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(13) 姐さん、夏の大移動 2024 〜純情人情・人形町さんぽ!

なんや、姐さん!
パリへ戻ってさんぽかと思いきやまた日本ネタかいな。
そんなんおもろないで〜、とか言わんといてーな。

いや、別に大阪行った訳やないんどすえ。(あれ?)
ほんまンとこ言うと、姐さん小学校時代は大阪やったさかいしゃーないねん。
ま、いわゆるバイリンガルッちゅ~やっちゃな。
大阪寄るつもりで予約してた飛行機が急に東京直行便になりましてん。たまにはええですわ、小学校ンときの隣のおばちゃんにでもご挨拶していこかー、なんて思ってましてんけどそれもあかんかったしな。

しゅっぱーつ👉の話は前回のたなぼたン時に書いてますんでそっちゃでどーぞ。



で、着いてすぐのお昼はたこ焼きでんがな。
東京にいたって好物は大阪名物のたこ焼きでんがな。
ま、姐さんこれ食べてたら池袋通過したっちゅーことでんがな。



池袋はね、色々誘惑多いんですわ。
ちょっと地下鉄乗り換えよ、と思ったらコレですわ。

産地直送イベントで、和歌山から。
紀州・木の国、木のおサジ。
あー、コレちょうど買おうと思ってたやっちゃ!

グッドタイミング...と寄り道しちゃってなかなか目的地へ着けない姐さん!


しかも隣には瀬戸物、美濃焼やんかー!
元焼物好き姐さん素通りできるかいな。

いやいや、姐さんせやけどこれから東京さんぽへ行くんとちゃうん?
こんなん持ってたらジャマになるし。
うん、よ〜わかってんねん。でも後ろ髪引かれる思いやわ〜。

ほらほら、わっぱもあるで〜。
いや、わっぱいらんわ。


とりあえず木のスプーン数本で許しといたろ。
これなら軽いしな。

ほー...
やっとのことで来ましたえ。


半蔵門線でニンニンと「水天宮前」駅下車。
ぱっと目の前に現れた、箱崎シティエアターミナル。
ありゃ、振り出しへ戻った気分。
こっからなら空港へ一直線じゃなーい。
ってまだバカンスは始まったばかり。
姐さん、そんなに焦らなくても。
いや、でもついつい場所確認しちゃうんですわ。
本能か?

そして、すぐ着きました。本日の第一目標。

『ミュゼ浜口陽三ヤマサコレクション』


はぁ?
姐さん、なんでこんなところに!?
ヤマサコレクションって!?

って方は、姐さんのコチラの記事をどーぞご一読。


実はね、銚子のヤマサさんへ行ったときから、次の帰国時はココ! と決めておりました。
ハイ、今回遂に長きに渡る完結編!


今年は美術館創設25周年という節目ということで、企画展として「版画の黒と南画の黒」を一同に介したそうで。


波多野華涯 (はたのかがい) は、大阪生まれの南画家の女性。浜口陽三の父の南画の師でもありました。


今回はその華涯の描いた屏風が展示されて。

シブいっす〜〜。
銀屏風!


『蘭竹図六曲一双銀屏風』


この恐るべしボヤけのタッチ。
それでいて繊細。女性らしさが滲み出てますん。
いわゆる朦朧体、ってやつですが、かの横山大観センセイもびっくりですな。

シンガポール時代に培った水墨画のお陰で、帰国時にはなるべく日本画にも触れる機会を探しておりました。



こちらの屏風はなんと、2023年5月のG7広島サミット宮島会合において各国首脳達の背後に飾られたとか。


公式サイトより

あ〜、コレコレ。
おフランスからマクロンさんも行きましたね。
ステキ〜、(もちろん屏風が)
あはん♥



そして地下には、浜口陽三氏の作品がずら〜り。
彼もパリに滞在した時期がありました。



浜口陽三氏

独特な作風で作る銅版画は、静を表現するミニマリストな生の表現。




『西瓜』(1981)  『22のさくらんぼ』(1988)
『野』(1985-91)
姐さんのスキな赤で揃えてみたハガキ。


画集より 『パリの屋根』(1956)


『びんとさくらんぼ』(1971)
この空間の使い方、見習いたい。

奥様の南桂子さんもまた同じく銅版画家。
お二人の作風はなんとなく似ているような気もして。


美術館サイトより


ギャラリーサイトより


小さなミュゼを堪能し、これからどちらへ向かおうか。
特に予定を立てるわけでもなく、風の吹くまま気の向くままに。いつも行き当たりばっ旅の姐さん。今回もまた。

かつてママりんに頼んで水天宮へお参りしてもらった記憶はございますが、自らこちらへ来るのは初めて。
せっかくなんで水天宮さんから始めましょうか。


〈本日のMAP〉


箱崎シティターミナルを背に地下鉄水天宮前で降り、ちと左へ曲がった所にミュゼがあり。

今度は出てきた大通りを浅草方面へやや北上。
すぐ右手に現れた水天宮さん!


