わたしの死生観、未成年の輝き

最近、死ぬことについてよく考える。苦手な方、重く受け止めてしまう方はここでブラウザバック推奨だ。多分そんな重い話はしないし出来ない。重くする語彙がない。




 私は、人生とは、やりたいことリストのチェックを1つずつ潰していく作業と同義だと思う。やりたいことがなくなったなら死んでもいい。変わり流れることはあれど、多分なくならない。だから死ねない。そんな考え方だ。もちろん、事故や他殺、その他突然死はあると思う。それが天命だとは思わない。アクシデントである。

また、この思想は自分が死ぬことによる周りの影響等を一切考慮してない。一人暮らしで社会を断片的にしか知らない、無知で浅はかな青年期だからこそ考えられる、独りよがりな思想だ。普通に我に返ると、自分が死ぬと親も悲しむだろうし(人の家庭はそれぞれである)、悲しむ親の姿は見たくない。以前親と口喧嘩をして(体も使ったかもしれない)「ちょっとママ頭冷やしてくる」と言わせ、寝室に行き、泣かせてしまったのだが、あんな心苦しい、こっちだけが悪くもないのに罪悪感で押しつぶされそうになる、あんな思いは二度としたくない。



なにが言いたかったのか分からなくなってきた。前置きと保身をかけた(書けたとかけている、という最後の手直しに気付いた高等テクニック)ところで、話を戻そう。そして書くことを提示しとこう。死生観というより、時間の不可逆で一過性であることを嘆くだけの文章になると思われる。



目次

1 やりたいことって忘れるし、思い立ったらその年にやりたい

2 やりたいことは変わるし、やりたくなくなるかもしれないし、できなくなるかもしれない

3 経験は何よりの財産

4 未成年の輝き


 1 『大人になったら、忘れちゃうのかなあ?』ドラえもんのOPの歌詞である。いつもここで涙が出る。年を取ればなおさらだ。現に、私も小さいころや中学生のころ、卒業文集で「将来の夢」なるものを書いた。実家に帰って見返してみると、こんなんになりたかったんだ、私って、と、他人の文章を読んでいる気持ちになる。(文章を書くにあたって、具体的に何を書いていたんだっけと家の中を探してみたが、卒業アルバムは見つかったのに卒業文集は見つからなかった。私の中ではそんなもんだったんだ、と思うと同時に何か大切なものをまたひとつ、指からこぼれ落ちたような気がした。)まあ何が言いたいかというと、「今」なんて流れて忘れてしまうから、今を大事にしようって話。


 2 1と被るけれど、続けて書いたら長くなりそうだったので株分け。私は自分が可愛くなる(見える)のが好きである。ファッション、メイク、見た目と中身性格も然りである。そんなことはどうでもいい。私はゴスロリやミニスカ、とにかく可愛い服で街を闊歩したい。しかし、それは無情にも若いうちしか出来ない。なんなら今しかできない。大学を卒業して、就職したら忙しくて休みの日には自分の体と心を休めることに重きを置くだろう。そうしたらこんな回りくどい休み方なんてしない。温泉とか行く。3,40代になって仕事に余裕ができたとしても、家庭を持って休みたいという願いも叶わないかもしれない。持ってなくても、その年齢の私の、ゴスロリやミニスカなんて見ていられないし、見せたくもない。間違いなく好みも変わっているだろう。そもそもやりたくなくなっているかもしれない。ゴスロリやミニスカを履いて闊歩するという人生の実績は、期間限定イベントなのである。


 3 私は、旅行先や遠出先でけちる人が大嫌いである。旅行という非日常を楽しむ目的で集まった人が、「私は別にやらなくていいや笑 虚無ちゃんだけやってきな笑」と言われた日には、興ざめも甚だしい。帰るお金がなくなっちゃったから、とか不可抗力ならまだ仕方ないか、と思えるけど、そんなに興味がそそられないのなら、理由を聞かせて今やることと、やらない理由を天秤にかけて、私を納得させてほしい。そしてそういう空気にさせたのなら、どこかで盛り上げなおす努力をしてほしい。……どうだい、私の面倒臭さが分かっただろう。日々こんな思いと葛藤しながら人付き合いを頑張っている。しんどい。また話が逸れた。とにかく、「今」経験することは、金銭と替えの利かないものだと思っている。そんなに節約したいなら、帰ってから自炊しろ。最初に通じるが、チェックリストは少しでも埋めときたい。死ぬ前に。説教臭い人は嫌われる。わかってる。嫌われるのは嫌だし、嫌われたと思うことも、その人を些細なこと(私からしたら些細じゃないんだけど)で嫌ってしまう自分も嫌だから今日も言えず、人とかかわるのを恐れて部屋にこもっている。


 4 大学生になってから、周りの未成年飲酒率に震えている。法がどうとかはこの際置いておく。家庭がお酒とは無縁というのもある。(父は仕事の飲み会で飲んで帰ってくることもあったが、家では絶対飲まなかった。最高の父である。飲んで帰る際警察のお世話になったこともある。最高の父である。) 飲酒、それは大人の代名詞でもあると思っていた。お酒を飲むことで二度と子どもには戻れない、責任を負う存在になる、片道切符だと思っていた。嫌でももうすぐ成人する。飲めるようになる。生きる(であろう)年数的にも大人であるほうが長い。飲んだ後の別人格の私をさらけ出すのが怖い。飲み過ぎたら気持ち悪くなったり、健康上そんなよくない。スマホもそうだが、物事にすぐ依存してしまう、私が適度な量で辞められるか分からない(自己肯定感が低い話と少し近い)すぐ新しいものに手を出すのが怖い。そういうものを色々孕んだお酒というものに、そんなやすやすと手を出している周りが怖い。確かに、お酒を飲むことで人との関係性が進展したり、少し心が緩んでストレス発散になることもあるかもしれない、でもそれって今、必要なのかな、私も「今」の重要性を唱え続けてきたけど、怖くないのだろうか。「なんで今飲むの?」と聞いても、濁された返ししかされてこなかった。周りに流されただけなんだろう。危険ドラッグを始めた理由の1位は周りに流されて、じゃなかったっけ。お酒が合法で、危険ドラッグはやっちゃダメなもの、という教育がされてよかったね。私は、20歳の誕生日に、友達を呼んでお酒解禁するつもりである。人生のやりたいことリストのうちのひとつである。そんなことに付き合ってくれる友達がいるのかは置いといて…………とにかく、私は何でもできると思い込んでいる未成年でありたい。お酒もこれから手を出すだろう。いい感じのバーでしっとり感傷に浸ったり、いい居酒屋でおつまみと一緒に流し込むだろう。(ワカコ酒、大好きです)自分がいざ大人になって、未成年を主張できなくなった時、私は何を思うのか。とても楽しみでもあり、少し悲しい。








蛇足

以前死ぬときは重力を感じないまま落下して痛みもないまま死にたい(アディショナルメモリー)と言っていたが、今は深海に沈みながら息苦しくならず、陽の光が見えながら死にたい。(アイスドロップと過去の自分の経験)

親も幼少期にさせた習い事から理想の死に方を見出してるとは思わないだろうな。自分にも子どもができたら見聞を広めるため色々なことをさせたい。


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