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鷺ノ宮のワンルーム


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 ユイは500ml缶に残った、すっかり温くなったハイボールを喉の奥に流し込んだ。目の前には、つい先程まで居たサークルの一つ下の後輩、魚見のお尻の形をくっくりと残したクッションが、魂を放出しきった抜け殻のように座っている。3年生の魚見は、就活の相談と託けてウチに押しかけては、丸5時間彼氏の悪口を言った後、その彼氏に電話で呼び出されて嬉しそうに帰っていったのだ。


 だがこれは、ユイにとって珍しい話でもなかった。

 彼女はその鋭く長い目と膨よかな唇、人より少し長い足にハイヒールという身体的特徴、または滑舌の良い低い地声と、遅い発話から繰り出されるインテリちっくな語彙という精神的特徴で、周囲から(先輩にさえ)「ユイネエ」と呼ばれていた。彼女自身それを甘んじて受け入れて来たし、そこが彼女のサークル内での居場所だと確信していた。だから彼女は弱音を吐くことは一切なかったし、人の相談に乗る時、いつだって負のエネルギーを受け取っては、それを懐の奥底に閉まっておいた。

 いつだってユイは皆の「ネエ」であり、己の「ネエ」でもあろうとした。


 明日もまた飲み会であることを思い出して憂鬱になりながら、彼女は食卓の上の皿や鍋を片付け始めた。机の下に落ちた箸を拾おうとした時、そばに魚見が着けていた淡いピンクのウールストールを見つけた。明日返してやろう、と端を合わせて綺麗に畳み、玄関に置いておいた。皿や鍋を洗い、乾拭きしてから、シンク下のスペースに収納するついでにガスの元栓を開けた。炊飯器を朝6時に炊き上がるように設定し、服を脱いで脱衣所のハンガーに掛ける。お気に入りの白のブラウスは汚したく無いと思ったからだ。


 12月の深夜は、キャミソール一枚のユイにとって決して心地の良いものではないはずであったが、不思議と彼女は野に放たれた羊のように晴れ晴れとした気分がしていた。否、彼女自身それは全く不思議ではなく、懐の奥底にいた者たちが蠢く気配を感じていたのかもしれない。それは洞窟で水滴が巨大な穴を作り出すのと同じで、長い間着実に、目視できないほどゆっくりと進行していた。警報音が鳴っていたが、それが近くなのか遠くなのか、もはやユイには判断がつかなかった。


 ユイは、これまでの仕事ぶりを鑑み、自分を誇りに思った。そんな時彼女はタバコを吸う。引き出しの奥に眠っていた、しけったセブンスターから綺麗な形を保ったものを一本取り出し、口に咥えた。ライターの着火部に指置いて、一瞬玄関に置いたはずのウールストールの暖かさを思った。ユイはそのままバチッと火をつけた。

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1998年生まれ。早稲田大学社会学専攻。小さい頃から「お勉強」が得意な子として育ってきたが、受動的な学習に疑問を感じ、近年は創造的な活動に身を投じている。アートライティング・イラストレーション・ファッションスタイリング・フォトグラフィー・映像制作を行う。