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悲しみの大切な役割

こんにちは、"dawn"です。
私の投稿に興味を持ってくださり、ありがとうございます。
今回は、個人的にこの夏大注目の映画「インサイド・ヘッド2」の公開にあわせて、一作目の「インサイド・ヘッド」を観た感想を投稿します。

本作は「人間の頭の中が、複数の感情による共同運営だとしたらどんな世界か?」という面白い設定かつ、登場人物である「5つの感情」が織りなす物語が、人の感情面の成長を表した、子供も大人も楽しめる素敵な一作です。

11歳のライリーが新しい街へ引っ越すことになり、感情たちはライリーが変化に対応できるよう協力し合う。ヨロコビ、ビビリ、イカリ、ムカムカ、そしてカナシミは力を出し合うが、ヨロコビとカナシミが司令部の外に放り出されてしまった。元の場所に戻るため、2つの感情は未知の冒険に出発する。

DISNEY+より「インサイド・ヘッド」あらすじ

久し振りに本作を観直して、改めてめちゃくちゃ感動したので、印象に残っている部分を語っていきます!

「カナシミ」は要らない子?

存在意義がわからない悲しみ

作中冒頭、登場人物である5つの感情がそれぞれ役割を紹介されます。それぞれがライリーにとって重要な役割を持っているのです。

・ヨロコビはハッピーな気持ちにさせる
・ビビリは身の危険から守る
・ムカムカは体内に入る毒から守る(物理的にも感情的にも)
・イカリは不公平を許さない

ですが、カナシミだけ明確な役割を説明されません。皆を紹介するヨロコビもそれがわからない様子です。ともかくも、5人の存在によってライリーの思い出一つ一つが生成され、その中でも特別な思い出によってライリーの性格が形作られます。作中では島で表現されていました。

そんな中、カナシミがやたらと思い出に触れようとします。悲しみが触れるとその思い出は色を変えて悲しかったものになってしまいます。この感情の色を変えるという設定はカナシミにしかありません。これにはどういう意味があるのでしょうか?

他人のために自分の悲しみを押し殺す

引っ越してライリー達の新しい生活が始まるも、仕事がうまく軌道に乗らない父親を中心に家族には険悪なムードが漂います。ライリーの頭の中では、家族の関係を良くしようとヨロコビがあの手この手で奮闘します。

それを察して、「パパのために笑顔でいてくれてありがとう」と、ライリーに感謝する母親。なかなか作戦が上手くいかず落ち込むヨロコビも、母親の言葉に復活、「明日も私が素晴らしい一日にするわ!」意気込みます。

そんな中、やたらと思い出を悲しみに染めてしまうカナシミを、ヨロコビは円の中に閉じ込めてしまいます。これは、周囲の大切な人を喜ばせるために、自分の悲しい気持ちを押し殺してしまう様子を描いた、本作の中でも重要なシーンです。

ライリーは、見知らぬ町に来てそれまでの友達と離れ離れになってしまったことや、家族な険悪なムードになってしまっていることが悲しかったのです。ですが、それを押し殺して明るく振る舞うことで、両親と笑顔で過ごしたいと思っていたのです。なんて健気な。静かに胸を打たれます。

カナシミの存在意義

そして、作中後半から徐々に、カナシミの存在意義が明らかになっていきます。カナシミはとても大切な役割を持っていたのです。

悲しみは誰かに共感して勇気づけるためにある

ビンボンがライリーとの思い出であるロケットを失った時、ヨロコビにはないカナシミの大切な能力が発揮されます。

落ち込むビンボンに対して、ヨロコビは他の楽しいことに目をむけさせようとしますが、ビンボンは立ち直ることができません。悲しみはなかったことにはできないのです。

ですが、代わりにカナシミが寄り添うことで、ビンボンは再び司令塔に戻る道を歩み始めます。悲しみを受け入れて立ち直ることができた瞬間ですね。

悲しみを受け入れるというのは苦しいことです。ですが、そこに一緒に共感して寄り添ってくれる人がいたら心強いですよね。カナシミには、誰かの悲しみに共感して勇気づけるという特別な力があったのです。

