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65. 知らない土地のこと

 幼少期から飛行機に乗せられ(2歳で母国を離れ、15で初めて一人で国際線に乗った)、親に連れられて海外に住んでいたのに、飛行機も海外も、実は大の苦手である。乱気流も、聞き取れない速さで話す現地人も、怖くてたまらない。デカくて重いスーツケース、相場の分からない食べ物、じっと睨んで読む案内表示。慣れない匂いのする街。全てがじんわりと私を疲れさせた。

 卒業旅行に行けなかったことがある、と書こうとしたが、結局自分が行かなかっただけである。高校の友人たちと大学卒業の折に、ヨーロッパを周遊しようとしていた。コロナウイルスが流行り始めて大騒ぎしていた2020年の3月。万一感染してしまえば日本にすんなり戻れず、入社に影響が出そうなこと、家庭がめちゃくちゃで旅行どころではなかったこと、両親の猛反対があったこと、後ろめたくなる金額のかかる旅であること。それら全てが本来の不安を後押しした。家族の反対を押しきれなかったと言って、旅行をキャンセルした。友人たちにいくらかのキャンセル料を借金した。先日、3年目にしてようやくこの悲しい借金を清算し終えたところだった。罪悪感に苛まれながらも、いくらか安心していた。

 言語は苦手ではない。覚えは悪くない方だ。もちろん、聞いて・読んで理解できることと話せることとは全く別物である。どちらかというとこの認識が私を海外旅行から遠ざけた。ままならない意思疎通を迫られ、限られた時間と金額の中で目一杯楽しまなければならない。ただし事故や犯罪からも身を守らなければならない。難しい。めちゃくちゃ難しくない?大学に入ったり出たりする方がまだ簡単だった気がする。人はなぜ……などと思ってしまう。出先で自分が処理落ちすることについて過度に恐れてしまうのである。誰か回収しに来てくれ。結局、少し離れた人の少ない、それほど有名ではない国内の観光地に一人で行くことになる。これぞ内向。

 恐れている分、憧れだけは膨らみ続けた。知らないことを見聞きするのが本当に好きだったから、カメラを持つのも本当は楽しくてたまらない。知らない野菜や果物、怪しげな屋台の料理、慎重に数える貨幣、耳慣れない音楽。疲労を運んでくるものたちに触れてみたい瞬間が幾度となく訪れる。無防備なまま、また適当な空港に降り立ってみたい。ヘトヘトになって帰ってくることになろうとも、旅に出て後悔をすることはないのを知っている。砂漠さんの記事なんかを読むと本当に豊かな人生だな、と感じる。いくらお金を稼いでもキャリアを積んでも得られない形の豊かさを見て、心底羨ましい。身一つで感動に飛び込んでいくリスクを背負いたい。この頃はそんな風に強く思う。懲りずに海外旅行に誘ってくれる友人たちに深く深く感謝する。もうドタキャンしません。這ってでも行きます。


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