第1回:プロになれない私はマルチを選んだ
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第1回:プロになれない私はマルチを選んだ

こんばんは、シバタです。先日の初投稿、たくさんの方が「スキ」を押してくれて嬉しかったです。

さて今日は、私がなぜディレクション・プランニング・デザイン・ライティング……と、こんなにマルチに活動するのか、その理由を3回に分けてお話しできればと思います。

夢って、いっぱい持っちゃダメなんですか?


私は、夢中になれる「ひとつ」を見つけられたことがありません。

父は建築士、母は画家。特に何を教わったわけでもありませんが、紙や画材が揃った環境で育った私は、幼くしてクリエイティブの楽しさを覚えました。

しかし、年齢を重ねるごとにメキメキと成長したのは、好奇心。

気づけば、小学校で絵を描き、中学校で文章を書き、高校でポエムを読み、大学で企画とデザインにのめりこんで、カメラを持ち歩く……という「おい、ブレブレやないか」という人生を送っていました。

というのも、作ることは大好きだったのですが、"何を作りたいか"がいつまで経っても決められなかったんです。全部が楽しくて、全部を諦めたくなかった。

でも、社会は残酷ですね。道を絞らないと、うまく前に進めないんですから。

大学4年で迎えた就職活動。私は絶望しました。クリエイティブ職のほとんどのエントリー条件が「美術学校卒業見込み」だったからです。

実は、私は美大に「行けない」身でした。それは金銭面ではなく、「夢を持ちすぎていた」ことが原因です。

高校生の頃、深夜のテレビ、父が見る映画、雑誌のレイアウト、グッとくるエッセイ……それらのすべてが魅力的に思えました。企画やデザイン、文章を作る自分を想像するだけで、ワクワクしていたんです。

でも、美大に進むとなると、「映像」「文芸」「デザイン」とコースが分かれるので、どれかひとつを選ばなくてはなりません。

だから職業図鑑を見たり、適職診断をしたり、両親に仕事について聞いて、本気で何になりたいのか考えました。でもどの未来を選んでも、選ばなかった未来に悔いが残る気がして、映像や広告が体系的に学べる4年制大学に入学したんです。

だから条件を見たときに、「高校で進むべき道が見えてない人は、夢の端さえ掴めないのか」と落胆しました。

いくつかは美大ではなくても、ポートフォリオを持参すれば受けられるものもありましたが、一貫性のない私の人生に、作品集なんてものは存在しません。

「なんて中途半端な人生なんだろう」「なぜ、ひとつに絞れないのだろう」「ぜんぶ好きって、努力できないだけじゃない?」

憧れの職業に就けないとわかった瞬間、私の中の後悔が、劣等感が、虚しさが、身体の中を支配しました。

好奇心が旺盛な自分が憎い。中途半端な自分が恨めしい。

「もう、終わりだ。」


>第2回に続く


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1995年生まれ / 女 / A型 / ただ、不器用な人生を書いていたりします。