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蒼の彼方のフォーリズム - Fly me to your sky - #17

 あたしはいつの間にか、しゃがみ込むような姿勢になっていた。手にしているシトーくんが床すれすれまで押し込まれている。
「スペースが狭くなってる。立場は逆だけど、あたしと市ノ瀬ちゃんの試合と一緒だ」
「あの時の市ノ瀬と一緒でもう横にしか移動できないな。あの時、みさきは結果としてこれをしたけど乾は計算してするんだよ。……で、これからどうする?」
「1点とられてるからショートカットはしたくない」
 ショートカットした時点で、次のブイにタッチする権利を放棄するので、2対0だ。
「とりあえずセカンドブイ側に移動してスペースの確保する」
「みさきがそっちに移動するなら、乾はサードブイをめがけてスタート」
「ええ? ちょ、ちょっと! そんな! 追いかける!」
「ファイターとスピーダーのスピード勝負で追いつけるわけないだろ。乾はブイにタッチして2対0。ブイの反発を利用して急上昇」
「……っ。そのポジションということは、今のを最初からやり直しってこと?」
「そういうことだ」
「2点差で、あんなのをもう一度されたら……。あ。そういうことか……。真藤さんが負けたのってこういうことなんだ」
「そういうこと」
「こんなの勝てるわけない!」
「そうだ。勝てるわけがないんだ」
 感情的になって言ったあたしに向かって、晶也は冷静に言った。あたしが言うのと晶也が言うのとでは言葉の重みが全然、違う。
「身体能力とか、ドッグファイトの技術は関係ないんだ。この作戦を知ってるか知ってないかが重要なんだ」
「……明日香はこれが面白いんだ」
「そうらしいな」
「晶也はどう思うの? ……面白い?」
「……自分たちがやってきたことを否定されたような気がして面白くはないよ。だけど……今はみさきがいるからな」
「あたしが? どういう意味?」
「面白いとか面白くないとか、そういうこと言ってる場合じゃないんだ。そういう現実があるんだ。みさきを届けるって約束したからな。そのためには現実から逃げない」
「……うん」
 晶也の言う通りだ。こんな所で立ち止まってるわけにはいかない。あたしだって現実から逃げない。
「それに新しい作戦を否定したら前に進めないからな。俺は前に進みたいんだ。ずっと同じ場所に立っていたくない。だから、面白くないって思う自分の気持ちを殺したい」
「あははは……。殺したいだなんて、過激な表現だね」
 ……そっか。そうだよね。新しい考えを否定したら前に進めないんだ。あたしがどんな感情を持っていたって、乾さんの作戦が変化するわけじゃない。
 ずきん、ずきん、と痛みに似た何かが体を走り抜ける。心の中にある歯を食いしばる。
「で、この状況をどう打破するの? 晶也には考えがあるんでしょ?」
「俺もどうしたらいいのかわからん」
「え? ……マジで?」
「マジだ。乾が何をしようとしているのかわかったばかりなんだ。対抗策をすぐに思いつくわけないだろ。だから一緒に考えよう」
 あはははは……。そっか。まだ始まったばかりなんだ。それって不安だけど、嬉しさの方が上かもしれない。だって一緒に考えるのってドキドキするもん。
 あたしはシトーくんを左右に振る。
「よし! やろう! こう飛んだら、こうだから……」
 常に乾さんは上から抑え込んでくるわけで……。しかも、逆に上を取るのは難しい。つまり、こちらは下のポジションを強制されるわけだ。ということは、乾さんを振り切るような凄いスピードをどこかで出せればいいんじゃないかな?
 唐突なひらめきとか発生しないかな? 高速になる方法……。
 真剣に考えているとじっとしていられない何かが込み上げてきて、あたしは発作的にシトーくんを振りかぶる。
「そこでシトーくんがドーンッ!」
 壁に投げた。
「おい!」
「シトーくんが光速を超えた! マッハです! どんな小細工も光速マッハの前ではゴミです!」
「真面目にやれ! っていうか光速マッハってなんだよ! 新しい単位を作るな!」
「真面目にやってるんだけど、考えてたら煮つまってきて、衝動的にシトーくんに光速の壁を超えさせてしまったの。で、今のはどうなの? スピードで一気に抜き去る」
「それは俺も考えたんだけど……」
 言外に、残念ながら、という言葉がにじんで見える。
「その言い方はダメだったわけ?」
「乾はスピード対決で部長に勝ってるんだ」
「あ……。そっか〜。スピード対決じゃ勝ち目はないってことか……」
「続きをしようぜ。シトーくんを動かしていた方がわかりやすいし、考えやすいだろう」
 あたしは深く頷く。
 昨日までと比べたら心が軽くなった……というのは違うか。心は重いまま。でも滅茶苦茶な気持ちではなくなってる。心のどこに自分の気持ちを置けばいいのかわかる。
 かき乱されるような気持ちだけど……どうすればいいのかわかる。
 せっかくそういうあたしになれたんだから、絶対に手放したくない!
 あたしはギュッとシトーくんを握り締めた。