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枠に入れるということ

人間はポケモンのほのおタイプ、みずタイプ、くさタイプ···みたいに分けられるほどシンプルではない。

だけど、枠に入れられることで安心するという反面もあるのだと思う。私自身、個人的にはHSPという概念を知って、救われたことがあった。自分の持っていた違和感や生きづらさを説明してもらえたような気がした。


私の住んでいる国は、精神医療が進んでいる。カウンセラーにいくハードルも低いし、発達障害等に関する医療やサポートも充実している。

その分、日本に比べてたくさんの人がカウンセラーにかかってたり、精神科のようなところに行ったりしたことがある。そして、日本よりたくさんの人が、何かしらの発達障害や精神不調の診断をされている。

ADHD、ADD、アスペルガー、トゥレット、自閉症、うつ病、不安障害などなど。

極端な話、私の周りの人の半分以上は上記のうちのどれかと診断されているように思う。


冒頭のHSPの話とは矛盾するのだけれど、私は今のところどれも診断されたことはないが、何かの症状があったとしてもできれば正式に診断されたくないと思う。

今まで一般社会で特別問題なく過ごしてきていたとしても、例えばあなたはADHDだと診断されたら、自分が普通ではないと言われたように感じ、それまで通りの生活ができないような気がするからだ。

もちろんADHDの方でも普通の生活をしている方はたくさんいると思う。だけど、自分自身で社会不適合だという烙印を押してしまい、日常生活や仕事など知らぬ間に制限をかけてしまう気がする。

病は気からという言葉があるが、そのような状況を体現してしまうような気がする。


この国の知り合いにADDの人がいる。彼はかなり幼い頃に既にADDだと診断されていたようで、人生ほとんどADDだと思いながら生活をしてきたようだ。

彼のことを詳しく語れるほど親しい関係ではないのだけれど、事あるごとにADDを言い訳としてよく使う。学校に行けない、約束に来られない、身の回りのことをできない。私が彼に感じるのは、これらはADDのせいでうまくできないこともたっくさんあるのだろうけど、ただの怠惰や気乗りしない、面倒くさいという場合も全てADDという理由で片付けてしまっているように感じるのだ。

もしも診断がなければかなり違った人生を歩めていたかもしれない。ADDという枠に入れて、自分から制限をかけてしまっているのは果たして良いことなのだろうか。



別の知り合いに別の問題を抱えている人がいる。彼は日本で言う中学生のタイミングで医師に診断された。

彼はそれまでの数年、周りと少し違うことや学校についていけないことに疑問を抱いていた。どうしてうまくいかないのだろうか、多感な時期に抱えたモヤモヤは、その診断によって解放された。

「自分が変なのだと思っていたけど、実は“脳”に異常があると聞いて安心した。」

彼は医師の診断により、自分という存在が認められたように感じたのだった。そして、その後それにあったサポートを受けることができ、大人になった今は至って普通の日常生活が送れている。


私には、この発達障害や精神不調の診断が多いことが良いのか悪いのか分からない。だけど、枠に入れられてうまくいく人生もあれば、枠に入れられてうまくいかない人生もあると知り、深く考えるきっかけになった。

ただ言えるのは、診断結果にはその後のサポートが必要なのに間違いないので、必要なサポートが受けられる社会だと、生きやすい世の中なのかもしれないと思った。

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