ザ・モダニズム。
この階段を上がると、胸の谷...じゃないビルの谷間にあるんです。水天宮さんが。


最早ご利益を期待しても何も出ませんので、ここは見学のみでお参りはカッツ・愛。
5円玉の節約に協力いたしております。

ほう、コレが子宝祈願のおイヌさま🐶
一応頭を撫で撫で。
あはん♥


てなわけで無事参拝済みまして、あらためての人形町さんぽ、しゅっぱーつ👉


まずは水天宮さん出て最初の交差点にある老舗、人形町の人形焼と言えばここ。重盛さん!
日に3千個、多い時は1万個売れると言う。
元は文楽人形、今は七福神のお顔をかたどったお菓子。

人形町は文楽の人形使いが多いことから付いた地名だそうですから。


ただね、知ってる方多いかもしれませんが姐さんはアンコ嫌い。
見てるだけー。ってかお写真取るだけー。
大変日本的なお顔のお美しい販売員の方ですね。
毎日人形焼を見ながら売っていると、お人形の様な顔になってくるのでしょうか。
と言うことは、姐さんも怒ったように眉が逆八の字になっているのでしょうか😠。何故って時計屋さんで機械時計をいつも10時8分に合わせることになっているので。いやいや8時20分?😣

アンコ好きにはこちらのサイトを。


そしてかつては、姐さんの好きな向田邦子さんのエッセイにも書かれてましたん。

向田邦子著


そして重盛をさらにまっすぐ進むと、こちらも老舗、京菓子の壽堂さんどすえ。

氷の暖簾が夏を演出してますね。
(と無理やり夏だったことを強調)

目にも美味しい和菓子と、若鮎最中。
ミニひまわりが一味効いて🌻
ステキなショーウインドー。

こちらの名物は、ニッキの効いた黄金芋。
こっちのほうがイケるかも。

1884年(明治8年)創業、蛎殻町から明治40年こちらへ移転。以来100年以上看板商品の黄金芋。


向田邦子著

流石に今は100円ではないんでしょうが。

そのまままっすぐ行きますと、時計屋さんの姐さんを楽しませてくれるこんなモンが!


人形町名物からくり時計や!
ハイこちら、前から。


そしてタワマンをバックに後ろから。
あはん♥


だけど!
なんとこのからくり時計、「調整中」ーーー😭

そんなバナナ。


えー、見たい見たいー。
と思うのはみなさんも同じはず。

せっかくなんで見つけましたよ。
こちら!



昔まだ写真はフィルムで撮っていた頃、神田、日本橋をモノクロで撮りながら歩いたのを思い出します。
こんな何でもない風景が、今の姐さんにとってはとてもノスタルジック。


そしてやっと来ました、「甘酒横丁」交差点。
ハイ、右折でござんす。

ココ入るともう心臓どっきーん♥な昭和の風景。
まるでタイムマシンに乗ったかのようです。


まずはこのターコイズ色のタイルに釘付け!

こんなキレイなタイル、ポルトガルのアズレージョ以来かっ!
とひとり感動。

だけどココも洋食の老舗らしい。
そりゃ、ビーフスチュー3410円って老舗じゃなかったら来ないでしょ。


姐さん的にはスペインを思い出しながら、クロケッタス、カニクリームコロッケをお試し致したいもんですね。

その後はこちらの履物屋さん。
今やもうこことか川越とかにしかないんじやないですか?



靴屋さんじゃないんです。あくまでも履物屋さん。それにみなさん、傘は履物屋さんにあるんですよ。最近はコンビニでビニール傘買えますが、そうやたらに変えなかった頃は、奥さんが駅まで傘持って迎えに来てくれてたんですね。携帯なんかありませんから。

「あら、降ってきた。」なんて言いながら夕餉の支度のエプロンはずして時間を見計らって駅まで旦那さんをお迎えに上がります。
「おぅ、よくわかったね。助かったよ、ありがとう。」
なんて相合い傘で帰って来てね、
「あら、すっかり肩が濡れちゃって。このままお風呂でも如何です?」
「うん、じゃあキミも一緒に。」
「え、そんないやだわ。あら、アタシも濡れ濡れ。あ、じゃあお背中でもお流ししましょうか。」あはん♥

...てなことんなってもうその夜はふたりであはあはん♥なわけでして。
まさに昭和のラブラブシーンっすよね。

いやん♥
姐さんただの履物屋さんで、そこまで妄想列車暴走中💋


は、お次は。
マルキヨさん、こりゃどー見たって下町の呑み屋。
しかし残念ながらまだ日も高いのでまだまださんぽさせていただきますよ。


ってことでガン無視。

その次に来たのは、またアンコ!
たい焼きの「柳屋」さんね。


1916年、大正5年創業。
こちらも老舗。
色々メディアにも出てらっしゃるみたいなんでアンコ嫌いの姐さんはもちろんのカッツ・愛ですがそれにしちゃ誰も並んでなくて勿体ない。
お好きな方なら泣いてくやしがりそう。


