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ストレスが限界に達したアラサー女の逃亡記

ここ1カ月、どうにもこうにも仕事が嫌だった。

8月付で営業部の別の課への異動・マネージャー職への昇進が決まっていた私は、異動先での新たな業務を覚えるのはもちろん、マネージャーをするにあたってのマネジメントをしなければならなかった。異動先で新たに担当することになった取引先への挨拶をし、異動先で部下となる人たちに日々の業務やルーティンを教えてもらう。メモはぐちゃぐちゃだが、綺麗にまとめるより汚いメモの方が私は記憶に残りやすいからそれで良い。にしても、当たり前だが1からなので覚えることが多い。
そして、私は産まれてこの方、マネジメントなんてやったことない。本屋へ行き、マネジメントに関する本で読めそうなものをとりあえず手に取りそれらを購入してひたすら読み、先輩が会社の棚に並べていた役に立ちそうな本を片っ端から貸してもらい、それらもひたすら読んだ。そして小さいことから実行に移していた。

それだけなら自分の問題なのでどうってことない。私の頑張り次第、努力次第でコントロールできることだ。ストレスにはならない。
問題は、異動前の部署の引き継ぎ業務が思ったように進んでいないことなのである。引き継ぐ相手は私より8個ほど年上の人だ。だがしかし、この人が少々どころか私にとっては大いに難ありの人であった。営業未経験ではあったので多少の覚悟はしていたが、それを差し引いても難ありだった。
メモを取らないので、まずメモを取るように指示する。すると本当にメモを取るだけで見返したり復習したりすることもないので記憶に定着しない。ゆえに、一度教えたことを何度も聞いてくる。これが延々と続く。
他にも名刺の渡し方や相槌の打ち方、言葉遣い、文章の書き方……。「あれ、この人、私より年上だよな? 私より社会人経験、長いよな?」と思わずにはいられなかったが、そんなことを考えるとさらにイライラが募るので考えないようにしていた。

事細かく指摘をしてくる私に、年上のプライドが許さなかったのか、ついに「もう限界だ!」と逆ギレをされてしまった。年上で男の自分が感情を露わにすると、年下女の私はビビッて態度を改めると思ったのだろう。しかし、私はそんなヤワな女ではない。逆ギレをされたその場で即刻、上司に電話をかけて「今、指導をしていたのですが、逆ギレされています。もう限界だそうです。どうしましょうか?」と、真顔で淡々と報告するのだった。
表向きは「真顔で淡々と」していたが、内心ははらわたが煮えくり返るほど怒りに満ち溢れていた。いやいやいや、限界なのはこっちやがな! こっちだって好きで年上のオッサンに事細かく指導してるんちゃうわ! てかそんなしょーもないプライド持つ前に、社会人としてビジネスマナーぐらいわかっといてくれよ! 逆ギレするぐらい悔しいんやったら教えたこと必死で覚えようとしろよ! おんなじ質問何回もしてくんなよ! さっさと仕事、お・ぼ・え・ろ・よ!!!!!!! と言いたいのは、こちらなのである。

そんなこんなでこの1ヵ月、久しぶりにストレスで常に胃がキリキリしていた。
早く新しい部署での業務覚えないと。マネジメントもしないといけない。こんなオッサンに手を取られている場合じゃないのに。いや、ていうか、こんなオッサンごときでこんな精神状態になってしまっている私も結構弱くないか? キャパ小さくねーか? 雑魚キャラじゃねーか……?

食べることが大好きなのに食欲もあまりなく、元気がない日々を過ごしていた。そして思うのだ。「実家に避難したい。早くお盆休みになってくれ……」と。

私は5年ほど前から一人暮らしをしている。転職がきっかけだった。転職する際の条件の一つに「実家から通えないところ」というのがあった。一人暮らしがしたかったのである。実家に留まったままでは自分の成長が見込めないと思ったからだ。なぜなら、私が休日は家からほぼ一歩も出ない、ひきこもり族だからだ。実家は田舎で、最寄り駅までは徒歩約50分、自転車だと約20分。しかし坂道のアップダウンが非常に激しく、また舗装はされているものの、田舎道なので道が細いところが多く、そして歩道もほとんどない。車は当時妹と兼用だったので、自由に乗り回すこともできない。ゆえに休日は引きこもり、ひたすら家でゴロゴロしながら犬と昼寝をし、読書をし、ネットサーフィンをし、母親が作ってくれるご飯をぬくぬくと美味しく食べ、まるまると大きくなり、素敵な異性と出会うこともなく何年も過ぎ去り、妹たちは結婚して出て行き、子どももでき、その甥やら姪やらを愛で、両親も私の結婚やらを諦めて妹たちの子どもを愛で、その両親も年老いて私よりは先に天国へ旅立ち、私は独り実家に残され自然と主となり……、という、後半は妄想であるが、そんな未来しか考えられなかったのである。

出陣は今だ! この家を出る良きタイミングは、今しかない!!!

