第2回:プロになれない私はマルチを選んだ
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第2回:プロになれない私はマルチを選んだ

前回は、こちらから。

自分がだめだって、分かってたんだよ

就職浪人する経済力なんて、持ってなかった。極めているものが何もない私に、自分で事業など起こせるはずもなかった。

だから、就職するしかなかった。もう何者になれるかも分からない。でもせめて、広告かエンタメ業界には居場所を見つけよう。

そう思って、かろうじて前を向いて、面接に足を運んだ。でも気を抜くたび、不安で押しつぶされそうだった。

何を極めたいか分からない。だから何になりたいかも分からない。でも何かしらのクリエイティブには携わりたい。クリエイターになりたい。

そんな曖昧で都合の良い夢、社会に受け入れられるはずもなかったんだ……そう気づいた瞬間、自分の中途半端さが、最高に醜く感じた。

「やりたいことが決まってなくても、君ならいいものが作れるよ」
誰かがそう言って、私を救い上げて、クリエイターにしてくれる。

「好きなものが多くて、辛かったよね。もう大丈夫だよ」
誰かが私の葛藤を分かってくれて、ポジションを与えてくれる。

そんな夢を、ずっと心のどこかで見てた。絵や写真を極めている学生を押しぬいて、私が選ばれるわけがない。

分かってた。分かってたさ。

自分では、進みたい道ひとつ決められないから。脳みその中で都合の良いストーリーを作ることでしか、心を支えられないから。だからきっと、現実逃避をしてたんだよ。

でも、もう終わりだ。私は、クリエイターにはなれない。流れに流されて生きるしかない。ああ、もう疲れた。

そんなことを考えていたら、内定が出た。某広告会社の営業職だ。

そしてこの会社で、価値観が変わり、夢がくっきり見えるようになるなんて、この時の私はまだ知らない。

まわり道じゃなくて、通るべき道だったのかも

入社して早々、私はウェブメディアを運営する部署の広告営業に配属された。幸い、部署は希望通りだった。

でもその頃は正直、社会人生活への期待なんて微塵もなかった。

だって営業だよ、テレアポとか挨拶まわりとかして、クライアントに交渉しに行くんだよ。営業を極めたって、クリエイターにはなれないし、そもそも「作る」とは程遠すぎるじゃん。

そんなことばかり、思っていた。

でも、いざ営業をしてみると、テレアポひとつとるのも大変で。商談だってうまく話すことすらできなかった。

それからは、電話相手に「会いたい」って思ってもうう話し方を探して、毎回台本を変えたし、イベントでの名刺交換では、誰よりも名刺を貰って帰った。商談は、上司と先輩をひたすら真似して、うまくいかなかったら方法を変えた。

どうしてここまで頑張れたのか、正直分からない。多分、何も持ってないくせに、何もできない自分が超悔しかったんだと思う。あと、頑張るたびに周りが褒めてくれるのも、きっと自信に繋がってた。

そうやって目の前のことに必死になるうちに、「え、営業楽しいやん」と思うようになった。

自分の提案をクライアントが気に入ってくれる。
自分の企画書が受注の決め手になる。

作ったものは、デザインでも写真でも文章でもなかったけれど、自分の考えをアウトプットして、それが評価されたり喜ばれることが、ただひたすら楽しかった。

そうこうして、入社から約1年が経ったある日。私は、希望していた制作部に移ることとなる。

実は、秋の異動希望に「書けるなら書いとくか!」と「制作部」とデカデカと書いたのである。

それを見た事業部長が、「柴田、営業頑張ってるし、場所が変わっても大丈夫だろう」と異動を承認してくれたらしい(ちなみに、異動が叶わない人もたくさんいる)。

「何かを極めているか、華々しい実績がないと、クリエイティブに携われない」

そう思っていたのに。私はまさかの、営業を極めたことによって、クリエイティブ職への切符を手にしたのだった。

人生って分からないものだ。

>第3回へ続く


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1995年生まれ / 女 / A型 / ただ、不器用な人生を書いていたりします。