その後はこちらの雑貨屋さん。
姐さん的にはめーっちゃオサレ🤩
いわゆる代官山辺りの、おフレンチ系雑貨屋さんとか、北欧系雑貨屋さんとかアウトオブ眼中やから。


ニッポン人の魂ココにあり、って感じの戸田屋商店さん。
1940年からってんですからスゴイですね。


湯桶に風呂椅子、おひつにすりこ木、鰹節削り箱にところてん押出し箱、籐まくらにどじょう掬いザル、編笠、軽石、へちまのたわし、アタシの胸は洗濯板で、アンタの〇〇特大しゃもじと。
何でもありぃの下町人情。

おや、下町のさんぽみち、甘酒横丁たぁココのこと。

売っているのは甘酒かい?
いやいや甘酒だけじゃない。

お煎餅屋さんもありますね。
大きなショッピングモールなんていりません。
昔ながらの商店街、餅は餅屋、煎餅は煎餅屋、だったら酒は酒屋さん。


そして料理屋さんはまだ支度中。
なんだか絵になるこの並び。
ちょっとスケッチしたくなりますね。


お豆腐料理の美味しいお店もあるんだとか。
間口が狭いのは京都も同じ。
これもきっと伝統的なサイズ感。
パリの町の建物の入り口の高さは馬に乗ったまま扉へ入れる、という高さが伝統的なサイズ感なんですが、日本のこの格子戸のサイズっていうのも昔ながらの伝統があるんでしょう。


と、ふとお店が切れた辺りに、何やら見たことのあるお姿の銅像が。

そうです、弁慶さん!
ここをずーっとまっすぐ行くと明治座があるんです。昔は他にも何件か歌舞伎小屋があったようで、それを偲ぶ為に『勧進帳』より弁慶さんを。
今は公園になっておりますが、なんとなく昔は小川だったか、お堀だったか。水路の跡でござんしょう。
と名前を確認すると、浜町川緑道。

そこをまた左折して北へ北へ向かいますと、  警察のある交差点へ。


その裏すぐに日本橋小学校。
下は小学校、6、7階には日本橋図書館があるそうで。最近はこのような縦に高い複合施設が多くなりましたね。


この辺りをうろちょろしていると、こんな町中華、発見。
お久しぶりですね、6さん!



いつも姐さんの拙い歌に返歌を頂きウレシいのでこんなささやかなプレゼント!?
あはん♥


そこからまたぷらぷらしてますと、ん!?
匂う、老舗の香り。



ひっそりたたずんでおります。
1872年(明治5年)創業の梨園染め戸田屋商店さん。
あれ?また!?
さっきのオサレな雑貨屋さんと同じお名前って...

こちらは手染めの伝統工芸に指定された染色方法を伝える染め屋さん。
なかなか粋でモダンな柄が多く、しかもタダでこんな外壁に手ぬぐいコレクションを飾っていらっしゃいます。


カタログを拝見すると、どれもステキで全部欲しくなっちゃう〜。
カタログダウンロードしなくっちゃ。
しかも越中ふんどしのコレクションまであるんですん。


この日は七夕の手ぬぐいが額に入れて飾られていました。

その後この辺をジグザグにぷらつきます。
繊維関係の会社が多いですね。
手ぬぐいも布地あっての染物屋。
やはり深い関係ですん。


三越さんも元は呉服屋さんですもんね。

またこの辺の地名、大伝馬町とは江戸と日光を結ぶ街道へ伝馬を飛ばすための馬を待機させていた場所だった、ということで。

そして織物中央通りは昔の呉服問屋が並んでいた名残。

広重の版画にもこの辺から富士山を望む超遠近法を使った一枚がありました。


東都大伝馬街繁栄之図



そして今回姐さんがとっても行きたかったのがココ!
『日本橋ブリュワリー』。



でもね、珍しくめっち迷っちゃいました!
おまけに東横インのフロントのお兄さんにまでわざわざ聞いちゃいました!
で、見つけたんですが...

閉まっとるやんけ!!
なんでやねん。いやいや姐さん今日はちと早いねん。まだ5時にもなってないから。

日本人めっちゃ時間に正確やな〜。
時計屋さんもびっくりやで。
フライングとかないんかい。
パリのカフェみたいにノンストップとかもないねんでー。

もう、がっかり。
口はもうビール待ちの口に。

しょんぼり下を向いて歩いていると、こんなものが。イケてる!
♪上を向いて歩こうよ

スカイツリーだって見えるんだから。


足はそろそろ帰り道へ。
まだまだあるね、老舗のお店。

紙好き姐さん、とっても気になる。

だけどウインドウだけで我慢しとこう。

首都高をくぐり抜けるとタイムスリップもおしまいです。


わー、日本橋のこの辺は全く知らんわ。
これこそまさに、浦島太郎姐さん!


そして無事にJR神田駅へと到着したのであります。



これにて、一🌸件🌸落🌸着🌸


長々と人形町さんぽ、お疲れ様でした。
それではまた次回もよろしくどーぞ。


あはん♥

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ムーンサイクル
チップは心の潤いです。うるうるっ♥ 姐さんを潤わせてっ!