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読書メモ2:Michael Sandel -"Justice"

マイケル・サンデル「これからの正義の話をしよう」を読み終わったので、少し記録したい。

第10章 正義と共通善

以下、バラク・オバマの発言。

毎日、大勢のアメリカ国民が仕事や家事に精を出しているように見えるー学校に子供を送り届け、車で職場に出勤し、飛行機で出張して会議に参加し、ショッピングモールで買い物をし、ダイエットに励んでいる。それでいて、みな、何かが欠けていと思いはじめている。仕事があり、財産を持ち、気晴らしをし、ただ忙しく過ごすだけでは物足りないと悟りつつある。目的意識を求め、人生に物語のような山場を求めている・・・・・。もし、われわれが本当に、人びとの置かれた状況について話したいと思うならーわれわれの希望と価値観を、彼ら自身の希望と価値観につながるような形で伝えたいと思うならー、進歩主義者であるわれわれは、宗教的言説の分野を切り捨ててはいけない。(p322)

以下は、マサチューセッツ州最高裁判所の裁判長、マーガレット・マーシャルの同性婚に対する発言。

多くの人が、根強い宗教的・道徳的・倫理的信念によって、結婚は男性と女性の結びつきに限られるべきであり、同性愛は不道徳な行為だと考えている。多くの人が、同じくらい強い宗教的・道徳的・倫理的信念によって、同性のカップルにも結婚の権利はあるし、同性愛者も、異性愛者の隣人と少しも違わない処遇をされるべきだと考えている。どちらの見解も、われわれの目の前にある問いに答えてはいない。「われわれの責務は万人の自由を定義することであり、自分たちの道徳律を強制することではない。」(p330)

最近は足立区の「エライ」方が同性愛によって足立区が滅びると言った発言をしていて(これは特に日本で急に始まったことでないが)、時代錯誤も甚だしいバカげた発言だと考えていた。彼らにも勝手にさせてやればいいだけなのにとは、思っていた。その考えをうまく言語化している文章、異性愛者と同じように同性愛者にも権利を与えよう、というよりはどっちだろうが好きにすればいいさ、という姿勢。

以下、共通善に基づく新たな政治についての提言。

1.市民権、犠牲、奉仕

伝統的に、公立学校は公民教育の場だった。世代によっては、軍隊もそうした場だった。ここで私が言っているのは、市民道徳を直截に教えることではなく、知らず知らずのうちに行われることの多い実践的な公民教育のことだ。そういう教育は、青少年が異なった経済的階級、宗教的背景、民族コミュニティから同じ教育機関に集まったときに生まれる。(p339)

3.不平等、連帯、市民道徳

共通善に基づく政治が主要な目標とするものの一つは、公民的生活基盤の再構築だ。個人消費の可能性を広げるための再分配に焦点を当てるのではなく、公共の施設とサービスを再建するために富裕層に課税する。そうすれば、富者も貧者も同じようにそうした施設やサービスを利用したがるはずだ。(中略)富者も貧者も同じように子供を通わせたくなる公立学校、富裕層の通勤者にとっても魅力的な信頼性のある交通手段、公立の病院、運動場、公園、レクリエーション・センター、図書館、博物館や美術館。あくまで理想だが、塀で囲まれた高級住宅コミュニティの住民を、民主的市民生活を共有する共通の場に引き寄せることができるような基盤である。不平等の公民的悪影響とそれを払しょくする方法に的を絞れば所得の分配そのものをめぐる議論からは発見できない政治的牽引力が見つかるかもしれない。また、分配の正義と共通善に光を当てる一助となるかもしれない。(p343)

4.道徳に関与する政治

この数十年でわれわれは、同胞の道徳的・宗教的信念を尊重するということは、(少なくとも政治的目的に関係する場合)それらを無視し、それらを邪魔せず、それらにー可能なかぎりーかかわらずに公共の生を営むことだた思い込むようになった。だが、そうした回避の姿勢からは、偽りの敬意が生まれかねない。偽りの敬意は、現実には道徳的不一致の回避ではなく抑制を意味することが少なくない。そこから反発と反感が生じかねないし、公共の言説の貧困化を招くおそれもある。言説の貧困化とは、一つのニュースから次のニュースへと渡り歩きながら、スキャンダラスでセンセーショナルで些細な事柄にもっぱら気をと取られるようになることだ。道徳的不一致に対する公的な関与が活発になれば、相互的尊敬の基盤は弱まるどころか、強まるはずだ。われわれは、同胞が公共生活に持ち込む道徳的・宗教的信念を避けるのではなく、もっとそれらに注意を向けるべきだーときには反発し、論争し、ときには耳を傾け、そこから学びながら。困難な道徳問題についての公の討議が、いかなる状況でも同意に至るという保証はないし、他社の道徳的・宗教的見解を認めるに至る保障さえない。道徳的・宗教的教条を学べば学ぶほどそれが嫌いになるという可能性は、つねにある。しかし、やってみないことには、わからない。(p344)

たった今さっき、同性愛についてほっとけばいいという内容を書いたが、それは上の文章によると偽りの敬意に該当する。そして、「エライ」人々の言葉尻に過敏に反応して、毎度毎度「謝罪と撤回」で終わり、結局トピックについての理解や討議は深まらない。

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