そう思ったものの、あまり遠すぎるのも……と思った私は、実家まで1時間半ほどで帰れる街で一人暮らしを始めた。念願の一人暮らしだ。楽しいものの、精神的に疲れてくると、家に帰っても誰もいないのが少し寂しく感じる。近くに仲の良い友人たちがいるので定期的に会って話してはいるものの、やはりどこか寂しさが残る。
私がどうしようもなく実家に帰りたくなるのは、そういう時だ。精神的に、結構弱っている時。とにかく実家に帰って、引きこもって、精神を安定させたいのだ。とにかくこの状況からも、物理的なこの場所からも逃げ出したい!

人々がコロナ慣れしているというものの、都会に住んでいる私がウイルスを実家に持って帰ってしまうわけにはいかない。帰省前の2週間は、飲み会を徹底的に断った。出張も、可能な範囲で入れなかった。帰省当日は検査キットで陰性を確認し、確認が取れたらすぐに電車に乗り込み実家へ向かった。これで精神を整える準備はバッチシである。

駅までは母が車で迎えに来てくれた。祖母も同乗しており、「おかえり」と声をかけられただけで涙腺が崩壊しそうだった。そんな自分を「ああ、わかってはいたけど、結構弱っていたのね」と冷静な自分が分析していた。

そのまま祖母の家に向かった。祖母の家にはすでに妹がいることは聞いていたが、叔母や従姉弟もいた。それを聞いた私は、それだけで少し疲れたような気分になってしまった。叔母は、母の弟の奥さんで、従姉弟は3歳下の姉と、6歳下の弟の2人だ。私は昔から、叔母と従姉が、あまり得意ではない。

叔母は私に会うと、ぐいぐいと話かけてくる。最近仕事どうなん? とか、彼氏できたん? とか。幼い頃は何とも思わなかったのだが、思春期だろうが反抗期だろうがお構いなしにガンガンと話しかけられ、いつの間にか叔母がいる時は話そこそこに狸寝入りすることも少なくなかった。
従姉とは、昔から相性が悪かった。何かにつけて喧嘩を売ってきたり、嫌味なことを言ってきたり、無視してもなお喧嘩を売られ続け、ブチっとなった私が喧嘩を買ってしまい、なぜか従姉が泣き、私が母に怒られ、私は声を荒げて抵抗し……、という苦い思い出があまりにも多すぎるからである。私の中で、従姉に対する苦手意識がしっかり出来上がってしまっているのだ。にも関わらず、従姉は私に会う度に、何かにつけて話しかけてくる。お互い大人になったので昔のように喧嘩をすることはないのだが、私としては極力関わりたくない。

嫌だな……と思いつつも、そんなことは母や祖母には言えないので、仕方なく祖母の家に入る。案の定、従姉に話かけられたが、挨拶そこそこに仏壇に手を合わせた。
みんなで昼食を食べ始めると、叔母が私の前の席を陣取ってきた。これは喋らざるをえないじゃないか……と私が構えていると、「積立NISAとか、やってへんの?」と叔母が話を振ってきた。
「え、やっとる!」と勢いよく話に乗っかってしまった。珍しく叔母が色恋話や、今私が最も人と話したくない仕事の話以外の話題を振ってきたということだけが理由ではない。私が最も関心があると言っても過言ではない、お金の話だからだ。

