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CRYAMYとわたしの4ヶ月

2024.6.16 CRYAMY
特別単独公演『CRYAMYとわたし』at 日比谷野外大音楽堂 
及び 7/5のお知らせに宛てて

ついにこの日が来てしまった、と睡眠不足の目を擦りながらiPhoneに表示される日付を確認して唾を飲む。遠足の前の日は寝付けないというように、昔から大切な用事が控える夜はどうしたって目が冴える。その中でもこの日はより特別な気持ちで臨んでいたと思う。それは同じようにCRYAMYの野音公演を観に行く人たち全員の共通事項だろう。

こうして偉そうに筆をとっている手前、恥ずかしながら僕はCRYAMYを聴き始めて日が浅い。まともに傾聴しだしたのはたしか今年の2月の下旬ぐらいだろうか。
それと反して出会いだけはやたら早かったのを覚えている。

4,5年ほど前、まだ大学生だった僕は好きなバンドのLIVEを通して友人を作ることが多かった。ある日そのうちの1人と飲みに行った際、「君と同年代くらいのCRYAMYっていうバンドが居てさ、すごく良いんだよ」と勧められた。
その友人と解散したあと、帰りの電車の中でYouTubeアプリを起動し、"CRYAMY バンド"と検索してみる。検索結果の上の方に出てきた「ディスタンス」を再生する。
正直言うと全然ピンとこなかった。なんなら最後まで聴くことなく閉じた気がする。
ただ、曲は聴かなくても何となくバンドの動向だけはその後も耳にしていた。

しばらくして2024年6月16日に野音でLIVEするらしいとニュースが流れてきた。「あの時勧められたバンドがすごい大きいバンドになったんだな…1度生で観てみたいな」ってろくに曲も知らないくせにLIVEに行きたい気持ちだけが先行した。こういう感情は時々あり、自分の人生にとってかけがえのないバンドと出会うときに起こりがちだ。

去年の秋、僕にCRYAMYを薦めてくれた友人と再び会う機会があり、曲は知らないけど野音公演に行ってみたいという旨を話すと、それなら絶対ちゃんと曲を聴いたほうがいいと言われたのでまたもや帰りの電車内(正しくは駅のホーム)で『#2』を再生してみた。
4,5年前のファーストコンタクトが嘘みたいに、ぶったまげるほど格好良かった。力任せに弾くかのようなコードと笑っちゃうくらい歪んだノイズに音量ボタンを上げずにいられなかった。そこからの1週間はほぼ『#2』をリピートしていたし、特に「テリトリアル」と「普通」は文字通り耳にタコができるほど聴いた。そして野音のチケットを買った。


『#2』だけで他の作品はまだ聴けずに新年も明けた2024年2月、僕は壊れた。
何か大きなキッカケになる事件があったわけでは無いけれど、生まれてから20数年のなんとなくの "死にたい" が限界を迎えて本物になってしまったんだと思う。
いつもの気のせいだと自分に言い聞かせるように仕事に向かってみたけれど職場のドアを目の前にして引き返す。その日から子どもみたいに家に引き籠った。あんなに好きだったバンドの音楽すら聴けない時があるんだと知って悲しかった。直接危害を加えられたわけでもないのに友人も家族も、離れていってしまった最愛の人もその他人間と社会がどうしようもなく嫌で嫌で嫌で嫌で仕方なかった。これを読んでいる人には理解しがたいだろうけど、頭がおかしくなるほど何もかもが無理になった。この世の全てから否定されてる気がして自分以外みんな死ねと思った。そのうちそう考えてる自分がおかしいんだ、だったら今度こそ誰にも告げずに死んで跡形もなく消えたほうが早いんだってことに気づいた。普段SNSでは強がりを吐いているけど僕は人の形をしたゴミなのだ。

ただ本格的なその準備を始めていた時、何故かわからないけどCRYAMYだけは聴けたんだ。はじめはあのノイズが心地よかったはずなのに段々と歌詞が、カワノさんの言葉が聞こえるようになってきた。
暴飲暴食をして惨めになって睡眠薬に溺れた夜、無気力にふとYouTubeを開くとある映像がトップに表示されていた。

CRYAMYの「世界」という曲のLIVE映像だった。
『#2』だけを聴いていた僕はそこで初めてこの曲を聴いた。
演奏前のMCでカワノさんは「綺麗ごとは嫌いだ」と前置きしたうえで、「誰かを守るということはその人の嫌いな奴を殺すことでも無く傷つけることでも無い。ただ優しい言葉をかけることだったり、ただ傍にいるだけで人というのは守ってもらえてる」と語る。僕も綺麗ごとは大嫌いだ。だけどカワノさんのこの言葉は微塵も綺麗ごとだとは感じなかった。孤独だった僕を抱いて背中を強く叩いてくれた気がした。
「心配しなくていい あなた達の世界は俺が守ってやる」と言い放ちイントロが鳴り響いた途端、今まで溜まっていた涙が溢れだした。

肩を抱く人がいなくたって 結婚指輪がなくたって
誰にも愛されなくたて あなたが生きててほしい

世界 / CRYAMY  より

大袈裟でもなんでもなくそのたった1曲、たった1本の映像に間違いなく僕は救われた。その夜からカワノさんの言葉に縋るようにCRYAMYの音楽を片っ端から聴き続けた。

生きがいだったはずのLIVEも行けないと諦めていたのに、6/16の野音公演、この日までなんとか生きてみようか。死ぬのはそれを観てからでもいんじゃないか。そう思うようになって騙し騙しでもいいから過ごすようになった。
巷で解散説がささやかれるなかで毎日狂ったようにCRYAMY聴く。せめて野音だけでも観れたら…という思いから、僕もいつかライブハウスでも観てみたいな、と自分の中から自然と"いつか"という感情が出てきたことに驚く。
今思うと野音を観る前のこの段階から"死にたい"が徐々に消えていってたんだろうな。少しづつだけどほかのバンドの曲も聴けるようになってきてたし。

