鯖に鯖味噌は似合うけど、鯖味噌になりたいわけではない話

ファッションとはその人のアイデンティティの発現であり、そのものである。それは自由であるはずで、人それぞれが様々な表現をできる一番身近なものであるはずだ。

しかし人はそれを「おしゃれじゃない」「似合ってない」「こうしたほうがいい」と言って否定する。それは当然のように一般的に行われ、時に笑いものとさえする。悪口としても扱われよう。
ファッション=アイデンティティとした時にその行動は相手の人格を否定し笑いものにすることと等しいのである。
そして人にファッションを「アドバイス」という名目で「強要」すること、それは相手の人格を他人が規定、干渉する非常に侮辱的な行為である。
その干渉が「優しさ」の一部として行われるのが何よりもタチが悪い。自分にとって善意で悪気のない自己満足な、相手を傷つけ否定する殺意。ぶっちゃけ死にたい。
アドバイスを受けて喜んで自分のファッションを変えられる人はそれで良い。その人はファッションが好きな人であるはずだから。自分をファッションで表現したい人であろうから。
けれどそうじゃない人がたくさんいる。
ファッションなんて分かりもしないし、好きでもなんでも無い。それなのに色んな人に自分が自分として着ているものを否定され、規定され、強要される。
言い換えれば「好きでもなんでもない自分のアイデンティティを、さらに他人から否定、規定、強要される。」
疲れるわ、こんなもん。
そんなに私のファッションに何か言いたいならもうこの私のアイデンティティをあなたにあげるよ。好きにやってくれ、それはすでに私じゃないけれど。

自分をファッションで表現できる人とそうでない人を一緒にしてほしくない。
それができない人に強要をしてほしくない。
あなたのその他人へのファッションアドバイスは「殺人」と何も変わらない。

ファッションをこだわれない人はファッションで自分を武装、または自他に嘘をつく事が苦手なだけなのである。
ただし自分をファッションで表現することも武装の一部だということは忘れてはならない。「自分はこういう人間だ」という武装。
けれど人によって何もかも考えや性格は違う。経済的優先順位だってある。アイデンティティの優先順位だってあるはず。
それを万人ができると思わないでほしい。それを万人がしたいと思わないでほしい。
しかし勿論TPOに合わせたファッションというのは間違いなく履行されるべきである。それはアイデンティティではなく、「正装」という文化的なものであるから。

ファッションを通じた他人アイデンティティの「私物化」はもう止めてほしい。
そう、感じる人がいることをわかってほしい。




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