京都いってきました!vol.2

京都の2日目。最初に行った寺が妙心寺というお寺でした。

なんで妙心寺なのかというと瓢鮎図という禅問答のお題の描かれた絵がなんとなく好きで、それが見れるのが妙心寺なんです。

瓢鮎図見るために妙心寺に来たわけですが、そこに気になるものを発見しました。

一粒の禅…⁉︎

これが何かを面倒くさがっては好奇心を殺すようなものなので、受付のおばちゃんに聞いてみると、なんと飴玉を使って禅を体験できるとのことなんです。

もうこれって完全に僕のことを呼んでるわけです。
サピエンス全史の著者ハラリも新作『21Lessons』の最終章を瞑想にしているし、世の中でもかなり注目されてるわけです。

※ちなみに僕の浅学な知識ですが、マインドフルネスも禅も瞑想の中の一種みたいな感じでそれぞれ少し異なります。ちなみに片岡鶴太郎が朝の5時から内臓を外すところからやっているあれは世間では「迷走」と呼ばれています。
あとフランス語で鼻は「nez」と言うらしく、呼吸を意識する禅(ZEN)の逆なのも偶然でしょうけど、なんだか素敵ですね。

話が鶴太郎の人生くらい逸れてしまいましたが、要するに「7分間自然を前に1つの行為に集中する」というのをこの飴を舐めるという体験を通してやってみようということです。

そんなわけで飴を買って縁側に向かったんですが、坊主がいないので、あれ?どうしよ?って思っておばちゃんに確認したら


「QRコードを読み取って音声を聞くのよ?」

とのこと。

まさかのシステマティックな技術でした。

しかし、すぐに僕の思考が追いかけます。

(いや待てよ、実体があると思い込むのは仏教が嫌うそれと同じことじゃないか。音声だとダメな理由なんてない…!)

と、もはや認知的不協和のように物語を作ることで平静を取り戻し、音声に従って坊主の指示に従って準備を始めました。

実際にやってみるとわかるんですが、音声に従って飴を舐める以外のことは考えず、集中しろというのですが、これがまぁ難しいこと、難しいこと。


(この飴、原価いくらなんだろ?)

とか

(音声の坊主ってもはやBOSEじゃん)

等あれよあれよと浮かんでしまうんですね。そしてその質の低さに早めに死んだ方がいいのか思わず、考えてしまいます。

やってみると出来ないものの、静寂な場所でひたすらノイズを切り落とすというのは確かに気持ちはリラックス出来た気になりますし、意外と街中の人がイアホンとかスマホに逃げ込んでいるのも外界のノイズを遮断する弱い禅みたいなところもあるんじゃないかと思いました。

寺を出たあとに「やっぱり先人は偉大な考えを生んでいるんだなぁ」と感心しながら次の目的地までApple Musicのレコメンドをシャッフルして聞いていたんですが

どうやらGAFAは僕の欲望を止めさせようとはしない姿勢でした。



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