同一色の世界で II.II

II.II

 前触れもなく空から落ちてきたあの子は、見ず知らずの星からやってきたエイリアンのよう。彼と出会った当初、心の天候はいつもお天気雨みたいだった。それは心を二つに分かつように、前進したい気持ち、動けない気持ちとの間でまごつかせた。相反するものが同時に存在するのに、それでも風景は、輝いていたように思う。
 恋に落ちた理由なんて、きっと誰にも分からないのかも。一種の魔術のようだと今は思う。誰かがわたしに、それともわたしがわたしにかけたのか。

 新学年になって最初の全校集会からの帰り、渡り廊下。先ほどまでののっぺりとした時間から開放された生徒たちが、好きなように好きな人たちと入り乱れながら、各々のクラスへ戻ってゆく。わたしは、慣れない授業と集会で疲れた頭と体を引きずって、ひとり歩く。水中にいるみたいな足取り。午後の真ん中、この時間、学校ではいつだってほとんど眠りのなか。みんなの声が遠くからぼんやり響いてきて、自分の周囲に膜が張ってあるようだった。明日は来ないな、ポツリと呟いた。
 目の前で戯れる男子生徒たちが巻き上げるホコリは、日差しを受けて星雲のようにきらめく。これは、下校の時刻が迫っていることを知らせるチャイムで、わたしに活力のスイッチを入れるよう促す合図である。まるで今日は、ここから始まるみたいに。

 突然、微睡むわたしを追い越す存在にびっくりして、バチっと目が覚めた。ほとんどぶつかるように真横すれすれを通った子は、わたしに全く気づかなかったようで、同じくビクッとしながら驚いた様子でこちら側を振り向いた。
 その瞬間、わたしと誰かの目と目が、カチッと組み合わさった。まるで、不意に手にしたパズルのピースとピースが一発でハマったときのような。そこには、小さな驚きとわずかな喜びを含んだ思いがけない一瞬、つかの間の空白があり、わたしの世界の鼓動を止めた。

 誰かと目があって、こんな風に感じたのは初めてではなかろうか。それなのに、相手の後ろ姿は、何事もなかったようにどんどん遠くなっていく。もしかして、今の出来事は幻だったのかな。いや、違う。だって胸の中央が、乱れたリズムを取り戻そうと、大きな音を立てて鳴っている。
 再び視線を前に戻すと、相手はすでに見えなくなっていた。わたしは内側で鳴りひびく心臓の音に少し注意を払いながら、起きた事を消化しきれないでいた。
 目の前でじゃれあっていた男子生徒や他の人たちが巻き上げた星雲はまだそこにあって、進みたい両足ともう少し留まりたい上半身を抱えながら。

 その翌日から、わたしの行動に変化が起きた。そのしるしとして第一に、二日続けて学校に行ったことが挙げられる。昨日、ほんの少しの間に起きた心停止のあと、さらなる驚きが待っていた。クラスメイトだったのだ彼は。進級してから、ほぼ初めての登校なので、知らなかったのは十分ありえることだと思うけど、それもあやしい。だって、普段から学校の誰にも興味を示さなかったからな。その証をこんなふうにして自分自身が受け取るとは、思いもよらなかった。

 そして、カードがくるっとひっくり返されたように、それまでとは違う行動を取り始めていた。気付けば両目が、相手の影を無意識に追いかける。ハッとして我に返っては、そんな自分に戸惑うことが続いた。見たいような、でも見続けることに抵抗があるような。それでも関心の種は、芽を出し、日を追うごとにすくすく成長していった。どんな子でどんな癖があるのかなど、色んなことが気になるようになっていた。傍目から見たら、遠くから一人でなぞなぞをしているみたい。でもはてなは枯渇することなく、泉のように湧き上がってくるから。そうやってひとつひとつ新たに何かを知っていくことを純粋に楽しんでいた。

 この時点で、相手の好きなところを挙げるなら、笑い声が好きだった。最初は、仲間たちと話す内容を聞きたくて、こっそり聞き耳を立てていたんだけど、でも内容より、相手の声に注意がいった。彼の声は、同年代の男の子たちより少し高くて、個人的にかっこいい声だとは思わなかった。
 でも彼が笑いだすと、空気のなかを軽やかに回転していくような無邪気さがあり、耳触りがとてもよかった。彼が笑うと、思わずわたしも笑ってしまいそうになった。そんな時、かならず胸があたたかくなった。


 急に学校へ行き出したわたしを見て、両親は驚き、どこか怪しんでいる様子だった。でも母は、わたしの変化をすぐに察知していた気がする。意味ありげにニコニコしてきたり、「最近学校はどうなの〜?」なんて聞いてきたり。その態度にイラッとして気持ち悪く感じたけど、どこか喜んでいる様子に、悪い気はしなかった。ふたりとも、本当は学校に行って欲しかったのかもしれない。どっちでもいいって言っていたのに変なの。それにまた行かなくなるかもしれないのにね、と。

 でもその考え、今はなかった。彼に対する意識が高まっていくにつれ、気持ちは、もくもくと膨らんでいった。それは”会いたい”という特殊な気持ちを生んだ。会って、何を話す何をするも何もない、それでも思うもの。人に好意を持って一番最初に抱いた、不思議な思い。でもこれはきっと、素敵な気持ちの一種だと感じていた。
 その気持ちは、決まったルーティーンをもたらした。登校時には、今日も会えることに心が弾み、どこに住んでいるのかを考え、人波から姿を探す。帰り道でも同じことを繰り返すように、時折キョロキョロしながら周囲を見渡した。街中でわたしの電波塔を高く掲げ、彼が発している微細な電波をキャッチしようと努めていた。

