マガジンのカバー画像

14
運営しているクリエイター

#エッセイ

とくに理由がないこと

とくに理由がないこと

*よく駅前なんかで、「鍵屋さん」と「靴直し屋さん」が一緒になっている店舗ってあるじゃないですか。しかもあれ、わりとどこの店でも、鍵と靴が一緒になった形態で営業をされていますよね。もしかしたら関西だけなのかもしれないけれど、僕の知る限り、駅前のああいう店舗ではセットのように「鍵と靴」がある。この2つが、どうしてセットで営業されているか、知ってます?

友人と一緒にその話を聞いたところ、「とくに理由は

もっとみる
リアクションとは「呼応」である。

リアクションとは「呼応」である。

*お手伝いしている会社の人材育成をなぜか担当している。我ながらなぜだろうと思う。企業勤めの経験はない。ずっとフリーランスなので、人材育成もクソもない場所で生きてきた。基本的に他人の成長になど興味がない。自分がいかにのし上がるかしか考えていない、自己中心的な人間だ。そんな人間が、お手伝いしている会社の人材育成を担当している。本当になぜなんだろう。

ちょうど先日、その第1回目の社内研修があった。その

もっとみる
自分が変わるように、人も変わっていく

自分が変わるように、人も変わっていく

*「ゆるせないこと」というのは、きっとほとんどの人にあってね。いや、どうだろう、ないって人もいるかな。ぼくもきちんと考えてみたら、そこまで浮かばないものだけれど、「歩きタバコ」だけはちょっとゆるせないなぁと思う。何をどう考えても想像力が足りない行為だとしか思わない。でも、「ゆるせない」ほど強い動機を持っているかと聞かれれば、そーでもないよーな気もする。

「ゆるせない」ほど語気を強めなくても、「ま

もっとみる
距離感こそすべて。

距離感こそすべて。

*人間は今日も悩んでいる。おいらも、あの子も、あいつも、あんたもみな悩んでいる。もういっそのこと、悩むのが好きなんじゃないか?ってくらい、悩んでいる。朝でも夜でも、湯船の中でも、布団の中でも、すきがあれば悩んでいる。ここまで読んで「わたし、なーんも悩んでないよ!」って人がいたら、回れ右するか、それともこのまま読み進めるか、悩んでみていただきたい。

悩みはホント人それぞれで、規模も種類も時期も違う

もっとみる

咲かない桜の木の下で。

*桜の木が、そこにあったとする。
一本じゃない。群れで、数本、数十本、桜の木が生えている。そこは毎年、人気のお花見スポットで、春になると人が集う。酔っ払いからちびっこまで、いろーんな人たちが桜の木の下、駆け回ったり座り込んだり、桜の花びらを見るのもぼちぼちに、楽しんでいる。

桜は春、すこしのあいだだけ咲いている。それ以外は散って、「あれ?これ桜の木だったっけ?」なんて言われたりする。桜は、花が咲

もっとみる
応援歌というぬるま湯

応援歌というぬるま湯

つい先日、「ダンディ倶楽部」という会を発足した。ダンディ倶楽部とは、ダンディさを追い求めるという、いかにもダンディじゃない人たちが集まるような会である。先日の議題は「自分よりスゴい年下と出会ったときに、どうやって自分を慰めるか」であった。この議題の発端は、たしか「嫉妬をうまくあこがれへと昇華できますか」だったと思う。

「正直、自分よりスゴいと思う年下にまだ出会ったことがない」やら「美味しいものに

もっとみる
「聴こえないものが、聴こえるようになりますように」

「聴こえないものが、聴こえるようになりますように」

「聴こえないものが、聴こえるようになりますように」

立ち飲み屋で急に始まったシンガーソングライターの歌に出てきた歌詞だ。「ように」という表現が続けざまに二度使われているので、こうして言葉に興してみると違和感があるけれど、好きな日本語の使い方だな、と思う。文法的にはまちがっていたとしても、ニュアンス的にはまちがっちゃいない。「聴こえますように」とは、ちがうんだ。と、自分がつくった歌詞でもないくせに

もっとみる
そのやさしさは、誰メモリのやさしさやねん。

そのやさしさは、誰メモリのやさしさやねん。

「付き合いが上手くいくかどうかは、一般に数値化されていないもののメモリ感が合うかどうかなんだ」という、飲みの席で先輩が酔っ払いながら、なかばやけくそに放った言葉を強烈に覚えている。

「あのな、数値化されていないものってたくさんあるだろ。愛とか想いとか誠意だとか、目に見えないもののほとんどは数値化されていないわけだ。でな、長く付き合えるヤツらってのは、その数値の感覚がだいたい似たようなヤツらなんだ

もっとみる
しょうがを煮詰めたような恋。

しょうがを煮詰めたような恋。

やすらぎの価値を知りつつ、その一方で、私はどうしてもときめきが永遠に上昇し続ける、という夢をみてしまうのだ。 
—穂村弘『もしもし、運命の人ですか。』

先日、読んでいたエッセイ集にこんな一文を見かけた。
「ときめき」による上昇を続けても、そのうち天井にぶつかってしまう。そこから「やすらぎ」という水平飛行が続き、終いには下降していくという、飛行機を模した秀逸な例えで、誰しもが共感してしまう。

もっとみる