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「夜にしがみついて、朝で溶かして」ライナーノーツ

1.料理
アルバムの幕開けの一曲。すぐにクリープハイプと分かるイントロのバンドサウンドから胸の高鳴るワクワク感。料理と二人の関係性を掛けたこだわりの詰まった歌詞。尾崎シェフの一皿目は持っている球種を全部使っているの?と思わせるほど多種多彩な言葉遊び。隠し味も隠し切れないほどのおいしさにリスナーは舌鼓を打つ。きっとこの二人は終わっていくのだろう。でもそれを悲劇ではなく喜劇的に描いている。クリープハイプはそんな男女を奏でるのが本当に上手い。
まだアルバムは前菜が始まったばかり。こんなにおいしい前菜ならメイン料理はどうなるのかと期待溢れる号砲であった。

2.ポリコ
怪しげな曲かな?と思わせる入りからカオナシさんのベースから最高にロックな曲が炸裂していく。何かあると言葉が独り歩きしてしまう不自由な世の中だ。どこまでが汚れなのだろうか?誰が汚れって決めるものなのだろう?ロックバンドならではの投げかけの詰まった楽曲である。ただの批判で終わらせずに各人に考えさせるスタンスを取っているのが巧みだと思った。それぞれがそれぞれの普通をもってうまく切り取って暮らしていきたいものだ。

3.二人の間
今までのクリープハイプにはなかったような音が響く。打ち込みの電子音になんだか面白いゲーム音楽の要素が詰まっているような。クリープハイプの曲と言えばもっと密度が高い言葉や楽器の音を詰め詰めにしたものが多いと思う。しかし、この曲の密度は敢えて抑えられているように思う。その”間”自体もしっかりとこの曲の構成要素なのだ。
「まぁなんかその ちょっとあの 言葉にならないそんな感じ」という言葉で、言葉にならない思いみたいなものがふわっと、でも確かに伝わってくる。
散りばめられたデジタルのエフェクト音でユーモアや可愛らしさがしっかりトッピングされているため、聴き応えは抜群の一曲。

4.四季
まずは春。頭から「エロい」という言葉をあまりにも当然のようにキャッチーに使っていて、え?ってなって聴き返してしまった。でもこの「エロい」はクリープハイプ史上でもトップクラスの青々しいエロさだから、直接言語化してもいやらしさがなのだ。春の不安感とそれを上回る期待感を包括したポップなサウンド。
夏。春と連続的な疾走感あるアレンジ。「全然さわやかじゃないけど」「やっぱりさわやかじゃないけど」のメロディーがとても爽やかなのがこのバンドの得意とするアイロニーの真骨頂であろう。
秋。鍵盤が軽やかに鳴り響く。ダサくてもおかしみと優しさを添えて味方になってくれる感じがこのバンドの温かさ。
冬。電子音と軽めのドラムサウンドがしんしんと降る雪を感じさせる。ワクワク感が寒さを感じさせない。サウンドとは裏腹にこちらまで涙が出そうになるのはどうしてなのだろう?
最後の「少しエロい」は最初の春よりもねっとりとした歌い方とシンプルな弾き語りのアコギのサウンド。最初聞いた春とは何か変化を感じる。この春は2度目の春だろうか。若者はたった1年で大人になったのだろうか。電子的なアレンジを多用しながらも、最後の最後にアコギを止める音?まで入れられているのは生の楽器の音への愛と敬意だと感じる。
たった3分半にぎゅっと詰まった四つの季節。同じメロディーでもアレンジの仕方によってこんなに美しい爽やかな四季になるとは。
四季があるのは日本の素敵な特長の一つで、外国人の友達には羨ましがられることが多い。今度から「日本には四つの季節とクリープハイプというバンドの素敵な「四季」があるんだよ」と紹介しようと思う。

5.愛す
バンドサウンドと一緒にストリングスのような音が鳴るクリープハイプとしては新しい試みが感じられる楽曲。「違うよ黄身」とか「メイビー」とかあらゆるところで誤魔化してしまう主人公。2番の「ベイビー ダーリン 会いたい」の「会いたい」の音が遅れてくる感じが会いたい気持ちの足りなさが絶妙に表現されているように思う。カバンのねじれた部分を戻すのを気にする前に彼のひねくれが直っていればと願わずにはいられない。変な親心みたいなものが芽生えてくるが、これまでとは違うアプローチのアレンジをしてもクリープハイプ節はむしろ加速しているし、バンドの進化をはっきりと体感させられた一曲。

