日曜の夜のぼやき

世の中の情勢、政治、将来のお金のこと、これからのライフプラン、明日やってくる仕事のタスク、そんなことを考えていたら、面倒なことがこんなにあるならば、いっそ全部辞めたいと思ってしまう。記憶を消して、縄文時代くらいの生活に戻れば、今この現代のエンターテイメントとか娯楽とかを知らずに行くならば、別に全然こなしていけるんじゃないかと、安易に思ってしまう。多分、縄文時代は縄文時代で結局、どうやって食糧を効率的に得るのか、とかそんなことを頭フル回転にして考えてるだろうから、それなら今も昔もそんなに変わらないか。そうだったらいっそ、ぱって消えてしまいたいと思う。死にたいわけではなく、もうなんというか、ぱっと消えてしまいたい、というニュアンス、誰かわかるだろうか。
.
小さい頃から、こういう想像をし始めると必ず考えることがある。もし自分が死んだら、この自分の意識はどこに行くんだろうか?と考える。この世の面倒なことから逃げたいこの自分視点の意識は、死ぬことによってまた違う人に乗り移るのか、それとも永遠に消え去るのか。こんな面倒くさいことを考える思考の人間なんて、もう私以外に居てほしくないな、と勝手ばかりに思う。
.
自己肯定感がすこぶる低いので、私は自分があんまり好きじゃないし、過去か未来に行くなら過去に行ってやり直したいこと、変えたいことがわんさかある。でもそんな自分を受け入れてくれる人が周りにはたくさんいるし、そんな人たちに支えられてる部分だってたくさんある。もう感謝の気持ちでいっぱいなんだけど、それでも自分でしか解決できない1番深いどろっとした部分はあるし、どうやって向き合えばいいのか、こういう晩にぼーっと考えなければいけないんだよな。
.
そうやって毎日一喜一憂して、面倒なことは面倒だと思いつつラッキーに解決していって、だんだん歳をとって、気づいたらいいタイミングで、あわよくば幸せだったと思うタイミングでぽっとならないかな。ってね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?