から明かされる。
「それでもおまえは戦いを嫌ってる。おまえは、単に強くて、戦いが巧かっただけだ。けど、それはおまえが望んだ才能じゃないだろう」[十四日目・帰宅 橋上の別れ]
士郎は、凛に対してはセイバーほど戦闘から遠ざけようとしない。
彼女は自分の魔術師としての在り方に納得し、楽しんでいる。[UBW 十日目・夜・縁側 遠坂凛(Ⅴ)〜士郎の瑕]
だが、セイバーは違う。
誰よりも王に相応しかったから、滅びに向かう祖国を救うために、王が必要だったから。国を救いたかったから。王であることを、楽しんでなどいない。
[Fate 十一日目・起床〜外へ 王の記憶〜残心][Fate 十二日目・起床〜朝 王の記憶〜おかしなセイバー][Fate 十三日目・起床 王の記憶][Fate 十五日目・教会 ゆずれぬとが]
セイバーの戦う姿を見て、士郎がまず抱いたのは「美人だ」という外見の感想と「この少女が戦って傷を負っているのかが、ひどく癇に障った」[Fate セイバー召喚。VSランサー プロミスト・サイン]という憤り。
繰り返すが、士郎は最初から、セイバーを"女の子"扱いしていた。
何故か、士郎はセイバーを一目見たときから彼女が彼の守るべき"女の子"であることを看破していたのだ。
セイバーと士郎の性格上の何かが共鳴したのか、それとも、セイバー召喚前から剣の夢を見ていた[二日目・目覚め 衛宮邸の朝]ように、無意識にでも、士郎はセイバーのことを"知っていた"のか。身の内にある鞘の影響か。
ここではあえて、何故かは論じない。
ただ、セイバー=アルトリアという少女を戦場に置き、あまつさえ傷つけることを士郎は良しとしなかった。
たとえ戦いが巧くても、強くても、戦いを嫌がる少女に戦わせたくなかったのだと、私は考えている。

衛宮士郎はイキっているわけではない。
不器用に、愚かに、必死に、憧れた理想の後を追って生きている。

注1 引用は全てスマホアプリ版Fate/staynight[Realta Nua]より。
注2 衛宮切嗣と衛宮士郎に関しては正直全然話足りていないので不充分な点については目を瞑ってくれると嬉しい。というかこれだと切嗣が悪いみたいでは。後日別に考察を上げたい。