私は5回鳥フンを落とされた女

タイトルの通り、私は人生で5回鳥フンを落とされた女です。
友人・恋人・家族。どの関係性の知人に聞いても、5回も落とされた人間はいませんでした。
統計を取ったわけではないため断言できませんが、人が人生で鳥フンを受け止めるのは0〜1回が平均ではないでしょうか。

鳥フンを落とされてよかったことは、話のネタになるくらいです。
「鳥フンは💩だから運がつくね」と言われることもありますが、私は鳥フン関係なく強運のため特に運気は変わってないでしょう。

とはいえせっかく鳥フンに5回も落とされた人生を歩んでいるため、noteに記すことにしました。
鳥が好きな方は、念のため閲覧注意です。怒らないでくださると幸いです。
また読んでくれた方に何か学びでもあればいいなと思いますが、学びがなくても不幸を笑ってくれますと嬉しいです。

すべてのはじまりは頭

私の鳥フン被害者人生が始まったのは、小学2年生の夏休み。
通っていた小学校は学校のプールに行かなければならない規則があったため、「暑いから行きたくないなあ」と思いながら家を出ました。

家から小学校まで、小学生が歩いて10分程度。そこまで遠くありません。
「汗出そうだな」なんて考えながら歩き始めて5メートル、頭に何か感じました。

ボトッ

話は脱線しますが、私は通学にあたって帽子を被っていました。
私の小学校は2年生から好きな帽子を被れるルールで、当時の私は後ろ半分がメッシュになっている水色のキャップを好んで使っていました。

つまり、帽子を被っているのに鳥フンは私の髪に侵食している!
脳が事実を処理できず、数秒フリーズしたことを覚えています。

しかし記憶はここまでで、そのままプールに向かったのか家に戻ったのかは謎のまま。
私の人生初鳥フンは、上級者な「頭からコース」でした。

2回目は傘と手袋

小学2年生から時は進み、中学3年生の冬。
その日は確かまあまあ寒い、雨の日でした。
受験生の冬は部活などないため、6限まで授業が終わればそのまま帰宅します。

薄暗い雲の下、4〜5人の友人と傘をさして喋りながら家に向かっていました。
私の中学校は山の上に立っており、夏は虫が大量発生する帰宅路。とはいえ冬のため、虫をはじめとした生物は出会いません。

しかし鳥は、どこまでも自分の翼で飛べる生物。
こちらが受験生とか、奴らには知ったことではありません。

ボトッボトッ

え。傘に衝撃あって、すぐに右手にも感触あったんだけど。
意味がわからない状況に驚きましたが、すぐに何が起きたかわかります。

そう、鳥フンです。

傘に落ちてきて1回ブロックできたにも関わらず、無慈悲にも傘を持っていた右手にダイレクトアタック。

ここでいい話と、悪い話があります。
いい話とは、幸運にも冬だったため手袋をつけていました。そのため手は汚れず、手袋を捨てるだけで処理できます。
悪い話とは、その手袋はとてもお気に入りのデザインでした。
鳥フンは💩!思春期だったため、💩がついた手袋を使えるほど精神は成熟していません。
しかも💩がついたことを友人に見られているため、ごまかせません。

思春期の私にはストレスが強く、鳥フンが落ちてきただけで泣いてしまいました。
傘と手袋は帰り道にあった水道で洗い流しましたが、私の記憶からは洗い流せませんでしたし第一志望の高校には落ちました。
(愛知県は当時、公立高校を2つ受験できたため第二希望の公立高校には受かりました)

3回目はリュック

中学校を卒業し、月日は流れ高校3年生の冬。また受験生です。
高校生の私は、電車と自転車を使って通学していました。

家から電車を乗り継いで、駅から30分自転車をこいで学校に到着。そんな日々もあと数ヶ月、と思いながら普通のスピードで自転車をこいでいました。
あれは忘れもしない、学校まであと5分のとき。そう朝の7時45分です。

ボトッ

待って、これ知ってる感覚だ。いやまさか、そんなわけがない。チャリ漕いでたから、私は動いてたし。
何か落ちてきた感覚があった左肩を、恐る恐る見た。
「あれ、なにもない?」と少し安堵しましたが、そんなわけありませんでした。
その日人類は思い出した、奴らに浴びせられていた恐怖を。

そう、私が使っていた白いリュックの肩ベルトは、鳥フンで少しモノクロになっていました。
ここでもいい話と、悪い話があります。
いい話は、実はリュックの肩ベルトにだけ鳥フンが落ちたため、制服・髪にはフンがついていませんでした。
悪い話は、このリュックがお気に入りだったことです。しかもあと数ヶ月で卒業なのに、リュックを買うのはなんだかもったいない。

