世界の中心は俺

とりあえず初めてで何書いて良いかわからないので興味引きそうなタイトルにしました。

自己紹介

まずは自己紹介でもします。

今年21のクソガキです。まだ実家暮らしの大学生で、ありがたいことに一応内定はもらっております。好きな食べ物とかは特になく、嫌いな食べ物はパクチーです。音楽聴くのとか好きで移動中とか1人でいる時は大体聞いてます。ぼーっとするのもワイワイ騒ぐのも好きです。

世界は俺を中心に回っている

さて、本題です。これだけ聞くとただの自己中クソやろうに見えますがそう言ったことでは決して無いです。

まず、俺はこれを読んでいるあなた方がどこでどんな風に生きているか知らないです。逆に今俺が何をしているかあなた方は知らないですよね?当たり前です。
もっと言えば、俺は、もしあなたが引きこもりでもヤンキーでも殺人鬼だとしても関係ないです。

なぜか?簡単です。会うことがほぼ無いから。
だから俺はあなた方がどこで何をしていても自由に生きられます。

では、身近な人相手にも同じ事が言えるのか?

答えは、「言える」です。

俺はこれを書いている今、友達がどこで何をしているのか知りません。さっきまで出かけていたので、家で親が今日何をしていたのか知りません。
しかし、そこで誰が何をしていようが今日の俺の行動になんら影響ありませんでした。俺が相手に与えた影響もなかったと思います。

だから、俺は俺が好きなように生きていけます。

自由に生きたら嫌われるのではないか

こういった話をするといつもこの質問を受けます。

この質問は、はっきり言ってナンセンスです。
自由には大抵の場合、「責任」が伴います。
嫌われるほどの事をしたから嫌われただけにすぎません。

そもそも、人に好かれるのも嫌われるのも自由です。
人に好かれたいなら相手が求めているものを与えればいいし、逆なら求めていないものを与えればいい。単純に考えればそうなります。どちらを取ってもあなたの自由。

でもそれは誰かに言われてする事じゃありません。自分で、それをしてまで好かれたいかを考え、行動を起こす。その自由な行動に「責任」が発生しているわけです。

自由に生きるとは

自由と一口に言っても、「金銭的自由」「身体的自由」「精神的自由」などたくさんあるのでここでは「精神的自由」を指します。ど貧乏や監禁されてる人を救う事は俺にはできません。ごめんなさい。

俺は「誰に何を言われても余裕ぶっこいて生きる」事だと思います。
いちいち凹んだり、メソメソしてる人を見て自由だと思った事がありません。自由な人は実際そうでもなくても強く見えるものです。

俺も、もちろん傷つく事があります。理不尽に怒られたり、思いっきり罵倒されたり、嘲笑されたり。ちゃんと傷つきます。仕事なら多少我慢しますが、私生活でそんな事する人はいらないんです。だからこっちから捨ててやります。それでも気の合う人は沢山います。SNSや出会い系サイトなど今はいろんな人と知り合えます。世界は広いんです。

あなたはそんな広い世界の中心で責任をもって自由に生きる事ができます。どうぞ好き勝手やってください。あなたがどこで何をしようと俺には関係ないですから。

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