自分の悲しみも人の悲しみも大切な感情として扱いたいと改めて思わされるシーンです。

悲しみを経験した分だけ喜びを感じることができる

ライリーにとって、アイスホッケーは地元の思い出の中でも特別なものでした。仲間と勝利の喜びを分かち合う場面が特別な思い出となり、ライリーの人格において一つの島を形成しています。

ですが、それはただ単に嬉しかった出来事ではありませんでした。実は、ライリーはかつて大一番の試合でミスしてしまったことがあります。その時、両親もチームの仲間もライリーを励ましてくれました。その出来事を通して、ライリーの中でアイスホッケーは、家族や友達との絆を交えた特別なものになっていたのです。

このことに気づけたのは、カナシミがアイスホッケーの特別な思い出に触れたことがキッカケです。それまでは単に喜びだけに見えた思い出が、悲しみを経たからこそ感じられる喜びになったことが表現されています。

悲しみを糧にすることでより深い喜びを得られる、そのことを通して人生を豊かにしていくことを学ばされました。

悲しみを受け入れ開示するという成長

作中ラスト、ライリーは自分の悲しかった気持ちを両親に吐露します。「本当はミネソタが好き」「前の家に帰りたい」と。悲しさを感じた時、自分は悲しいんだと受け入れ、それを開示するのは大切な自己表現です。それっぽい言葉を使うとアサーションというやつですね。自分の気持ちを素直に表現することで対人関係において安心できます。

もしこれがうまく機能しなかったら、心が壊れて病んでしまったり、怒りの感情に転換して爆発してしまったりします。大人でも素直な自己表現をすることは難しいと感じる場面は多いのではないでしょうか。ライリーが感情表現において大きく成長したシーンです。

これは大人こそ一番感動するシーンなのではないでしょうか。私はここが一番好きです。

悲しみの取り扱いが上手くなることで、他者の悲しみに寄り添って勇気づけられたり、喜びをより深く感じられたり、人生をより良く生きていける。カナシミにはそういった存在意義があったのでした。

その他印象に残ったところ

感情の主導権は人によって異なる

ライリーの頭の中では、5つの感情がそれぞれ主導権を握ろうとしますが、基本的にはヨロコビがリーダー的なポジションを担います。あらゆる物事に興味関心を示して面白がる子供を表しているようです。

他方、作中ではライリーの両親の頭の中でも5つの感情達が共同で人格を形作っている様子が描かれます。真ん中を陣取るリーダーポジションは、母親がかなしみ、父親がイカリでした。それぞれ悲しみに寄り添える優しさを持つ母親と、怒ることで威厳を示したい父親を表現しています。

怒りとは目的のために出し入れできるもの

特に、後者に関しては、作中で父親がライリーを叱った際に「父親の威厳を示したぞ」というイカリのセリフにわかりやすく表れています。アドラー心理学でも、怒りとは原因があって生まれるのではなく、ある目的のために出し入れされるものと述べていますが、まさにそのことを示しています。

「インサイド・ヘッド2」に向けて

公開中の「「インサイド・ヘッド2」では、成長して高校生になったライリーの中で新たな4つの感情(シンパイ、イイナー、ダリィ、ハズカシ)を迎えて物語が繰り広げられます。

これらの感情がどのような役割を担うのか?それらを通してライリーがどのようにして精神的に成長するのか?気になるところです。

ということで、続編の鑑賞前に一作目の感想を綴りました。本シリーズはハズレがないと評判のピクサー映画の中でも屈指の素敵作品です。まだ観だことのない方はもちろん、観たことがある方もぜひ観直して劇場へ行きましょう!

ではまた!

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