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63. 幸運だったこと

 「あなたのことは心配していないけど」
 いつも鋭い上司が微笑んでそう言ってくれた時、ようやっと人前に立ってまともに話ができるようになったことに気づく。目上の人にも、後輩にも分け隔てなくフレンドリーに接することができるようになったことに気づく。友人たちの何倍もの時間をかけて、「できているべきこと」を一つ一つ塗りつぶしてきた。夏休みのラジオ体操のスタンプカードより途方もない。
 無駄にプライドが高い分あがり症で、その上ドジだった。自信のかけらもなかった。地獄耳のおかげで、ちょっとした陰口にすぐ萎縮してしまい、何をするにも他人の目が気になってしょうがなかった。
 「人見知りですか?目が泳いでますけど笑」
 笑じゃないんだよ。街角アンケートのお兄さん。きっといかにも落ち着きのない人間に話しかけているのだろう。そういうのよくない。ちゃんと無作為に選んでください。

 「自信」が何なのか、私にはしばらく分からなかった。手のひらに人という字を書いて飲み込むアレと同じくらいの認識だった。気のせいだろ。
 自信や尊厳は自分の手で勝ちとらなければならない、とよく言われているのを見るが、多分そんなこともない。それだけでは賄えないものが確実にあった。穴の空いたバケツにいくら水を注ぎ込んでもどうにもならない。どうにもならないことを分かっていながら、ひたすら続けなければならない時が大半だった。周りの人が少しずつ、少しずつ、穴を塞いでくれたことは、本当に幸運でしかなかった。就職活動で40社以上落とされたとき、選ばれなかったことよりも、大人が自分の話を聞いて所々で褒めてくれたことがなぜか深く深く、心に残った。

 自分が何かをして、それに対して何らかのポジティブな反応がある。そういう経験があって初めて、「どうにかなるかもしれない」と思えた。自信は自己効力感だと考えている。どうにもならないかもしれない時に続けていける力とはまた別物である。
 「どこに行ってもやっていけるよ」
 人という字を掌に書き続ける代わりに、定型句の優しさを繰り返し思い出す。もうすっかり忘れた頃にも背中を押してくれる。おまじないよりも確かなものを、たくさんの人から教えてもらった。

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