どうしようもなく、言葉に生かされている。
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どうしようもなく、言葉に生かされている。

私は、話すのが苦手だ。
コミュニケーション力がない、とかそういうのではなくて、瞬発的に自分の思いを言葉にすることができない。

友人「ねえ、これどう思う」
私「うーん、私的に微妙かなあ」

しばらく経って、”はっ”と思う。だって、人の好きなものに「微妙」と言ってしまったんだから。

"誰だって、自分の好きなものは肯定してほしい"。そんな法則、思春期を過ぎたあたりで、とっくに頭に叩き込んだはずなのに。気を抜くと、私の口からは素直が溢れ出てしまう。

そして残念なことに、過去に戻ることはできないから、私はいつも失言からしばらくは、会話もそこそこに頭のなかで大反省会をする。

「なんであんなこと言ってしまったんだろう」
「どうしていつも私はこうなんだろう」
って。

幼い頃から、人と話すのは好きだった。今でも、おしゃべりだし、人と会うとすごくしゃべる。友達の遊ぶのだって、好きな方だと思う。

でも、長時間人といると、かなりの確率で"失言”をしてしまう。相手は何も思っていないかもしれない。でも「相手に悪いこと言ってしまった」とか「誤解されていたらどうしよう」と考えてしまって、ひどく落ち込む。

だから大勢で遊んだ帰り道や、友人と長時間いた帰り道は「楽しかった〜」と上向き調子で帰れた記憶がほとんどない。楽しかった時間の後は、後悔で苦しむ時間が待っている。この幸せと落ち込みの振り幅がしんどくて、いっそ人に会わない方が幸せに暮らせるんじゃないかとさえ思う日だってある。

それぐらい、私は自らの紡ぐ言葉で、傷つき、落ち込んできた。でも、そんなとき、私を救ってくれるのもまた言葉だった。

私は瞬発力においての語彙力は皆無だが、書き言葉であれば、不思議と自分の思いを形にすることができる。

それは幼少期から変わらなくて、友達と喧嘩した後の仲直りはいつも私からの手紙だったし、その手紙で友達が感動して泣いたこともある。

友達が落ち込んでいるとき、一緒にいても大したことは一切言えないのに、メールなら言えたし、面接で一言も伝えられなかった思いだって、エントリーシートなら綺麗にまとめることができた。

いつだって、思いひとつ届けられない私の背中を叩いて、相手に思いを届けてくれるのは、何でもない書き言葉で、その度に「ああ、この世に書く文化があって本当によかったな」と思う。

きっと、これからもたくさん、話し言葉で後悔して損をして、悔しい思いをたくさんするだろう。でも、その度に書き言葉で、相手に謝ったり、誤解を解いたりして、必死に前を向いて生きていくんだろうな。

どうしようもない私は、書き言葉に生かされている。そんな宿命を愛して、明日も、誰かと話をしよう。そう、思った今夜だった。

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1995年生まれ / 女 / A型 / ただ、不器用な人生を書いていたりします。