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江國香織『冷静と情熱のあいだ』について-「居場所」の存在

こんばんは🌱
みなさんは本を読む時に何かこだわりとかありますか?
わたしは、小説を読んで素敵だなと思う文章を見つけたら手帳にメモするようにしています。たまに読み返して胸が温かくなったり、大切なことを改めて思い出してハッとしたり。
そのメモの中にある言葉を今回は考察していこうと思います。小説全体を通した考察ではありませんが、楽しんでいただけたら嬉しいです。ネタバレ無しなので、こちらの作品を読んだことがない方も安心してお楽しみください。


作品について

『冷静と情熱のあいだ』は江國香織さんが赤い装丁のRosso、辻仁成さんが青い装丁のBluを執筆されて、男女それぞれの視点から1つの物語を楽しめるという構成になっています。単行本だと男性目線で1冊読み終えた後に女性目線を読む構成に、文庫本だと1つの章ごとに男性目線と女性目線を交互に読める構成になっていたような気が。1つの物語で作風の違いを一気に楽しめるのはなかなかない読書体験ですね。

「居場所」とは

それでは本題に入ります。わたしが手帳にメモした文章はこちらです。

『人の居場所なんてね、誰かの胸の中にしかないのよ』

(この作品を読んだのがだいぶ前なので、どんな話の流れで誰が発言したのか覚えていないのです、すみません。。)
自分らしくいられる場所とか、自分の存在が認められている場所とか、そういうことを無意識のうちに昔から考えていたところがあったので、この文章を読んだ時にハッとしました。
例えば、入学したばかりの頃はクラスの雰囲気に溶け込めていない気がして、自分の居場所はここには無いように感じてしまう。でも数ヶ月経って仲の良い友人ができると少し居心地が良くなりますよね。それって、その教室に自分の居場所ができたのではなくて、その教室にいる友人の心に自分がいるから、居場所ができたと感じられるのではないかなと思うんです。わたしが以前アルバイトしてたところでは、仕事ができないわけではないのに居心地があまり良くありませんでした。それは一緒に働く人の心の中に自分がいなかったからかな、と今では思います。とても忙しくて、一緒に働く人たちへの思いやりを忘れているような場所だったので居心地がとても悪く、長く続きませんでした。でも次にアルバイトした場所は、働き始めたばかりでまだ一人で仕事をするのが不安な状態でも、一緒に働く方々が自分のことを気にかけてくださったのでとても居心地良く、長く働けました。
わたし先日、人生で初めて北海道に行ったんです。初めて行く場所って少しドキドキしますが、北海道にいる友人のおかげで不安を抱えることなく観光を楽しむことができました。心の中にわたしのことを置いといてくれる人がいれば、どこだってわたしの居場所になるんだなーと実感しました。
帰省した時に地元の居心地が良いと感じるのも同じような原理ではないでしょうか。慣れ親しんだ食事、場所が安心感を与えてくれるのはもちろんですが、そこに自分を思ってくれる人がいるということが最も大きな要因ではないかと。

大切な人と死別する辛さもそこから来ているのではないかと思うんです。もうその人に会えない、その人の声が聞けない、という悲しみはもちろんですが、自分を思ってくれていた人が亡くなるということは、自分の居場所がひとつ無くなるということになります。もし、わたしのことを「居場所」だと思ってくれている人がいるなら、もう少しだけ長く生きる努力をしてみようかなと思えてくる、、気がします。

まとめ

結局、生きていくには誰かが必要なんだなと思う一文でした。人によって必要な人数に差はありますが、やっぱり1人では生きていけないんだなと。
そして、あなたのことを大切に思っているよと相手に伝える必要性が込められた一文だなとも思いました。大切にしたいと思える相手が同じ時代に生きていて、思いを伝えられるのなら、一緒に同じ時間を過ごせるのなら、伝えない理由なんてどこにある?って思いますね。相手を大切にするために、自分が自分でいるために、自分という名の「居場所」と相手という名の「居場所」を大事にしたいなと思いました。人に優しくするのはできるけど、自分に優しくするのってついおざなりになりがちですよね。甘やかしすぎだろっていうくらい、自分に優しくして生きていきましょうね。

最後まで読んでくださってありがとうございました。明日もいい日になりますように🌛