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幼馴染みへの絶縁状

子どもの頃、なぜか「幼馴染み」という存在に憧れていた。
幼い頃からお互いを知っていて、お互いを理解もしていて、大人になっても仲が良くて、そういう関係性に憧れていた。
小学校も中学校も、楽しくなかったのが原因だったのかもしれない。当時、友達がまったくいなかったわけではないが、戻りたいとは一切思わない。地元が嫌いだったので、高校も少し離れた、同じ地元からの進学者が少ないところに決めた。だから、絶対に揺るぎない(と思っていた)「幼馴染み」という存在に、とても憧れていた。「幼馴染み」という存在が、欲しかったのだ。

実家から徒歩5分くらいのところに、幼馴染みの、彼女の家はあった。私と同い年の、女の子だった。私がその地に引っ越してきた5歳の頃からだから、出会って25年経つ。

小学、中学と同じ学校に通った。彼女はあまり運動は得意ではなかったが、勉強もめちゃくちゃできるわけでもなかった。でも性格は優しくかったと思う。特別可愛いわけでもなく、字が綺麗なわけでもなく、いわゆる普通の子だったと思う。そんな私も普通だったのだが、スクールカーストの下らへんを定位置とする私は、同じくらいの位置にいた彼女と過ごすのが心地よかった。

高校は別の学校に進学した。私は厳しい部活に入部してしまったため、平日も休日も会うことは少なくなった。メールでたまにやり取りをする程度になった。彼女もどうやら、運動部に入部したらしい。運動苦手なのに? と思ったが、そんなに厳しい部でもないらしい。それなら続けられそうなのかな、と思っていた矢先、彼女に彼氏ができた。そしてそれから間もなくして、彼女は部活を辞めていた。そこから、彼女は少しずつルーズな人間になっていった。

ある日、テスト期間中か何かで部活が早く終わる日があった。学校も違うし久しく会っていなかったため、一緒に遊びに行こうという話になっていた。駅までは一緒に自転車で行く約束をしていたので、自転車で1分かかるか、かからないかの彼女の家へ向かう。

ところが、約束していた時間ちょうどに到着したにも関わらず、彼女が家から出てくる気配はない。たまらずインターホンを押しに行こうとすると、中から彼女のお母さんが出てきた。ご無沙汰してます、と挨拶をすると「あの子、まだ着替えてるよ」と教えてくれた。約束の時間は数分過ぎていた。結局、彼女が出てきたのは、私と約束した時間から10分ほど過ぎたあとだった。もちろん、乗ろうとしていた電車には間に合わない。「あ、こんなこともあるよね」と、当時の私は彼女のルーズさにイライラすることも、不信に思うこともなかった。
その頃からだろうか。薄い顔立ちの彼女の化粧がどんどん濃くなっていき、目の大きさが倍になったのは。
それから高校を卒業するまでも、何カ月に1回くらいのペースで遊んでいたが、彼女が遅刻しない確率は極めて低かった。「今日も遅刻してくるんだろうな」と思いながらも、私は彼女との約束時間通りに待ち合わせ場所に向かっていた。今思えば、当時の私は素直で健気だったのかなと思う。

ルーズさは遅刻だけではなかったようで、学校もよくサボっていたらしい。かと言ってグレていたのかと言われると決してそうではなく、朝起きて「学校行くの怠い」と思ったら休む、というただの怠け癖からくるものだった。受験生になると、全国で評判の予備校に通わせてもらっていたが、それも怠くなったらサボり、動画受講の講義に関しては、その動画を前にして寝ているんだと、丁寧に教えてくれた。

ほぼ独学で大学受験に挑んだ私からすると、今思えば少々腹立たしく感じるところがあってもおかしくなかったのにな、と思う。それでも私が彼女に腹が立たなかったのは、幼い頃からの「幼馴染み」というものへの憧れであり、彼女がその「幼馴染み」だったからだろうと思う。大袈裟かもしれないが、「幼馴染み」は当時の私の中で一種の神のような存在だったのかもしれない。

高校では別になった彼女だが、大学は同じところへ通うことになった。地元から通える範囲ではなかったため、お互い一人暮らしだ。高校生の頃より会う頻度は増えたが、私も大学内で新しい友人ができたりアルバイトを始めたりしたため、頻繁に会うわけではなかった。

彼女は「大学生になったらこのルーズさを直す!」と宣言していたが(自分がルーズな人間だという自覚はあったらしい)、それも最初だけで、そのうち高校時代と同様に、朝起きられないからと言い講義をサボるようになった。アルバイトも、探す探すと言いながら、結局まともに働くことはなかった。その頃には、目の大きさは当初の3倍の大きさになっていた。

社会人になってから、さすがに仕事には行っていたようだが、私に対するルーズさは変わらなかった。というより、さらに悪化した。
テーマパークに遊びに行く約束をしても、約束の時間を2時間過ぎても来ない。連絡もない。さすがに暇つぶしをするのも厳しくなり、痺れを切らして電話をかけると「今起きた」と平然と言われる。結局、予定していたスケジュールは全部取りやめになり、彼女の家でDVDを見た。

別の日。彼女の家に遊びに行く約束をしており、時間通りに向かいインターホンを鳴らした。ところが応答がない。数回しつこく鳴らしたが、出ない。さすがに他の人に怪しまれたので、仕方なく電話をかける。……出ない。一度切り、再びかける、を数回繰り返す。やっと出た彼女は「……なに?」と機嫌悪く言い放った。いや、あの、約束してたやんな? と私が言うと、少し間を置いて、ああ……とやっと約束を思い出したらしく、マンションのオートロックを解除してくれた。

