最終回:プロになれない私はマルチを選んだ
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最終回:プロになれない私はマルチを選んだ

前回はこちら。

中途半端だから、輝ける場所がある


「やった~、広告を作れる~!!」

1年前は、あんなに曇った目で入社してきたというのに、嘘みたいだ。制作部に机を移動させる私の心は、驚くぐらいはしゃいでいた。
(ちなみに異動前の営業部送別会で、私は酔いながらスピーチをし、感謝を10分述べながら泣いていたらしい。営業部、楽しかったんだなぁ)

異動とはいえ、部署には1年いるわけなので、全員が知り合い。だから、「柴田です、どもども~」的な感じで制作部にジョイン。周囲も「おお、よろしくなー」と、スルッと私を受け入れてくれた。

それはもう、驚くほどにゆるい、私のクリエイター人生の幕開けだった。
(要約すると「最高」ということ)

制作部の仕事は、主にプランニングとディレクション。営業案件の企画を考え、クライアントにプレゼン→受注したら、構成を考えてクリエイターに依頼し、集まったクリエイティブを編集する……といった仕事内容だった。

この会社で担当していたメインの広告は「記事広告」、ときどき「LP(ランディングページ)」「SNS広告」「動画」があるという感じ。

だから制作部に異動してからというもの、企画を練り、記事を編集し、LPのデザインを考え、SNSの広告を作り、動画の台本を作るという、「お前、なんでもやるやん」という日々。

でも、企画もデザインも文章も全部好きな私にとっては、この場所はとてつもないぐらい居心地がよく、
「おいおいおいおい、この仕事、なんでもできるやん。最高かよ!!」
となるまでにそんなに時間はかからなかった。

デザイナーの予定がパンパンならバナーやLPを作ったし、短納期すぎて頼めないなら記事を書いたし、営業が話せなかったら代わりに話した。

世間一般のディレクターの領域としては、手を出す範囲をはるかに超えているし、人によっては「そこまでしなくていいのに」と思うかもしれない。

でも企画もデザインも執筆も営業も、全部好きだったからこそ、自分にとっては降りかかるタスクはむしろ嬉しかった。楽しかった。

そうしてなんでも夢中でやっていると、それなりに手際もよくなった。周りにもクライアントにも褒められることが多くなった。

何でも好きで中途半端な自分が、ずっとコンプレックスで大嫌いだった。でも仕事を通して、何でも好きな自分が誇れるようになったし、私は私で良かったと思えるようになれた。

「私は、ひとつのことをずっとしてきたわけじゃない。だから、プランナーやデザイナー、ライターみたいに、ひとつの分野で輝く"プロ"じゃなくて、すべてを融合させてひとつのモノを作り上げる"マルチ"になればいい。きっとそれが私にしかできない生き方な気がする」

気づけばそう考えるようになっていた。そして、プロになれない私は、マルチを選んだ。

真っすぐな才能を、直視できなくてもいい

きっと、世の中には私のように、「したいことが分からない」「好きなものが定まらない」といったことで悩んでいる人がいると思う。

そういう人ほど、成功している人を見て、酷く落ち込んだり、劣等感に苛まれると思う。死ぬぐらい羨ましくて、嫉妬してしまうと思う。私も経験があるし、今でもそういうときはある。

でも、気づいたことがある。

「世の中は、プロを欲しがる」

進路希望調査は、「どの道を極めるか」を決めさせる儀式。
就職活動は、プロになれそうな人材が選ばれる儀式。
マスメディアが取り上げるのは、ずっとひとつのことを努力して夢を叶えた、その道の努力家。

私たちは「ひとつのことを極めている人は凄い」と、生まれたときから刷り込まれて育った。だからきっと、誇れる唯一のものがないと、自信を喪失して、自分には何もないと思いこんでしまう。

でも、きっと本当はそんなことない。無理やりひとつに絞らなくたって、それはひとつの生き方なんだって。

世の中が作った理想に惑わされずに、生きていけたら、もっと心は軽いだろうな。楽しいだろうな。

私も、まだまだ世の中の「当たり前」に飲み込まれそうなときがあるし、心が折れそうなときもある。でも、マルチであることに誇りをもって、死ぬまで人を動かす何かを作り続けたい。


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1995年生まれ / 女 / A型 / ただ、不器用な人生を書いていたりします。