『試合開始』


4月。次の大会でのスタメンが今日発表される。
一度呼ばれたあの日以外俺は名前を呼ばれたことがなかったし、高校では一度だって無かった。呼ばれたいと思うけれどほんの少しだけ怖い気がしたのも事実で。聞きたくないような聞きたいような気持ちを抱えつつ、顧問がこちらへ向かって来ているのを確認し主将から指示に返事をして整列した。

「大会第一試合のスターティングメンバーを発表する」

高校2年の春。4月某日。天気、晴れ。

「────、────、寶井久貴。以上だ」

名前を、呼ばれた。
反射的に返事はしたものの何を言われたのかわからなくて混乱していれば不意に強く背中を叩かれ我に返る。隣を見れば史哉がニヤリと笑って、やったな。動く口元を見た。

あの日からあっという間に時間は流れ気づけば大会当日。
シュートに沸き立つ観客席、飛び交う応援、ドリブル音、眩しく光る高い天井、輝くコート。めいっぱい視界に広がる世界。ただの体育館と言えばそうなのにやっぱり思ってしまう。

ついにこの日が来たと。
焦がれていた日が、ついに。

そう自覚してしまえばもう駄目で。コートに入る直前、急に手が震えた。とっさに握り締めて初めて自分の手が酷く冷たいと気付く。冷えていると言う自覚すら無かったことに動揺して思考が乱れた。ああ、くそ。ふざけんな、最悪だ、手なんか震えてんじゃねえよ。怖いのかここが。あの頃の大会でコートに立つなんて一度もなかったから?馬鹿じゃねえの。武者震いだろうが。思わず心の中で悪態をつく。今更緊張しているなんてそんな情けない奴だったのか自分は。隣のコートでの試合が盛り上がっているのか声援が飛び交っているのがよく聞こえた。それが今はやけに煩わしい。俯いてきつく、目を閉じて自分に言い聞かせる。

……もしこの試合に勝ったとして。急に今日からヒーローになれるわけでも、突然空が飛べるようになるわけでもない。明日は必ずやってくるし、地球は常に23.4度傾いて回っている。いや、最近は23度なんとか秒なんだけ。まあ何にせよ世界は俺の存在程度では何も変わらない。目を開けて少し笑ってみる。

嗚呼。

それでもどうしてだろう。まだ始まってすらいないのに終わりたくないんだ。この試合に勝てばまた1分1秒でも長くコートに立って試合が出来ると知っているから。相手を掻い潜ってパスが通った時の心地良さも、リングに触れずにボールがゴールへと吸い込まれた時の高揚も、勝ったと言う何にも言い表せない喜びも全部ぜんぶ知っているから。息を吐いて、吸って、また吐いて。俯いていた顔を上げて前を見れば視界に入る同じユニフォーム。

「勝つぞ」

小さく一言自分に言えば

「おう」

「当たり前だろ」

「行くぞ」

当然のように帰ってくる皆の声。ああもう狡いな。まるで俺を信頼しているみたいにそんな声で、顔で、笑わないで欲しい。

ふと、隣に誰かが立つ気配がした。
誰かなんてそんなの一人しかいないけれど。

「遅い」

「うるせー」

軽いやり取り。それでもここに来るのに俺は何年掛かっただろう。待たせてごめん、なんて言わない。お前が俺をどう思ってるかなんて知らないけど俺にとってはライバルだから。プレーで証明してみせる。お前の隣に立つのは俺だと。

もう、手は震えない。


『試合開始』