2024年6月16日、野音公演当日。

日比谷公園には13時頃着いた。
晴れたらいいなと思っていたらまさかの30度近い夏日になり、疲弊しながらなんとか物販を購入。その後開場時間までたばこを吸ったり、例の友人やその知り合いの方と軽く話をして過ごした。その方達も周りの人達も笑顔で話しているけれど、やはりどこかでCRYAMYが終わってしまうかもしれないという寂しさが表情から見え隠れしていた。僕もバンドがいなくなることへの不安もあったけれど、今日が終われば以前のように死にたい自分が戻ってくるんじゃないか、それが怖かった。

西日も強くなり始めた17時、白シャツと黒いスラックスというややフォーマルな姿で登場したカワノさんの "君のために生きる と言う"というアカペラからの「WASTAR」でLIVEは幕を開けた。いくらなんでも一曲目にこれはずるすぎる…早くも目に涙が滲んだ。

下らなくなったらなんだって捨てればいいよ
別に命なんて懸けなくていいよ
つまらなくなったらいつだってやめればいいよ
別に命なんて懸けなくていいよ

WASTAR / CRYAMY より

些細なことから僕にへばりついてしまう希死念慮をカワノさんの言葉はそっと優しく、それでいて力強く解いてくれる。CRYAMYの多くの楽曲からは "あなたが生きていてほしい" というメッセージが含まれているが中でもこの曲からは特にそれを感じる。
続けて「Sonic Pop」や「普通」といった僕が4ヶ月の間擦り切れるほど聴いてきた曲を次々と披露していく。中でも「光倶楽部」~「Pink」までの流れは最新アルバムと既存曲が絶妙に溶け込んだ見事なブロックだった。

「僕はこれまで人を傷つけてきたし殺してやろうかと思ったこともある。でも歌の中でくらい綺麗なこと言いたい。それを一生懸命聴いてくれたあなた達のおかげで僕は人間になれた気がします」という風なことをカワノさんは言っていた。彼が歌っているときだけ・ステージにいるときだけ人間になれたというように、自分もこの4ヶ月CRYAMYを聴いているときは人間らしくなれた。お礼を言うのは僕のほうだ。
その言葉に続いて、青空と夕焼けが混ざりそうな日比谷の空の下で鳴らされた「GOOD LUCK HUMAN」に思わず空を仰ぐ。
この日比谷野外大音楽堂で一番聴きたくて僕がCRYAMYの中で一番大切にしている曲だ。8分以上にも及ぶこの曲は何よりも美して、この世の音楽で最も人と愛の本質を歌っていると思う。

裸の涙が一番速度が速い愛の誓いさ
君といることはとても嬉しいんだよ
永遠に言うなよ
「さよなら」の四文字は随分前に僕が壊しておいてあげたから

GOOD LUCK HUMAN / CRYAMY より


LIVEが第一部、第二部、第三部と続くにつれすっかり辺りも暗くなり、最後の第四部では日比谷のビル群と頭上の半月が光る。
長時間の演奏に僕も観客もCRYAMYも疲弊しきっているなか、最後の力を振り絞るような轟音で「世界」が響く。
ああ終わってしまう…と寂しさを感じたのも束の間、その音ひとつ、言葉ひとつが歌い紡がれる度に僕がCRYAMYに救われたあの日からの4ヶ月を走馬灯のように思い出していた。音源では正直長いと感じてしまうインプロも一瞬に感じ、その間カワノさんは今日のMCをなぞるように何度も「生きろ」と、こちらに叫んでくれた。
3時間半・34曲にも及ぶ伝説のLIVEは "あなたが" という4文字をこの日一番の大声で歌い幕を閉じた。
CRYAMYとわたしの4ヶ月は「世界」で始まり「世界」で終わった。

終演後の日比谷野外大音楽堂。
月の下で聴く「月面旅行」は格別だった。


7月5日 CRYAMYからカワノさんが脱退するというお知らせが届き、下書きに眠らせたままのこの文章を公開することにしました。文体もぐちゃぐちゃで下手くそな文章だけど、直接は言えないからこんな形でもCRYAMYに届くといいなって。
正直もっとカワノさんのいるCRYAMYを観ていたいし、新しく生まれる曲も聴きたい。野音だけじゃなく僕だってライブハウスでみんなと同じように観てみたかった。

でもね、2月に死のうとしていた自分を救い出してそこから4ヶ月ずっと寄り添ってくれて、6月16日の野音で会うまでは…ってギリギリで繋ぎ止めてくれて、あの日のLIVEを観たあとは「死にたい」が無くなって生まれて初めて「生きよう」って思いました。
カワノさんが、CRYAMYが守ってくれたおかげです。
たかしこさんも大森さんもレイさんもCRYAMYというバンドを残すという大きな決断をしてくれたのはとても嬉しいし、その覚悟には感謝しかありません。僕と同じように皆さんも生きる選択肢としてその道を決めたのであれば引き留める言葉は無く、ただ生きていてくれたら嬉しいです。愛しています。

おそらく僕はこれからも数え切れないくらい死にたいって思うし、死のうとするかもしれないけど、その時はあの日のCRYAMYを思い出すよ。
生きろよって言ってくれたカワノさんの言葉とCRYAMYの音楽を愛しながら生き続けるよ。


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