見出し画像

膵臓癌末期、そして1ヶ月から半年の余命宣告  義母闘病生活

いつも義母の家に行くと、私が好きなワインを新しく買っておいてくれた義母。二人でワインを一本いつも開けていたのが懐かしい。

_________

癌が発見されてから約1週間後に、新たに膵臓癌スペシャリストの先生にこれからのことを話しに会いに行くことに。でももう彼女の気持ちは決まっていた。あと残りわずかしかないのなら、何も治療はせずにいたい。癌治療をして数ヶ月余命を延ばすことができるかもしれないけど、数ヶ月の延命のために副作用に悩ませられるのはごめんだと。痛みを緩和する薬と膵臓ホルモン剤を服用するのみだけにしたいとのこと。

このスペシャリストに、治療法を説明した後、義母がもしあなたが私ならどうすると質問。そして先生も義母と同じ見解とのこと。治療は緩和剤のみで、後はホスピスで対処するのがベストだろうと。

スペシャリストの先生に会っている間私は車の中で待機。

待っている間、実感は全然わかなかった。義母はどんどん小さくなっていくけど、見た目はまだまだ元気、ほんと不思議な感覚だった…

_________

義母の癌がわかった後、私たちもできるだけ彼女の家に行くことに。夕ご飯は彼女の家で作ったりテイクアウトをしたり。

膵臓癌スペシャリストの先生に会いに行く前に、クリスマスツリーを山で伐採できる場所があるので、義母を連れて伐採しに行くことにした。

私たちも初めての経験。車で1時間ほどドライブした場所にある。もちろん義母は山道を登ることができないほど弱っていたので、車で待機。

私たちが木を選んで伐採している間に、コロラドの綺麗な景色を見ながら考えるところがあったらしい。私たちがクリスマスツリーを引きずりながら車までもどてきて、開口一番に、私たちを待っている間この素晴らしい雄大な景色を見て、もう大丈夫、死を覚悟できた、全てを吹っ切れたと。

そっかあ…

なんて彼女に言っていいかわからなかったけど、ほんとすごいばあちゃんだよ、そして本当にこの言葉どうり、死穏やかにを迎え入れていた。見事なまでに。


画像1

_________

余命宣言をされてからの彼女は、彼女が亡くなった後の事務処理など、彼女の息子たちが簡単にできるように事務処理に取り掛かった。おかげで旦那は大忙しだ。義母は体が弱っているとはいえ、きちんと処理をしないことには逝けるにも逝けないと旦那と一緒に処理に大忙し。

タイムライン

12月12日

病院に行って癌発見される。

12月14日

クリスマスツリーを伐採しに行く。義母死を受け入れ、死後の事務処理のための準備を始める。

12月17日

最後のハイキングに彼女の息子/私の旦那と行く

12月21日

料理好きの義母、固形食事が食べづらくなってきているので(消化しづらい)旦那とともにビーフストックをたくさんの野菜をつかって作る。

12月23日

スペシャリストに会いに行き、余命をどう過ごすのが義母にとって一番良いのか決める。治療は痛み緩和のために薬と、膵臓ホルモン剤のみ。ホスピス開始。

_________

膵臓癌末期だと報告された時、義母にきちんと向き合えない自分がいた。こんな報告をされるのは初めてだったからかもしれないけど、普段の自分なら、「I am very sorry...」と言いながらしっかりと義母とハグをしていたと思う。でもこの時はなぜかできなかった、いつも通りに振る舞うようにしていた。何も聞かなかったように。今となっては後の祭りだけど、多分一生忘後悔するだろう、何できちんとハグして義母を受け止めてあげることができなかったんだろうと………

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?