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蒼の彼方のフォーリズム - Fly me to your sky - #7

「明日香がこの試合をコントロールしてるわけ? でも0対5。何もコントロールできてないんじゃないの?」
「得点差と試合のコントロールは、今の明日香にとっては別の問題なんだろう」
「別の問題だったら意味なくない? FCは点を取り合うスポーツなんだから」
「だから今の明日香には、って言っただろう」
 フィールドでは佐藤院さんの前を飛んでいた明日香が、背中をタッチした。
 ポイントフィールドが広がり、1対5。
「明日香が1点取ったな」
「まだ1対5……1対、5」
 言ってから3分後に3対5になっていた。佐藤院さんがこの試合で初めてショートカットする。明日香がブイにタッチ。4対5。
「どうして急に佐藤院さんの動きが鈍くなったの?」
「明日香が高い位置にいるとブイを狙う佐藤院さんはラインに沿って飛ぶしかない」
「しかない?」
「しかない。ブイを狙うならだぞ。ドッグファイトをするなら話はまた別だ。明日香より低い位置にいる時、ローヨーヨーは使えないだろ?」
「え? あー。明日香の方が高い場所にいるから落下でスピードを稼げるからか……」
「明日香は下がるだけでいいけど、佐藤院さんは上昇を入れないとブイに届かない」
「ブイを狙う時、明日香があの位置にいたら、佐藤院さんはラインに沿って真っ直ぐ飛ぶしか選択肢がないわけ?」
「断言はできない。シザーズを入れるとどうなるのかわかんないからな」
「明日香がコントロールしていたとして、どうして最初に5点も取られる必要が?」
「高い位置から佐藤院さんより速くブイにたどり着けるスピードと角度を測ってたんだ」
 ……測っていたって。
「試合中にそんなに考えたりしないよね? 試合中って瞬間のことしか考えないよね?」
 試合全体を見通して試合をするなんて無理だ。瞬間、瞬間の判断の積み重ねで試合はできているはずだ。最善の判断を続ければ勝って、それができなければ負ける。
「……考えない選手は、強くなれないんだ」
 胸の奥で何かが砕ける音がした。晶也は今、あたしは強くなれないって言った。
 空では明日香のペースで試合が進んでいく。こんなの見てられない。見たくない。
「もういい」
「もういいって?」
「あたしにもこの先どうなるかわかる。真藤さんと乾さんの試合の焼き直しでしょ?」
「明日香の理想としてはそうだろうけどな。でもそううまくはいかないだろ」
「結果として明日香は負けるかもしれないけど。この試合で負けても、どんな結果になっても……………………もう、わかった。佐藤院さんより、明日香の方が強い」
 あたしだって、佐藤院さんに勝てるかもしれない。だけど、そういうことじゃない。あたしが勝ったり負けたりするのは、今までのFCだ。だけど明日香がやろうとしているのはそうじゃなくて…………。
 ──別のFCなんだ。
 心がキリキリする。やめて! あたしはこんなことで心を狂わせる必要ない! だって、勝ち負けなんかにもう興味ないんだから!
 あたしは晶也に見せつけるように微笑む。
「明日香は凄いな。あたしより全然凄いよ。あたしなんか問題にならない」
 ここで笑わなかったら、どうでもいいことだって晶也に見せつけなかったら、あたしは何かを失ってしまう。なんでもないって、自分に言い聞かすことができなくなる。なんでもない、なんでもない、なんでもない。明日香が強くてもあたしには関係ない。
 晶也が無言であたしを見つめ返す。
 ──何か言ってよ。
 あたしの心が楽になることを……。あたしをここから解放してよ! そういうこと言ってくれるなら、あたしは晶也の言うことを何だって聞く。だから、何か言ってよ!
 晶也が何かを言いかけた瞬間、
「ぷおぉぉぉん! 6対6で引き分け。得点が同じ場合は5分間の延長戦だよね?」
 口でホーンの真似をした窓果に向かって、佐藤院さんは感情を押し殺したように言う。
「延長戦はしませんわ。決闘に延長はありませんもの」
「えーっと? 佐藤院さんはそう言ってるけど、日向くんと明日香ちゃんは?」
「佐藤院さんがそう言うならそれでいいだろう」
「それでいいです」
 明日香の返事を聞いた佐藤院さんは無言のままこちらに降りてくると、グラシュの起動を停止して、スタスタと一直線にバスに入り込んでドアを閉めた。
 市ノ瀬ちゃんが不安そうにそれを見ている。
 さっき晶也が何を言うつもりだったのかわかんないけど、タイミングは消えた。まあ、そういうものだよね。うん。そういうもの。世界中のみんなが不幸せでありますように、って願いたくなっちゃうよね。
「みさきちゃん!」
 明日香が興奮した顔で、空からあたしを見下ろしている。
「これから、あたしと試合しませんか?」
 あたしは顔を伏せる。これ以上、明日香を見てられない。明日香には微塵の悪意もないって知っている。FCに関しては、無邪気の塊。今はその無邪気さが恐い。
 あたしは明日香に聞こえないように、小声で吐き捨てる。
「──バケモノ」
 晶也に向き直って言う。
「あたし、FCをやめるから」
「え?」
「FCをやめる」
「おい、待てよ」
「行く。ついて来ないで」
 あたしは晶也に背を向ける。もっと早くに言っておけばよかった。そしたら、こんな光景を見なくて済んだんだ。悩んだりしなくて済んだんだ。馬鹿らしい。
「みさきちゃん?」
 明日香の不安そうな声が耳に届く。あたしって最低だって思う。思う。本当に思う。思ってるのに……。それなのに……。くそっ! あたしは!
「後のことは晶也に聞いて」
 感情を殺した声で言い捨てて、グラシュを起動する。