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料理はuberに頼めるんだから、片付けだって頼んじゃっていいんじゃない?

ちょっと前、私の家政婦ナギサさんというドラマが人気となっていた。
一見すると20代のキャリアウーマンと40代男性家政婦とのラブストーリーのように見えたけど、あれはジェンダーのドラマだった。

仕事が忙しく、それゆえに家事に手が回らないことに後ろめたさを感じている主人公メイ。そこへ「お母さんになりたい」という願望を持ち、家事代行という仕事に誇りを持って働いているナギサさんがやってくる。最初は「恥ずかしい」と家政婦を頼んでいることを内緒にしたり、「どうしてこんな仕事をしてるんですか?」とナギサさんに尋ねるメイ。そこには「女子は家の中のことができて当たり前」という周りからの「刷り込み」があるのだ。「女らしさ」とか「家庭的」なんて言葉で語られたりもしただろう。知らず知らずのうちに女性は「ちゃんと家のことやらないと」と強迫観念にかられ、できないと「自分はダメな女子」と思い込む。それは結婚したとしても、出産したとしても、そのどちらもしなかったとしても、延々続く呪いだ。

ところで私は仕事で、女性の部屋を片付けることが時々ある。散らかった家から、いらないものを運び出して処分したり、物を整理整頓したり。

家が散らかる理由は様々ある。部屋の狭さや趣味の多さ、仕事の忙しさ、収納場所がないなどなど。また鬱やADHD、体調が悪くて片付けられなくなる人もいる。そこに性分はあれど、性差はない。でも女性の方が圧倒的にそれを恥ずかしいと思い、見られたくないと思っているのだ。そこには「女子なのにできてない」というマイナスイメージがある。

先日はうつ病を患っている女性のお宅へお邪魔した。自分では片付けられないので手伝って欲しいという依頼だった。新聞紙をまとめ、ペットボトルを片付け、賞味期限の切れた食品を袋に詰めた。玄関から順にいらない物を搬出していき、まだまだ物は多いけれど前よりはスペースができた。「入院を勧められたけど、何とかまだ自分で暮らしてみようと思う」カーテンを閉めたままの部屋で、彼女はそう言っていた。小さな部屋で、一人で戦わないで、助けを求めてくれて良かったと思った。

料理をuberや出前館に外注するように、家事や片付けもどんどん外注すればいい。そうすることに「女子なのに」と後ろめたい気持ちを持つことは全くない。大事なのは「自分のココロの健康」だ。自分が元気でいられるならそれが一番で、外野の声なんて自分にとっては何の役にも立たないんだから。毎日出かけて、帰ってくる部屋が快適になるならお金をかけてもこんなに有意義な投資はないはず。毎回、片付けをしながらそんなことを考えている。

「男が外で働き、女が家で家事育児をする」役割分担が世の中に出てきたのは1950年代のことで、たかだか60年くらいの間の話だ。というか一昔前の流行だ。今じゃ流行らない。心の奥底にひそむジェンダー意識も、ゆっくり時間をかけて変革していってる途中だ。

だから時代に合わせて「常識」は変わるし、変えるのは私たち。
「どこかの誰か」の声なんて気にせず、気に病まず、健やかに暮らしていけるといいね。


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