ちょっとルーズすぎじゃない? と何度か言ったことがある。縁を切るとまでは考えていなかったが、幼馴染みだし、実家も近いし、親同士もめちゃくちゃ仲が良いというわけではないが顔見知りだし、一生付き合っていくものだと思っていた。一生関係性が続いていくのであれば、ダメなところは指摘してあげた方がいいのではないかと思ったのだ。

返ってきた彼女の返答は「でも私、心を許した人にだけしかルーズじゃないから!」というものだった。

私の頭の中に、ハテナが大量発生した。どういうことだ? 心を許した人にだけルーズになるとは、どういう発想なんだ? どういう思考回路なんだ? 私にも心を許している人は何人もいるけど、そういう考えに至ったことはない。いったい、どういうことなんだ……?

混乱している私を見て、彼女は続けた。彼女の言い分はこうだ。

私はあまり友達が多い方ではない。でもその分、私は信頼できる良い友達に囲まれている。その友達には心を許している。だからどうしても甘えてしまう。だから約束していても「ちょっとくらいなら」と甘えが出てルーズになってしまう。あなたもそのうちの一人だから、どうしてもそうなってしまう。だって、私たち幼馴染みだから!

というものだった。
そういうものなのか、と当時の私は納得してしまった。そしてここでも「幼馴染み」というキラーワードにやられてしまったのかもしれない。そうやんな、幼馴染みやもんな、ということで、彼女のルーズさをすべて許容していた。

「それ、あんたナメられてんねんで」と私に言い放ったのは、高校時代から一番仲の良い友達だ。
その友達とは高校3年間ずっと一緒だったし、幼馴染みよりも会う頻度が多く、私の一番の友達だ。一番信頼しているし、愚痴も吐くし相談もするし、良い話も悪い話も、なんでも言い合える仲だ。

「あんたが全部許すから、あっちも調子乗ってルーズになるねん。だって、普通連絡もなしで2時間遅刻とか、ありえへんやろ? それ、他の人がやったらどう思うん? 馬鹿にされとるな、って思わへん?」

……むかつく。指摘されて想像してみたが、普通に腹が立つ。わざわざその予定のために日程を調整して、約束通りの時間に自分は着いているのに、相手からは何の連絡もなしに2時間経過、のちの半ばドタキャン。いや、今こうして思い出しても、腹が立つ。

そうか、私、ナメられてたのか……。馬鹿にされてたのか……。

そしてその友達はこう言った。
「私の大事な友達を、そんな扱いするそいつが許せない」

思えば、私はなんで「幼馴染み」というものにこんなにこだわっていたのだろうか?
小中学生時代に、一生付き合えると思える友達がいなかったから? その場しのぎの友達しかいなかったから? もし今、一生付き合える友達がいなかったら、大人になった時に友達がいない寂しい奴になるから?

もしそれが答えならば、もうその心配はないじゃないか。高校・大学時代の友達は、社会人になっても頻繁に連絡を取り合って、会ってるじゃないか。会社にもプライベートで遊ぶくらい仲の良い同僚もいるじゃないか。結婚式の友人代表スピーチを任せてくれる友達もいるじゃないか。「それ、ナメられてんねんで」って、おかしいと思ったことをはっきり指摘してくれる友達がいるじゃないか。私に対してそんなルーズな態度を取る人が許せないと言ってくれる友達がいるじゃないか。

私が本当に大事にしないといけないのはどっちかなんて、もうわかりきっているじゃないか。

それからは私から彼女に連絡を取ることを一切やめた。
彼女は不信に思ったのか、今まで自分から連絡してくることなんてほとんどなかったのに、「今度ランチ行かへん?」などとメッセージを送ってくるようになった。私はそのすべてを、ことごとく「仕事が忙しい」とシャットダウンし続けた。3カ月くらいそれが続くと、ようやく連絡が来なくなった。ブロックでもすればよかったのかもしれないが、実家が近いので悪い噂が流れるのも嫌だし、万が一両親に迷惑がかかるのも嫌だと思い、それだけは避けた。

あれから数年経ち、私のことを大事にしてくれる友達に囲まれて過ごしていた。私は彼女のことなんて頭からすっかり忘れていた。忘れていたところに、彼女から連絡がきた。

「結婚することになりました。招待したいんやけど、都合どう?」

もう何年も会っていない私を招待しなければならないほど、友達がいないんだろうか、と余計なことを考えてしまう。もちろん、丁重にお断りした。手切れ金代わりにご祝儀を送ろうと思ったが、住所を教えてくれなかったので諦めた。彼女の実家へ持って行こうかと思ったが、「そこまでせんでええやろ」とすべて事情を知っている母親に言われ、そうすることにした。

こうして私は「幼馴染み」という呪縛から解放された。

彼女が今、どこで何をしているのかも知らない。特に知りたいとも思わないし、興味もない。私は「幼馴染み」というものに謎の憧れを抱きすぎていたし、一種の宗教のように、それが尊いものだと信じて疑わなかったところもあった。それを信じていないと不安なくらい、当時の私は自分に自信がなく、どこか不安だったのかなと思う。

でも今は違う。過ごしていて楽しい友達がたくさんいるし、彼・彼女たちも私を好いてくれている。お互い信頼し合っている。もちろん、ルーズな人はいないし、遅刻しそうな時は連絡をくれる人ばかりだ。そこには信頼関係や尊敬の意があるからだ。

もう、私に幼馴染みは必要ない。
これを彼女に対する絶縁状に代えさせていただく。

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