お金の話は、正直友人や同僚とはしにくい。積立NISAやiDeCo、掛けている銘柄の話をすることもあるが、込み入った話はなんだかしにくい。手取りがいくらで、とか、ボーナスがいくらで、とか、貯金の話なんてとんでもない。友情にヒビが入るかもしれないし、同僚とそんな話をしようもんなら「あいつ、あの仕事で私より貰ってんのかよ……やってらんねー」とか陰口でも言われようもんなら、今後の仕事がやりにくいったらありゃしない。「お金の話は他人とするでない」という母の徹底的な教えもあり、他人から話を持ち掛けられても頑なにしてこなかったのだ。
人とお金の話や情報共有をしたかった私は、今まででは考えられないくらい叔母と弾丸トークを繰り広げた。ご飯を食べ終えてからはお互いスマホを片手に、この家計管理アプリが使いやすいだの、ポイ活サイトのおすすめを教えあったりだの、どの銘柄にいくら掛けているのかだの、積立NISAはいつから始めて今どれくらいの金額になっているのかだの、私が人と話したかったあれこれをひたすらに喋り続けた。

すると、そこに最大の敵・従姉も入ってきた。「え、じゃあさ、あの人のYouTubeも見とる?」と、お金にまつわるあれこれを配信しているYoutubeチャンネルについて話を振ってきた。そのチャンネルは何日かに1回、必ずチェックしている私は「見とる!!!!」とこれにも勢いよくリアクションし、敵だったはずの従姉とそこから弾丸トークを繰り広げた。そして彼女が買ってきた、そのYoutuberおすすめの本6冊を一緒に読み、「これは読みやすそう」だの、「これとこれはちょっと内容似てそう」だの、いろいろと意見交換(?)をした。犬猿の仲だったはずの従姉と!!! これはある種の革命なのかもしれない。いや、私にとっては革命だ。実際、妹や母も、私と従姉が普通に会話しているのを見て何も言わなかったものの、物珍しそうな顔をして見ていた。そして、私も自然と「これ読んだらどんなんやったか感想教えてよ」と言っていた。これには従姉も驚いたようで「え? あ、うん」と少し焦って返事をした。

祖母の家に到着して1時間半。この短時間で、私の頭の中から仕事のストレスの割合はかなり減っていた。泣きたくもなくなっていた。
自分なりに、ストレス解消法はいくつか持っているつもりだった。読書をしたり、友人と買い物をしたり、食べたい物をひたすら食べたり、一日中ゲームに打ち込んだり。実家に帰るというのも、その手段のうちの1つだった。
叔母と従姉弟がいると聞いて少しテンションは下がったが、やはり家族、親族と心置きなく過ごすことは、私にとって何よりのストレス解消になることは間違いないのだと、確信した。

そこからの2日間、私はこれでもかというくらいに実家を満喫した。家族との接触時間を増やしたいがために、休日にしてはちょっと早めに起床し、母と出かける準備をしている妹と朝のワイドショーを見ながら雑談したり、昼ごはんまでの間はリビングのソファに寝転がって一歩も動くことなく読書をしたり、昼ごはんを食べてからは母がずっと作りたがっていたインテリアグッズを一緒に作り、それが終わると一緒に桃を食べ、父が帰ってきたら一緒にニュース番組を見てあーだこーだと意見を言い合う。

普通だな。特筆する事件も話のネタになるような爆笑できる何かもないくらい、本当に普通だな。でも、自分の心がみるみる満たされていくのがよくわかった。この1ヵ月で積もっていたモヤモヤや、イライラや、そういう負の感情が、すべて浄化されていっているのがわかった。

とは言え、会社に行きたくないというのは変わらなかった。帰省最終日の朝から「あーーー嫌。嫌や。帰りたくない。ほんっっっっまに帰りたくない」とぶつぶつ言い続ける私に、母は「珍しいな」と言った。電車に長時間乗るのが嫌で「帰るのめんどくさい」とはよく言うが「帰りたくない」は確かにあまり言った記憶がない。
私が少し考え込んでいると「ま、電車で1時間半ぐらいやし、来月の3連休とか、土日でも帰ってきたい時に帰ってきたら?」と母が言う。

ま、確かにそうだな。帰省頻度は高くなりそうだが、弱った時にすぐ駆け込める場所があるのは本当に心強いことだ。

そんなこんなで、私は自分の家に戻ってきた。明日からまた働かなければいけない。年上男に、また事細かく指導する日々が再開するのだ。もうすでに胃が痛くなりそうだ。でも、しばらくは、このお盆休みの何でもない日々と、母や祖母が持たせてくれた食糧で実家に浸りながら精神を安定させることにする。

それが尽きたら、また実家へ逃亡すればいいのだ。

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