ショートショート「都市伝説」

 都心のとあるビルのロビーで二人の男女が会話をしていた。
「ねえ、今度の連休どこ行く?」
「連休?」
「もうっ、言ったじゃない。近場でいいからちょっと遠く行こうって」
「あれ、言ってた?」
「あ、むかつくぅ。いろいろ調べてたんだからねぇ。ほら、見て」
 彼女はスマートフォンを彼の方に差し出した。
「ほら、ここなんかよくない?」
「どこ?」
「ほらこの…。あれ、ごめん。違うとこいっちゃった」
「ばか」
「もおぉ、ほら、ここ。おすすめ穴場スポットって」
「え、穴場・スポット?」
「ちょっとぉ、なあにぃ?ふざけてんの?なぐられたい?」
「ごめん。ごめん」
「ほら、この風船クラブってお店なんか面白そう」
「なんかあやしそうな名前だなあ」
「やだっ、そんなんじゃなぁい、けどウケるッ」
 彼女は彼の腿のあたりをバンバン叩いた。
 すると、近くに一人で座っていた女性が急にすくっと立ち上がり、つかつかと足早に席を後にした。
「マジ、ってかヤバくない。このパンケーキ、ナニコレじゃない?」
 彼女はなぜか少し興奮ぎみになっていた。
「あ、かわいいぃ。ほら」
 彼女はスマートフォンから目を離した。
 彼女と同じ方向を彼が見てみると幼児がよちよちと歩いていた。まだ、歩き始めて間もない様子で、母親のスカートを小さな手でつかみながら、バランスをとって懸命に歩こうとしていた。
「ほんとだ」
 そう言いながら、彼がふと幼児から彼女の方へ視線を移すと、彼女は目を細めるようにして幼児を見つめていた。
「わりぃけど、ちょっとトイレ行ってくるから、荷物見てて」
「うん、わかった。遠いよトイレ。知ってる?」
「ああ」
 彼は席を立ってフロアの先の方まで歩いて行った。
 ほどなくして彼が戻ると、さっきの幼児が、何が原因か分からないが火のついたように泣いている。それを母親はまわりに申し訳なさそうにしてあやしたり、注意したりして、懸命になだめてるが収まる気配がない。幼児はただ首をふりながら金切り声のような凄まじい声を上げていた。
 幼児はしばらくしゃくりあげていたかと思うと、急に大声で泣きだすということを繰り返しながら、まるで母親から逃げてまわりに助けでも求めるかのように手を前に挙げて、ふらふらと危うげに歩き始めた。そして、だんだんと彼女がいる席に近づいてきた。
 とおまきにその様子を眺めていた彼は、子供につられるようにして彼女の方へ目をやった。彼はドキッとした。何故かそこに彼女はいなかった。そして、彼女がいるはずの席には全く別の人が能面のような顔をして座っていた。  
 不信に思った彼は、彼女がちょっと席を外したすきに、その人が座ってしまったのかと思い、あたりを見回してみてもどこにも彼女は見当たらない。そして、幼児が少し近寄ってくると、その人はまるで怖いものが近づいてくるかのように表情をこわばらせて身を固くした。ちょうどその時、母親が幼児をすばやく抱き上げると、ひときわ激しく抵抗をはじめ、渾身の叫びをあげた。母親はなんとか幼児をなだめようとしながら、その場を急ぎ足で離れていった。
 ふと、彼は彼女に頼んだ荷物が気になって覗くようにして見てみると、彼の荷物も元のまま椅子の上に置いてあった。
 彼はその人の顔をなるべく見ないようにして、何か悪いことでもするように元いた席にそおっと近付いた。ただ、近付いてみて気が付いたのは、彼女のいた席に座っているその人は、彼女と同じような背格好で、服装も髪型もなんとなく似ていた。また肩から掛けているトートバッグも彼女のものと同じような色をしていた。彼は少し薄気味悪くなった。
「すいません…」
 彼がおそるおそる声をかけると、その人が一瞬の間をおいてから息をのむ気配がした。
「ちょっと、いいですか…」
 そう言うと彼は自分の荷物をさっと取り上げた。そして、まるで犯罪現場から立ち去るようにその場を離れると、近くの柱の陰から急いでスマートフォンで彼女に連絡をとった。
「あ、お前?」
「…」
「おい、俺の荷物置きっぱで、どこいってんだよ」
「……どこって?…ここにいるけど…」
 別人の様な声で彼女が答えた。彼はハッとして、柱の陰からうかがうように見てみると、あの人がスマートフォンを持ったまま、彼のほうに笑いながら顔を向けていた。

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