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【不定期】ただ書きなぐりたいだけ(その1)

思いつきの雑記。キーボードによるストレス解消。

#自己紹介 もなく、こんなタイトルでいきなり書き始まる。

紹介するべき自己があればそんなものも書き上げるけれど、あいにく自分には紹介するほどのこともない。強いて言うなら写真撮影とゲームが好き。

申し訳程度の自己紹介は以上。

〜以下、ただの思いつきと愚痴〜


 そもそも何を思ってこんなところで微妙な時間に、しかもいきなり書き始めたかと言うと、仕事のストレスで作られたペッパーミルに突っ込まれて、哀れな胡椒よろしくグラインドされているような気分だから。そんなもん調味料にすらならん。まったく。


 そんな気分をどうしようかと言うことで、ストレス解消にでも文章を書き殴ろうと思い立ったのがこれ。昔から文章を起こすこととか、そのレイアウトとかをキレイにまとめるのが好きだったから。学生時代の卒業論文は、研究、図やグラフ作成と執筆にかけた労力と同じくらい、文章構成を練っていた。いまでも雑誌なんかの活字媒体で、文章の途中で写真やページを挟むのを見ていると直したくて仕方がない。
それ以外にも、近い箇所で同じフレーズや接続詞を使うのも気持ち悪いし、なんなら読んだときのリズムすら気になって句読点なんかで制御をしたり。


 今でこそもうやってはいないけれど、ツイッタランド中毒だった時代には、話題を拾っては140文字の制限と格闘しつつ大量投下なんかをしていた。というかそれで文章構成力や、制限字数内に収めるための代替語力を鍛えられたのかもしれないとすら思うところ。
そんなことも今は昔、つぶやくことは減り、打ち込んでいるのはしょうもない仕事のメールとFF14でのチャットだけ。
ということもあり、何か思いつくことでもストレス解消に叩き込もうというのがこの投稿。Web屋ではないし、まともにHTMLだのなんだのを勉強している訳でもないので、非常に現代的でない文章の作り方になるとは思うけれど、どうせチラ裏レベルの書きなぐり。好き勝手書くとする。


 それは前フリと呼ぶにはあまりにも長大だった。もはや本文なんじゃないかとも思われるくらいに。というかこれ十分に自己紹介なのでは。


 思うに、活字との出会いは本当に早かったと思う。小学生になる前には母親の絵本の読み聞かせが大好物になっていて、(その作品自体が何かはもう忘れてしまったけれど)お気に入りの一冊は明らかに年齢にそぐわない作品だったことも覚えている。けれど、読み聞かせて貰っていた本なので、ある時には苦もなく自力で読めるようになっていた。
思えばそれが自分と活字との出会い。
外でたくさん遊んだし、友達の家にゲームをプレイしにたくさん通った。それと並ぶくらい色々な本を読んだ気がする。特に挿絵の多いものを好んでいた。日本の昔話やかいけつゾロリなんかの子供向けの小説、間違いなくここには書き出せないくらいを。
それがあったからか、はたまたただの感性なのか、ある時から活字で織られる物語が映像にしか感じられなくなる時期が来る。


 集中して本を読んでいると、あたかも自分が本の中に入り込み、まるでカメラマンになったかのように映像として流れた。きっとこれを読んでいる人々も感じていることだと思うけれど、それは自分にとって本当に気持ちの良い世界だった。もう一つの現実世界。
決して主人公はじめ作中の登場人物としてではなく、あくまでも傍観者としての客観的な映像体験をたくさんの本から得た。小説や映画の文庫版が好きで、そのハイブリッドみたいな吉川英治さんの三國志は、描写力も相まって、鮮明に映像として再生されたことを覚えている。
そして逆に、映画などの実際の映像コンテンツがただ流れるだけの物に感じられてしまい、見られなくなってしまった。


 幼少期からテレビとは縁が遠かった。まだアナログの、家の屋根に針金でできたアンテナを乗っけて受信していた時代、住む場所が必ずテレビの電波の受信状態の悪い環境だった。そうなってくると映るテレビ局も限られてくるし、観たい物が必ず見れるというわけではもない。
自然とテレビから離れていった。
その代わりに本をテレビ代わりのように読んでいたのかもしれない。映像は自ら流れて情報を投げてくるけれど、本というのは自分から読まないと進まない。情報の受け取り方が受動的な映像と違って、本には能動的に、そして自主的に読み進め、自ら想像して映像化する読書という行為を経る必要がある。逆に、読書というプロセスを経ないと映像コンテンツを見ていられなくなってしまった。
映像、ただ流れてくるだけだから集中できないんです。


 今思えば、単純に映像の見方が分からなかったんだと思う。
本は同じフレーズを何回か分かるまで読み直すことができるけれど、映像というのはそのまま流れていってしまう。数秒戻ることも勿論できるけれど、本ほどの気軽さが無いし、本以上にリズムが崩れてしまう。
映像コンテンツのリズム感は、音楽、演技、セリフとカメラワークなど映画を構成する全てが刹那ごとに築き上げる、オーケストラのような流れの中から生まれるものだと思っていて。オーケストラの演奏を理解するために、ワンフレーズでリピートをすることってあまり無いとおもう。きっともう一度最初から通しで聴き直しているんじゃないかな。
まぁあくまでも個人的見解なんだけどね。
今思えばそういう流れていく映像を理解することもスキルの一つで、それが欠けていたせいで、映画やアニメを観なかったんだなぁと、これを書きなぐりながら気づく。


 文章を書くことが好きという話をしてたはずなのに、気がつけば本と映画の解釈方法の違いとか、映画のリズム感だのなんだのを書いてしまっていた。ナメクジの這った後のような文章内容だ。


 それはともかく、こういった本と映画の違いを自分でも知らないで実は昔から気づいていたのかもしれない。
それ故に文章を書くことが好きなんだと。
他にも何個か文章を書くことが好きな理由があるんだけれど、何よりも自分にとって文章というものが一番いろんな事を表現できる道具なんだと思う。誰にだってあるよね。ある人は音楽、またある人は絵画とか。
はたして自分でここまで言うほど、今まさにこの文章が自分の一番の表現の道具として成り立っているのかは分からない。けれど、(読みやすさはさておき)ここまで結構な字数をパーッと書いてしまった事が、その証拠でも良いと思う。久々に楽しかった。

自分の思う表現で、自分の書きたいことを。

文章を書くことって、自分にとって楽しい事なんだと。


今日はここまで。
また明日からペッパーミルライフが始まると思うと、ここまでに積み上げたこの無駄な活字の山の中に引きこもりたいとさえ思うけどさ。

まぁ、また積み上げに来ればいいか。

ここまで読んでくれてありがとうございました。
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