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【自己紹介】改めまして、”いっぽ”と申します。

はじめましての方も、以前からお世話になっているみなさんも、こんばんは。週末ブランドプロデューサー”いっぽ”と申します。

Twitter大好きっ子な私ですが、今後はnoteも定期的に更新していきたいと思い、「それならまずは自己紹介!」と、重い腰を上げて着手いたしました。

今回は、私の生い立ちも含めて自己紹介をさせていただくのですが、なんと気が付けば4,000文字を超えるレポートになってしまいました。笑

最後まで読んでくださる方はいらっしゃるのでしょうか・・・?若干の不安を抱きながら清書しております。では、始めます。

◇週末ブランドプロデューサー「いっぽ」って、何者?

浜松市出身、会社勤めの31歳…の割に、肩書きがたくさんあるのが特徴です。笑

【肩書き】

①本業:会社員(シンプルぅ〜に、一般社員です。笑)

②合同会社こたつ:ブランドマネージャー
カフェMICHIKUSAの母体。パートナーシップカンパニーとして歩み始めたばかりの会社でブランディングに挑戦中。

③株式会社SHE:会員、兼ライフコーチ(会員さん向けに月1回のグループコーチングを担当させていただいております)
会員としての活動はお休み中ですが、8月からコーチデビューをさせていただきました。
9月は木曜日固定で入りますのでSHEメイトさんとコーチングでお会いできるととっても嬉しいです。

④NewSchool:NewsPicks主催、ブランド・ストラテジープロジェクト第1期生としてがっつり勉強中!
自分の強み・弱みと向き合う日々。9月末まで駆け抜けます。

⑤オンラインサロン:オア明奈さんのONDOに所属し、ライフログを通して自分の人生と向き合う習慣をつけています。今後サロン内外でもたくさん企画していきたいと思っています!

簡単に言うと、「オフの時間を使ってブランディングを中心に色々と勉強中」の者です。正直、実績は”まさに今作っているところ!”です。

「そんな感じで名乗っちゃっていいの?」と驚かれる方もいらっしゃると思いますが・・・

まずは自分の意思で肩書きを自分でつけて、力をつけて、実績を積み重ねて、近い将来「いっぽ」の名前でお仕事を取れるようにがんばりたいと、日々精進をしているところです。

1年後の目標は
「右脳」と「左脳」と「思いやり」でみんなと自分のやりたいを叶える”ブランドプロデューサー”になること! です。
右脳:アイディア
左脳:ブランド・ストラテジー
思いやり:GIVE


◇生い立ち

平成元年生まれ。気が付けば31歳。学生時代に思い描いたような結婚式も挙げていなければ子供もいないし、バリバリ独身だけど、もしかしたら今が一番楽しいかもしれません!

ここからは私のライフログに沿って、過去を振り返っていきます。

幼少期

浜松まつりのラッパの音と共に誕生したお祭り女。現役バリバリのレーサー(父)と高卒ながらたくさんのお客様を抱えていた元証券ウーマン(母)の長女として生まれました。

前掛けめっちゃ汚くてごめんなさいww


名前はひらがなで「あゆみ

”自分の人生を自分の足で歩める子になってほしい”という両親の願いが込められています。

9歳までは三重県鈴鹿市で田んぼに囲まれて育ち、両親の離婚がきっかけで母の故郷、静岡県浜松市に引っ越しました。

ちなみに父とは今でも仲良しです。
(1988/1991年 TTF-1チャンピオン、1989年/1990年鈴鹿8時間耐久レース2位)

(左から、父、私、弟)
父が現役引退後初めて8時間耐久レースに出場した時の写真。エモめ。

母は、真面目で実直。非常に愛情深い人です。
父は、ぶっ飛んでてまるでピーターパン。
そんな2人の性格を足して8:2で割った父の血を濃く引き継ぐちゃらんぽらんだけど根は真面目な私です。

青春①

恋愛とは縁遠く、私の青春はマーチングバンドに捧げました。

(写真は後輩たちの練習風景。今はもうマーチングバンド部としては活動していないんだよね。泣)

先輩たちの演奏会を見ていたく感動し、「カッコイイ!」という憧れの気持ちだけで入部を決意。

訳も分からぬまま全国大会を目指し、スパルタ練習に耐え、入部から2年目に、部としては2年ぶり2回目の全国大会出場(小編成の部、3位)を果たしました。

大変なことしかなかったけど、たまにそうやって報われて、そんなご褒美があるならどれだけでも頑張れるんだなと仲間と喜び合った掛け替えのない思い出です。

もう2度とできないけど、笑

その後の辛い出来事も「マーチの練習と比べたらなんともない」を合言葉に乗り越えてきました。(これはOBOG共通の世界線。笑)

大学時代

昔から国際文化や異文化交流に興味があった私は、文化人類学と多文化共生を専攻しました。
文献を参考に、パプアニューギニアの少数民族の成人儀礼などをテーマにディスカッションする日々(ニッチな世界!)