6.しょうもな
最初の初めて聴くような不思議な音が鳴って15秒ほど経った後、「ああ、クリープハイプの音だ」と認識できる安心感のあるギターの音。小川さんのキレキレの音はクリープハイプの大好きな所の一つ。拓さんのドラムもカオナシさんのベースもとても小気味いい。
「だから言葉とは遊びだって言ってるじゃん」の歌詞が最も印象的。言葉だけでは全て伝えられないし、伝わらない。それはたしかではあるんだけど、根底では言葉の力をしっかりと信じている尾崎さんの姿が浮かぶような気がした。同時に言葉できちんと評価されてきた方だからこそ書ける言葉だ。
クリープハイプらしい疾走感や何かと戦っている感じ、照れくささ、人間への愛おしい眼差しが音と歌詞双方からはっきり滲んでくる。もちろん大多数のリスナーに向けて作っているのは分かっているが、尾崎さんからの「世間じゃなくてお前にお前だけに用があるんだよ」という言葉は自分の方に、自分だけの方に飛んでくる。自分だけに向けられた曲のように強く感じられ、個人的に傑作揃いのこのアルバムの中で最もお気に入りの楽曲。クリープハイプの音と言葉はリスナーにとって「しょうもな」いものではなく、もはや生活の一部のなくてはならないものになっているのだ。

7.一生に一度愛してるよ
今まで聴いたクリープハイプの楽曲の中でも最も高速に感じた。自身の過去の歌詞のオマージュを交えながら、ファーストアルバムばかり聴くファン心理をポップに描いている。登場するファンは“夏のせい“と割り切れるタイプではまるでないようだ。
自らのオマージュをあっさりと、すごい速さで終わらせる潔さ。ファンを喜ばせるためのエッセンスを入れたことに少し照れているようにも感じられて、なおさらこのバンドが愛おしくなる。ファーストばかり聴き続けるファンとの対比として「死ぬまで一生愛されると思ってたよ」というメジャーファーストアルバムで締める遊び心がファンの心を掴んで離さない。進化を続けるバンドのファーストアルバムだけ聴くのがもったないことの真骨頂はまさにこういった所に表れている。

8.ニガツノナミダ
この楽曲もまた中盤以外は速いテンポ。前曲との連続性があってライブ感を強く感じる。中盤、転調して曲調がグッと変わる。この自由に暴れ回る感じがクールである。再び戻ってくる頭の曲調では、尾崎さんのミュージシャンとしての葛藤と、葛藤をも楽しんでしまう度胸が非常に短い時間の中に凝縮して表現されているように思う。「テレビサイズ」にも似た内情を吐露して丸々作品にしてしまうのがおかしみもあって楽しい。

9.ナイトオンザプラネット
アルバムタイトルにもなっている「夜にしがみついて、朝で溶かして」というキラーワードがサビに出てくる。今回のアルバムの核となっている一曲のように感じた。男女双方の視点が現れる感じは「蜂蜜と風呂場」という大傑作とも通ずるところがある。
聴かせる打ち込みの楽曲であるという視点からは「5%」と近いものがあるように思う。「5%」を初めて聴いたときは「クリープハイプってこんな曲も歌えるんだ」と感じたものだ。しかしこの曲を聴いた後に感じたのは、これが今後のクリープハイプの新たな基軸になっていくのではないか、というバンドの変化と進化である。何かと戦っているような歌声と楽器の音がクリープハイプの素敵な特長のように思う。この曲はそういった響きは感じられない代わりにまるで時間的な奥行きがあるような壮大な世界があった。聴き終えた後はしばし放心状態になった。まるで良質な名画を観終わった後のような。なんだか色彩的と言おうか、色の付いた曲のように感じた。楽曲はフィクションであるけれど、尾崎世界観という人のこれまでの足跡がくっきりと出ていたように思う。

10.しらす
毎回楽しみにしているカオナシさんの楽曲。童謡のようにも感じられる歌詞や後半の子供の声がバックコーラスに聞こえ、かわいらしさが表面的にある。しかしそのすぐ裏側に多くの現代人が忘れている食や生命への感謝の心や戒めが感じられる。それは決して説教臭いものではなく、極めてすんなりと心に入ってくる。
大切なことほど当たり前に感じられたり見えなかったりすることが世の中には多々あるように思う。「ナイトオンザプラネット」の余韻からリスナーをきちんともう一度アルバムへ引き戻す傑作である。この楽曲はここがベストポジションなのである。

11.なんか出てきちゃってる
一音目からとても都会的でクールなサウンド。終始、尾崎さんの語りが印象的であるが、「あれって何?」、「気持ち悪すぎる?」、「頭にも生えてた?」などいろんな”はてな”が浮かぶ。でもクリープハイプの曲だし、あっち路線の「あれ」だよなぁ?なんて考えているとどんどん進んでいって聞き逃して何度も聴き直すことになる。何度も聴いているうちにリスナーのネジがゆるんじゃうのは偶然でなくきっと必然なのだろう。最近の消費される音楽という流れの真逆にいる曲だと思った。語りの切れ間で言葉を食うように音が被せる部分のキレがロックバンドらしく最高にクールだと思った。