制服と髪の毛は無事でよかったけどリュックどうしよう、と悩んでたら学校に着きました。
教室まで行かず、途中の水道でリュックの肩ベルトを必死に洗いました。
冬の冷たい水で、誰もいない廊下で一人リュックの肩ベルトを洗う。あまりにも惨めで軽く泣けてきたタイミングで、クラスの割と仲良しな男子が登校してきました。
気まずそうに、黙って通り過ぎてくれました。あれは優しさだと、今でも思っています。

4回目はスカートと左足

無事第一志望の大学に入学し、1年が経った大学2年生。
家賃以外の仕送りなしで一人暮らしをしていたため、稼ぎやすい深夜帯に働きたいと24時間営業のカラオケバイトを始めました。

店長と行う座学の研修を終え、店長がいない初バイト!時間に間に合うよう、原付で最寄り駅まで行きました。
無料の駐輪場に原付停めようと、敷地に入った途端、大音量の鳥の鳴き声。駐輪場の横にあった木は、どうやら鳥が会合を開いていたようです。

ボトッボトッ

驚いたのか、羽ばたき始めた鳥は置き土産をくれます。
避けれなかった私。
スカートと左足のふくらはぎに、鳥フンがつきました。お気に入りの白いスカートでした。

鳥フンは大体、お気に入りのアイテムを汚します。豆知識(?)です。

仕方なくカラオケバイトに向かい、ほぼ初対面の先輩に「聞いてください!鳥フンかかりました!ここ!人生4回目なんです!!」と自慢しました。
先輩ひ「鳥フンかかったことある人のが少ないよ。あっても1回だよ」と若干引かれながらも、使い捨てお手拭きを渡してくれました。
鳥フン4回目にして、ようやく泣かないメンタルを手に入れました。

このように頭・右手・左肩・左足と新たな被害部位を、大体5年に1回くらいのペースで増やした20年。
私がエグゾディアだったら、次、右足に鳥フンかかって封印が解けます。

5回目は左腕

先にネタバレをすると、私はエグゾディアにはなれませんでした。
大学を卒業し、上場企業に入社してドキドキの日々。コロナ禍がスタートした年であったことも影響したのか、営業は全くうまくいきません。
飛び込み営業したくないな、と思いながら大学を卒業してから2年が経ちました。

あの日は確か、少しずつ夏に向かい始めた時期。真っ青な空が印象的でした。

嫌でも仕事はしなければならないため、真っ青な空の中憂鬱な気持ちで外回りへ向かいます。
会社を出て、近くのコンビニを通り過ぎて約2分。

ボトッ

あー、わかった。もうわかった。
人間、鳥フンを5回もかかればわかります。鳥フンが落ちてきた感触。
カバンを背負っていた左手。ちょうど手の甲と肘の間。そこには鳥フンが落ちていました。

ここで、強運の私が活躍しました。
暖かい時期だったため、長袖の裾を肘までまくっておりスーツは汚れていません。
またカバンの中にもフンは落ちておらず、無傷です。
コロナ禍のためアルコール入りウェットティッシュを持ち歩いており、すぐに鳥フンを除去。
この頃には泣いているどころか、鳥に向かって心の中で威嚇するくらい強くなりました。

【番外編】鶏肉を食べる

実は鳥フンの被害を受けすぎて、なんとかしなければならないと大学生のときに思いました。
そこで考えついたのは、「鶏肉を食べ続けたら、いつか鳥がいなくなる」という鳥撲滅運動

本当に鳥がいなくなったら困りますが、なんとかして鳥に復讐がしたいと思った私は積極的に鶏肉を食べるようになりました。
居酒屋では焼き鳥屋を選び、ランチではチキンを頼む。家では親子丼を積極的に作る。

私の小さな復讐として、現在も鳥撲滅運動を行っています。
いいなと思った方は、ぜひ一緒に鳥貴族へ行きましょう。

まとめ

私はこのように、特に狙っていないにも関わらず5回の鳥フン被害を受けました。
これらの経験を活かし、現在は鳥フンにかからないために以下を気をつけています。

  • 電線の下は歩かない(鳥が止まっているため)

  • 鳥がいる木には近寄らない

  • 森・山など自然の中を歩くときは、定期的に上を見る

電線の下は、特に注意が必要です。私の鳥フン被害1回目・5回目は、どちらも電線の下でした。
また鳥がある木に近づくと、私の4回目の被害と同じような目にあうリスクがあります。

ぜひこの記事を参考に、鳥フンから身を守る術を考えてください。
また複数回、鳥フンの被害を受けた方はぜひ教えてください!慰め合いましょう。


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