 誰かのことが気になるようになって、初めて知ったことは数知れない。目の前に居なくたって、頭のなかでは現実さながらに登場することだってできるのだ。
 バーチャルの彼とは屈託なく会話をし、向こうもいつもどおり、ころころ転がるように笑った。愉しむわたしがいる一方で、ふたりの距離をより遠くに感じたりもした。それを人は、虚しさと呼ぶのかもしれない。ポッカリとした穴のような存在。そのなかを覗き込むと、欲求が溜まっていた。何モノかがわたしを見つけると、こっち目掛けて言葉を飛ばしてくる。話してみたい、とか、なんの意味もなく触れてみたい、などなど。そう、仲間同士でよくやる挨拶のスキンシップっていいなあと、彼に注目してから、他の人たちの振る舞いも見て、そう思った。友人同士でくっついたり離れたりする行為のどこかに、憧れの眼差しを持つ自分が登場したのだった。名前を呼びながら、軽く指先で相手に触れてみたり、ふざけて叩いたり。あの親密さを表す動作は、相手と自分の間に信頼があることを示しているみたい。うらやましいとかじゃない、あこがれるような、そして願いに似たもの。

 それから、彼の親しい人たちは、わたしのような混血種がひとりもいなくて、テラコッタだけで構成されていることも少なからず気になっていた気がする。たったひとりで話の中に割って入っていくのを、どこか億劫にさせる力のようなもの。
 ここでひとつ言っておきたいけど、この時代には、混血種に対する差別も偏見もまだ起きていなかった。それでも少し、マイノリティーゆえの壁というものを、自ら感じていたのは無きにしも非ずだった。混血種同士だって、全く違う人同士なのにね、どこからやってくるのだろうこの視点。特にこうした学校という囲われた場所の中では、なのかもしれないけれど。

 夕食、目の前で今日の出来事を振り返りながら話す父と母を見つめる。ふたりは、異星人同士で、育った環境から考えたら共通点はほぼ無いはずなのに、お互いのことを理解しているようにみえる。それは信頼関係だけじゃない。ふたりの間には、見えないけれど、太くて美しくて切れることのない見事なリボンで結ばれていて、いつどんな時もしっかり繋がってきたんじゃないかと、そう思わされた。
 わたしはここで生まれ育ったけど、誰とも心を繋げられないでいた。仲の良い両親に愛され、二人のことも大好きだけど、彼らとも距離を感じていた。手を伸ばせば触れられる場所にいても。なぜか私には、誰もが遠い人に思えた。

 じゃあ、なおさら、他人のことを知りたいなんて思う気持ちは、無謀で無意味なんじゃないか、知って何になるのだろうか、そう思ったりもした。
 でも、目の前のふたりを見ていると、完全にそうとも思えない何かがあるのだ。無意味をゆうに越える何か、知りたいと思わせるもの、それはいったい何なんだろう。
 そのことについて考えると、遥か広大な敷地に置き去りにされたような気分になる。四方八方、見当たらない帰路。わたし以外、何も存在しない場所で迷子になっている。だからすぐに考えることを止めた。
 わたしが彼に対して知っていること、それは、彼の名前がカナトということだけだった。

 わたしは、味気ない夕食を過ごしてしまった気分から逃れるように、食事を済ませたあと、すぐに自分の部屋へ戻った。机に座り、バッグからテキストを取り出す。三時限目、生物に関するテストの答案用紙をみながら、カナトが周囲の人たちとテストの出来具合について、和やかに話している映像が飛び込んできた。そしてふと、思わぬ疑問と出会す。彼もわたしと同じように、誰かに対して特別な好意を抱いていたりするのだろうか。
 あ、と思ったその瞬間、ねっとりとした質感、汚染されたオイルのような液体が、巨大なスポイトのようなもので一滴、わたしの泉に垂らされた。どろっとした黒い異物が、胸の中心からじわりじわりと広がっていく。
 パタンと教科書を閉じ、ベッドの上で仰向けになる。左手でそっと、不快感を覚える胸のあたりにそっと手を当ててみた。わたしの手のほうが重たいのに、身体は正反対のことを感じているみたい。この身体に、たった一滴落とされた何か。その一滴が、わたしの体よりも大きな力を奮っている。

 この異物感と広がりを食い止めることはできるのかな。焦るようなモヤモヤがこみ上げて、今度は布団のなかに潜りこんでじっとしていると、自分の内側に侵入した異物と、今の自分が重なって見えてきて、なんだか可笑しくなった。
 これはいつか本で読んだ、魔物というものじゃないかな。形がないものだから、見えないし形容することもむずかしいものらしいけど、そいつらは、人が考えたり感じたりする場所へ、隙を狙って入り込んでくるウイルスのようなものなんだと。ウイルスも生きているから、居場所が欲しくなるのだ。

 そんなことを思い、感染した胸に手を当てながら、テラコッタ色をした天井の明かりが、部屋全体をやさしい光で包むようすを眺めた。
 電灯の周囲には、機器を取り囲むように、その側でうっすらと広がる影がある。こっちへ、と、その陰影をまぶたの中へ呼び寄せて、ゆっくり目を閉じた。

・・・

(つづく)

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筆名:絲川三未 SFやファンタジー短編、掌編、詩を書いています。 子どもから大人まで楽しめる物語、小説やエッセイをたくさん書きたい🦄 Paris⇨Tokyoへ(2020.3〜)