12.キケンナアソビ
まさにクリープハイプの唯一無二の世界がこの楽曲には詰まっている。1番サビ終わりの「って嘘だよ」の言葉で世界は一変する。アソビをアソビと捉えられなくなる分岐点のスイッチのような。「上」と「下」や「気」と「火」など、対比は遊び心から狂気と異常さが垣間見える。2番頭のピー音まで含めてこの曲の音源であるのが狂おしいほどクリープハイプらしい。曲調が何回か変化するが、女性側の気持ちの加速や揺らぎなど、何らかのドラマが起こったことの隠喩であろうか。夏の暑い夜を想起させるような楽曲であった。
なお、前曲の「なんか出てきちゃってる」に出てくる「あれ」の解釈に迷いながらこの曲を聴き、途中で何となく「あれ」ってやっぱ「あれ」のこと?となったものの今回は違うような気がした。何でもかんでも深くまで理解はできないのだ。曲の連続性が身をもって分かり、きちんとバンドの意に沿った曲順に並ぶアルバムで丸ごと聴くことの醍醐味を感じた。

13.モノマネ
尾崎さんの言葉に少し遅れて追いかけてくるような小川さんのギターが印象的な楽曲。
頭の「シャンプーの泡」で一気に作中に引き込まれる。シャンプーのリズム感と語感のよさが気持ちよい。ラストの「ある晴れたそんな日の思い出 どこにでもある毎日が 今もどこか続いているような 気がして 探して」という部分が最も印象的で何かを思い出して涙しそうになる。結局思い出すのは特別な記念日なんかじゃなく、日常なんだってことをサラッと言ってしまう尾崎さんに激しく同意する。
この楽曲は「ボーイズENDガールズ」のアンサーソングになっている。だいぶ時間が経って、「ボーイズENDガールズ」の二人が終わっていたことを確信した。何となく分かってはいたけれど。

14.幽霊失格
イントロ頭とアウトロのラストの双方に幽霊感強めの音がユーモラスに響く。それ以上にグッと来るのがメンバーの際立つ演奏である。個性をぶつけ合って戦いながらかき鳴らすようなクリープハイプも大好きだけれど、この曲は見事に調和した素晴らしさが強く出ている。それぞれの個性は残しながらも一つのチームとして手を繋いでいる感じがこのバンドを長く聴くリスナーとしてとても愛おしくなる。「写真にだけ写る美しさ」のワードはあのTHE BLUE HEARTS「リンダ リンダ」の「写真には写らない美しさ」のオマージュであろう。過去が形として残るのは写真の中の美しい思い出と、少しのさびしさや虚しさ。過去に固執してしまう冴えない心優しき男への愛の眼差しを感じる。人間のおかしみも包み込んで背中を押してくれるような楽曲であった。

15.こんなに悲しいのに腹が鳴る
クリープハイプのアルバムは毎回最後の楽曲が素晴らしい。「死ぬまで一生愛されると思ってたよ」の「チロルとポルノ」、「一つになれないなら、せめて二つだけでいよう」の「二十九、三十」、「世界観」の「バンド」など。たくさん聴いていたら何となく最後の楽曲らしい音が何となく分かってくる。今回のアルバムにはこの最後だよなと納得のいく楽曲である。悲しいのに腹が減る人間のおかしみと愛おしさ。尾崎さんが人間という生き物を根底から深く愛している感じが伝わってくる。
「生きたい生きたい死ぬほど生きたい」という歌詞には人間の生へのしがみつきに対する滑稽な視点が少しと、たっぷりの「こんな世界だけど生きよう」というリスナーへのメッセージが詰め込まれているように感じた。
たしかに言葉だけで全ては伝わらないし、言葉の切り取られ方や悪意ある解釈のされ方ですぐに叩かれてしまう生きづらい世の中だ。でもクリープハイプには言葉と一緒に唯一無二の音がある。言葉と音が互いを補うようにこちらにまっすぐに響いてくる。
クリープハイプの楽曲にはどんな人も置いていかずに包み込むような不思議なあたたかさがある。今回のアルバムでロックバンドとしてのクリープハイプは大きく変わったように感じるけれど、そのあたたかさはやっぱり不変で全く揺らがないとさえ再認識した。ファンとしてはそんな彼らを愛し続けたい。素晴らしいアルバムを世界に届けてくれてありがとうございました。

#クリープハイプ #ことばのおべんきょう

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