「異文化を見つめる眼差し」を学び、これは今でも私の大切な指針となっています。

「この人私とは違う!」とすぐにシャッターを閉めるのではなく、「なぜ違うんだろう?」と興味を持つことから始めるコミュニケーションの大切さを知り、この思考スキルはその後の社会人生活に大いに役立っています。

青春②

これまた「カッコイイ!」という憧れだけでダンス部に入部。Jazz-HipHopを見よう見まねで特訓。とにかく仲間と気楽に騒がしく遊びまくったいい大学時代でした。笑

青春③

”超♾大学”という超あやしい名前のNPO団体の静岡支部代表を務めていました。

代表のネーミングセンスが壊滅的ではありましたが、志は高く、自分や大切な人の可能性を信じて応援しようをコンセプトに様々なイベントを企画・運営。
当時は今ほどインターネットも普及していなかったですが、毎回100名規模の集客ができていたのでブランディングの知識があればもっと素敵に活動できていたのにと悔やまれてなりません。笑

ちなみにこの団体を作った人は今家族で沖縄に移住して大切な人を大切にする人生を全うしています。コロナ落ち着いたら会いに行くね〜!


そして迎えた就職活動

ここで私は人生最大の夢に挑みました。
2011年、東日本大震災で新卒採用がなくなるかも・・・といった状況ではありましたがなんとか第一志望の内定を獲得。
現在も同じ会社でお仕事をしております。

(内定祝いのサプライズを仕掛けてくれたNPOの仲間との写真)


迷い・葛藤

第一志望に入社したものの、悩むことは当然ありました。
にんげんだもの・・・

何度も何度も壁にぶち当たり、ついには、自分の不甲斐なさに打ちひしがれて、Uターン転職が頭をよぎったこともありました。
そこで転職候補を調べるのですが、なかなかヒットする会社や仕事が見つからず・・・

「どうせこのまま逃げるように浜松に帰っても元のダメな私に戻ってしまうだけだ。故郷に帰って腐るより、ここにいるうちにたくさん勉強して最低でも自分のやりたいことで食っていける実力をつけてから辞めるってことにしよう!」とSHElikesの体験レッスンを予約。

とにかく生きていくために武器が欲しかった私はSHEでWEBマーケティング、ブランディング、ライティングを受講しました。

SHEメイトさんの大半がWEBデザインから受講されるのですが私はどちらかというとブレイン的立場で「デザインのプロに正しくお仕事をお願いする」プロになりたいなと思っていたので上記コース受講を選びました。

SHEでの受講をきっかけにブランディングに関する本を読み、実践を通して学びたいと思った時に、合同会社こたつの代表である、かおりさんと出会いました。

カフェMICHIKUSAのコンセプトに強く惹かれ、ブランディングのお手伝いをさせてほしいと直談判。
快く受け入れていただき今年の4月には正式にブランドマネージャーという肩書きを頂きました。

さらにブランディングを深めていきたいと思っていたところにNewSchool開講のニュースが飛び込んできました。ツイートを目にした瞬間「これだ!」と一気に体温が上がったのを鮮明に覚えています。
エントリーシートを情熱で書き上げ、申し込み。無事合格の知らせを受けNewSchool1期生としてブランド・ストラテジープロジェクトに参加することになりました。

今まさに、毎日ブランディングやマーケティングに関する知識をインプットし、様々な場面でアウトプット…実践に繋げている最中です。

◇いっぽの義憤

実は、ブランディングの他にも、今後突き詰めていきたいことがあります。それは私の原体験から義憤へと繋がっているのです。

義憤…道義に外れたこと、不公正なことに対するいきどおり。(goo辞書)

「本当に受かると思ってるの?」
「さすがに現実見なよ」

これらは、就職活動中に何度も投げかけられた言葉です。
もちろん、私のことが心配でこのような発言に至ったのだと思うのですが・・・ほんま、いらんお世話やで。

この、後ろ指をさされた経験が原体験となり、
【夢を持つ人が笑われない世界を作りたい】と思っています。
もっと実力をつけて、ブランディング×マーケティング&キャリアデザインをキーワードに活動領域を広げていきたい・・・と考えています。

◇生きる上でのマイルール

できることより、やりたいことを選び取る。
その過程でできることを増やしていく。

すべては、「なりたい自分になっていいんだよ。」という母の言葉がきっかけでした。なりたい自分を諦めて生きてきた母だからこそ出た言葉だと思います。

それまで自分でも気がつかないうちに、傷つかないように・・・と自分の夢をごまかしていた私。

「実は、一番最初に諦めていたのは自分自身だったのかもしれない」と気がつき、心の底から自分のやりたいと思うことから目をそらさずに向き合うことができました。

夢を叶えるために重要なのは、現時点での自分のできることを基準にして選択肢の幅を自ら狭めないことだと思っています。
現時点ではできなくても、やりたいことをゴールに据えたらそこに向かって勉強していけばいいし、できるようになると信じることから全ては始まると思っています。


◇1年後、立っていたい場所

とにかく、ワクワクする企画の中心点に立っていたいと思います。そのためにテーマに掲げているのが、これ。

「妄想を妄想で終わらせない。
アイディアを磨き、形にすることができる力を。」

「右脳」と「左脳」と「思いやり」でみんなと自分のやりたいを叶える”ブランドプロデューサー”を目指しています。

「思いに共鳴し、協力してくれる人を見つけ、物事を前に進められる人になりたい。」そのために今、必死になって武器を作っているところです。

以上、とっても長くなりましたが私、週末ブランドプロデューサー”いっぽ”の自己紹介でした!

最後まで読んでくださり本当に本当にありがとうございました!
引き続きどうぞ、よろしくお願いします。


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