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蒼の彼方のフォーリズム - Fly me to your sky - #18

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 帰宅する晶也を送るために外に出る。夕焼けが消えそうになっていた。
 二人でFCのこと考えていたらこんな時間になっちゃったのだ。頭は疲れてるけど、今までに感じたことのない爽やかな疲労。
 あたしの家系は先祖代々、四島。だから、家は古くて立派な門と塀まである。
 門を出たとこで立ち止まった時、母屋から醤油の甘い香りが漂ってきた。おばあちゃんが煮物を作ってるんだと思う。年頃の乙女的には、ちょっともじもじしちゃうかな。
「あははは。この匂い恥ずかしいな。あたしは好きだけど」
「おいしそうでいい匂いだと思うよ」
「そう。ならいいんだけど……。今度、食べていく?」
「機会があればな」
「まあ、おばあちゃんにいろいろ説明するの面倒だしね」
 絶対に、彼氏? みたいな話になるだろうし。
「そこまで送っていこうか?」
「女の夜歩きは危険だから男が送るんだろ。こんな時間に女が男を送るって変だぞ」
「でもここで変質者とか出るなんて話は聞いたことないし」
「無理して送ってくれなくていいって。んじゃ、行くぞ」
 晶也がそっけなく行こうとするから、あたしは慌てて袖を引っ張った。
「どうした?」
 ふ、不思議そうな顔であたしを見るな! どうしたいかなんて、あたしが知りたい! ……あれ? っていうか本当にどうしてあたしは、晶也を引き留めちゃったんだろう?
 晶也はあたしが何か言うのを待っている。な、何か言わないと……。
「えっと……。明日も今日と同じ時間に海岸だよね?」
「そうだよ」
「それから、その……。あ、明日もあたし、がんばるから!」
「おう。わかってる。がんばろうな」
 晶也の袖から手を離す。本当に言いたいのは、そんなことじゃない。でも、本当に言いたいことが何なのか自分でもわかんない。変な緊張が胸の中に溜まってくる。
「あたし、やる気ないみたいなこと言うけど……本当はあるから」
「わかってる」
 晶也はあたしを安心させるように言ってくれたけど、欲しいのはそういう言葉じゃないんだってば! ……やっぱり何を言ったらいいのかわかんなくて、自分でなんでそんなことするのかわかんないまま自信ありげに胸を張る。何やってんだ、あたしは! バカか!
「だったらいいの。それじゃ、また明日ね」
 しかも、自分から別れの挨拶をしてしまう。だから、何やってんだ!
「また明日な」
 晶也がぴらぴらと手を振ったのに合わせて同じことをする。
 あたしは遠ざかっていく晶也の背中を追っかけたいのを必死に我慢していた。
 ──あたしを落としたんだからさ。落としたなりの行為があるんじゃないの?
 半分の不満と半分の自嘲。もう……今はFCを真剣にやる時間なんだってば。
 がんばろう、って自分に言い聞かせる。明日も走ろう。

 ざっ、と砂を蹴り上げて前に進むあたしに向かって、晶也が叫ぶ。
「ほら、ラストだ! モモを上げろ。手を抜くな、もっと強く砂を蹴るんだ!」
 あたしはつま先に力を入れて、砂をえぐるようにして走る。
「ラストだぞ! 残ってる力、全部を出せ! 搾り出せ! まだ出せる! 行け!」
「んにゃぁああぁああぁぁぁあぁあぁぁぁぁぁっ!」
 だっ、と砂浜に引いたゴールラインを踏んでからスピードを落とし、少し進んでから立ち止まる。激しく息をしながら、晶也に向かって手首を出した。
 晶也はあたしの手首を掴んで脈を測る。
「……よし」
 30秒くらいしてから、晶也は手を放す。
「んっ、はあっ、はあっ、はあっ、はあっ……んん。よし、とは?」
「もう飛んでもいいってことだよ」
 砂に突き刺していたドリンクホルダーを引き抜いて喉を鳴らして飲む。
「んくっ、んくんくん、んっ、はーっ! 本当に飛んでいいの!?」
「こんなことで、嘘を言ってどうすんだ」
 この5日間、走る以外のトレーニングをしてこなかったのだ。
 くぅぅぅ! 嬉しさが全身に行き渡るのを待ってから、あたしは大きくジャンプした。
「やーーー!! うきゃー! 飛ぶぞ〜! ようやく飛べる!」
「そんなに嬉しいか?」
 あたしは手のひらで晶也の胸をバシバシ叩いて、
「当然! 嬉しいに決まってる! おあずけを命令された犬の気分がわかっちゃったよ。こういうプレイを強制されてるのかと勘違いしそうだった」
「プレイ言うな」
 意味のあるトレーニングだとわかっていたけど……。明日香や乾さんが間違いなく空を飛んで練習している時に、自分だけ地面を走っているのだからやっぱり焦る。
 晶也は携帯を取り出した。
「ん? どうしたの? あたしが飛べる喜びを誰かに伝えるつもり?」
「練習相手がいないと基礎の練習しかできないからな。助っ人を呼ぶ」
「助っ人? 誰? ……真白じゃないよね?」
「真白は明日香と一緒に練習中だ。久奈浜FC部部員をこっちに引き抜くわけにはいかないだろう。誰かは来てのお楽しみだ」
 そう言って晶也は意味ありげに微笑んだ。