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『群青』色の空は繋がっている|震災から生まれた希望の歌

こんにちわ。ザッキ―です。
ついつい、口ずさんでしまうメロディーってありませんか?

最近では、ヨアソビの「夜に駆ける」や瑛人の「香水」はブームを起こしていますよね。
色んな人が鼻歌を歌っているのをよく耳にします。

音楽には曲調によって与える影響が異なり、穏やかな曲はストレス軽減に、リズミカルな曲は意欲を高めるなどの効果が期待できると言われていて、人間に劇的な力を与えてくれます。

応援歌、結婚式、卒業、失恋、、、背景はそれぞれ違うのに
歌詞や曲調によって心にグッとくるものがあります。

その中でも、私が今おすすめしたい音楽は合唱曲の「群青」という曲です。


明日も会えるのかな?「群青」に誓う希望の歌

東日本大震災以降、いわゆる「復興支援ソング」が数々誕生する中、被災者側からの「メッセージソング」として生まれ、福島県南相馬市立小高中学校平成24年度卒業生と、音楽教諭の小田美樹先生によって作られました。

経緯

東日本大震災による原発事故のため全住民が今なお、避難生活を余儀なくされ、津波によって小高の街は甚大な被害を受けています。
各学校の生徒たちは全国に散り散りとなり、原発事故で小高に戻れないことなど、様々な不安が生徒たちにのしかかり、わずかに残った生徒も、心を痛め、音楽の授業では歌が歌えなくなっていたそうです。
音楽の授業を受け持っていた音楽教諭の小田先生も歌うことができませんでした。
皆が歌うことの難しさを小田先生も感じていました。

ある時、歌が歌えなくなった生徒たちの授業を受け持っていた小田先生が、小高中を離れた生徒がどこにいるのか把握するため、大きな日本地図に生徒の顔写真を貼り付けていました。
すると、生徒たちが口々に・・・

「遠いね」
「どうやったら行けるの」
「〇〇さんはどうしているだろう」
「〇〇市はどんなところなんだろう」
「でも、この地図の上の空はつながってるね」

と気持ちを露わにしました。
そこから、歌うことができなくなった当時2年生の生徒たちと小田先生による詩づくりが始まり、時間が経ち、2年生の生徒たちが3年生に進級。
小高中学校では毎年、卒業式の時に卒業生が希望や未来を語った歌を合唱することが、毎年の慣例となっています。
津波で2人の同級生を亡くしたり、遠い疎開先から今もなお戻ってこない同級生などを思ったりする3年生が、思いを綴った日記や作文、他愛もないおしゃべりから、3年生の思いを地道に小田先生は書き留めていき、それをつなぎあわせて、「群青」の大筋の歌詞が出来上がりました。
生徒たち自ら作詞したこの曲を練習するにつれて、長い間歌が歌えなくなっていた3年生の生徒たちも、徐々に歌声を取り戻し、卒業式ではできるかどうか危惧されていた学年合唱で、「群青」を合唱することに成功しました。
ウィキペディア引用

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ある日、教員の友達が、興奮した様子で私に電話をしてきました。
それが卒業式で生徒が歌っているのを聞いて号泣したいう「群青」という曲。

あまりにも興奮した状況で勧められたので、私も夜布団の中でこの曲を聞きました。
聞くと、自然と涙がこみ上げてきて、枕はびっしょり濡れ、友達が興奮した意味がわかりました。
歌詞の中に『また会えるのかな』というメッセージがあり、友達や家族、沢山の人に向けたこの曲の想いに胸を打たれたのです。

J-POP、洋楽など色んな曲がある中で、合唱曲はピアノと人の声しかありません。シンプルでありながら、歌っている人の想いがダイレクトに届くので素直に心に響いてくるのだと思います。

「群青」

ああ あの街で生まれて君と出会い
たくさんの想い抱いて 一緒に時を過ごしたね

今旅立つ日 見える景色は違っても
遠い場所で 君も同じ空
きっと見上げてるはず

「またね」と手を振るけど
明日も会えるのかな
遠ざかる 君の笑顔今でも忘れない

あの日見た夕日 あの日見た花火
いつでも君がいたね
当たり前が幸せと知った

自転車をこいで 君と行った海
鮮やかな記憶が
目を閉じれば 群青に染まる

あれから二年の日が 僕らの中を過ぎて
三月の風に吹かれ 君を今でも想う

響けこの歌声
響け遠くまでも あの空の彼方へも
大切な全てに届け

涙のあとにも 見上げた夜空に
希望が光ってるよ

僕らを待つ群青の街で
ああー

きっとまた会おう
あの街で会おう 僕らの約束は
消えはしない 群青の絆

また 会おう
群青の街で

作詞 福島県南相馬市立小高中学校 平成24年度卒業生
作曲 小田美樹(福島県南相馬市立小高中学校 教諭)


群青に生きる人々

なぜ、群青という名前なのかを調べてみたら
作曲した小田先生のメッセージにこう書かれていました。

小高区は「紅梅の里」と呼ばれており、小高中学校はその紅梅の色をイメージした「エンジ色」がスクールカラーとなっています。
しかし校歌に「浪群青に躍るとき」という一節があることから、文化祭は「群青祭」という名称であり、野球チームも「小高群青クラブ」と名付けられています。
「群青」とは本校に関わる誰もが自分たちの色と感じている色の名前であり、私たちの絆そのものです。
「群青の子ら」は「群青の町」で再び集う日を思い描き今日もどこかで同じ空を見上げて頑張っているはずです。
そして、そう思い続けることが私がここで今日を生きる力ともなっています。
いつかあの美しい小高で「群青の子ら」と再会できる日を信じています。

PANAMUSICA抜粋)


震災に対する思い

私は生まれてから、何度か死にかけたことはありますが、日本を痛感させる震災にあったことはありません。
学生のころに熊本にボランティアで足を運んだ時には、本当に日本なのかと目を疑いました。
街並み揃っていた建物は総崩れし、人々の顔は疲れ切っていました。

たまに、震災や戦争のドラマを見ますが、リアルとはかけ離れていると思ったのを覚えています。
写真をとってSNSでボランティア活動を促そうと思っていましたが、震災にあった方を見たら写真を撮る余裕や気持ちはありませんでした。

もし、自分だったら・・・?
家族が同じ目にあったなら・・・?

正直、私なら家族を失った悲しみに立ち直れる気がしません。

この音楽を聞いたときに、暗い底にいる中学生たちが、友達を思いながら、困難を乗り越えていく活力が、いっそう貴く光輝いて見え、これが本当の「希望の歌」なんだなと思いました。

歌詞にもあるように、日常が当たり前ではありません。
いつなくなるかなんて誰にもわからないこそ
家族に感謝の気持ちを伝えることが日頃から大切なのだと思います。


ザッキ―

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