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僕が考える音楽家の幸せとは。

「〇〇人も動員しているあの有名アーティストだって、この間テレビに出てたメジャーアーティストだって、まだ食えてないらしいよ。なんならバイトしてるってさ。」

高校生から音楽をしている僕は、何度もそんな話を聞いてきた。

もちろん成功している仲間もいる。高校の頃、同じバンドメンバーとして"閃光ライオット"や"Hジェネ祭り"という音楽の大会で一緒に音を鳴らしたドラマーの彼は、今やMy ◯irst Storyの一員となり、何万人もの人を熱狂させている。

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(当時のバンドの写真。真ん中左がその彼で、真ん中右が僕。)


時は経ち、去年の夏。僕はサマソニに出演した。あのSUMMER SONICだ。音楽家としてこんなに嬉しいことはない!だが、その日、僕が "一番小さいステージ" で嬉しさを噛み締めて歌っていたその瞬間、高校生の頃に僕の後ろでリズムを支えてくれていた彼は "一番大きいステージ" で何万人もの前でドラムを叩いていた。

自分がどうかは置いといて、実力的に優れているアーティストは僕の周りにもたくさんいる。果たして何人のミュージシャンが彼のように "音楽" でご飯を食べられるんだろう。そして、そもそも "音楽" でご飯を食べるって何だろう。僕もそうなるにはどうしたら良いんだろう。そして、売れた先に "自由" や "幸せ" は待っているのだろうか。

夢という言葉だけで走っていられる年齢じゃなくなってきた2018年の初めから、そんなことをずっと考えていた。

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(サマソニのステージでの写真。この場所で歌えたことが本当に嬉しかった。出演打診してくれたTikTokさんには頭が上がらない>< )


2017年

そう考えたのも、今組んでいるUnited Santaというユニットの活動初年度である2017年の末。日本全国ツアーとアルバムを作るために当時行ったクラファンで、たくさんの人の応援もあり、約230万円を集めることに成功した。(ご支援して下さった方、本当に感謝しています><)

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そのおかげもあって、東名阪ツアーはSOLDOUTし、最後の東京ワンマンライブでは約250人を動員した。事務所に入ってない僕らが何もかも手探りの中、必死に駆け抜けたその一年の活動は、周りの関係者からもたくさん褒めてもらった。

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ただ、周りの評価とは裏腹に僕らはすごく焦っていた。理想とする未来と比べた時に、現実は程遠かったからだ。次は何しよう...どうしたら僕らの音楽をより広められるんだろう...そんなことばかり考えていたし、それが全てだと思っていた。

今思うと未来の "幸せ" を信じて、自分の心の声に見て見ぬふりをしていたのだろう。そして、目の前の人と向き合うことを怠ってしまっていたのだ。


2018年

年が明けて、とにかくもっと注目されないといけないと焦っていた僕らは、去年と同じことをしていてもダメだ!とにかく僕らを知ってもらって、僕らが僕らじゃなきゃいけない理由を見つけないと!その先にきっと "自由" と "幸せ" が待ってるはずだ!

そう思って、もともと旅好きだった僕らは世界を旅しながら、三人で歌を歌ったら良いのではないかと考えた。

バンドで世界一周なんて聞いたことがないし、その経験からいい音楽を作れるに違いない!また、クレイジーな奴らだと注目されるかもしれない!そして何より面白そうだし "自由" を感じられそうだ!

メンバー全員がそのアイデアに高揚していた。そして僕らはまたクラファンで資金を募り、日本を飛び越えてセルフワールドツアーに出発した。

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楽しい思い出や、かけがえのない出会いもたくさんあった旅だったが、結論から話すと、旅半ばに僕らは崩壊した。いや、正確には崩壊寸前にまで陥った。僕らは旅に期待しすぎていたのだ。異国の地で、最初こそ精力的に発信していた僕らだったが、知らず知らずのうちに歪みが生まれていたのだろう。

旅の終盤にはメンバーの一人はベッドから動けないほど疲弊していたし、まともに会話も出来なかった。そんな状況もあり、当初の予定よりも早く帰国し、活動休止することを決めた。その状況では、それがUnited Santaを存続させる唯一の方法だったのだ。

その日は本当に悔しくて、ファンに申し訳なくて...の繰り返しだった。どれだけ仲が良くても難しいこともあるんだなと実感したし、あれだけ応援してくれていたファンを裏切る形になってしまい、もういっそのこと音楽を辞めた方が幸せなんじゃないか。いや、実際に辞めようとまで思った。

結局は自分自身が変わらねば何も現実は変えられないのに、こんなことになるまで僕は全く気付けなかった。。

帰国することを決めた翌日に撮影したMV。何もかも音を立てて崩れ落ちて行く中で、この映像が僕らの未来を繋ぎ止めてくれると信じて撮影した。とても大事な宝物だ。いつの日か必ず諦めてしまった世界一周を達成させる。


2019年

そして2019年。数ヶ月の休止期間を経て、僕らは3月に活動再開ライブをした。たくさんのファンを失望させてしまったと思うし、本当に不甲斐ない僕らだったのに、まだこんなにたくさんのファンがおかえりと迎えてくれたのは信じられないほど嬉しかった。ここからまた頑張っていこう、そう思っていた矢先の出来事だった。

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メンバーの岡から脱退したい旨を伝えられた。 喧嘩別れではないが、なかなか難しいという状況で止む無しという判断だった。またしても壁にぶち当たり、もうどうしたらいいのかわからなかった。

ただ、そんな中で相方のYuyaに救われた。

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彼には根拠のない自信があるらしく、よくわからないけれど俺らなら大丈夫だとw 落ち込んでいた僕がまた前を向けたのは彼のおかげだ。もう今年で9年目の仲だが、今でも隣で歌っていてくれることに心から感謝してる。かけがえのないパートナーだ。

2人になった僕らは同じ失敗を繰り返さないように何度も何度も話し合った。なぜ僕らは音楽をするのか。僕らにとって音楽とは何なのか。そもそも本当に音楽じゃなければいけないのか。この軸がしっかりしてないとまた必ず失敗を繰り返してしまう。そう思って2019年はひたすら準備に明け暮れた。

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そんな中で、2019年は個人的にとても大事な一年間だった。音楽しかしてこなかった僕だったが、自分自身をもっと成長させないといけないと思い、帰国してから音楽以外のことにもたくさん挑戦した。

中でも、yutori片石( @katap_yutori )には感謝してもしきれないほどの恩がある。もともと彼がミュージシャン時代に対バンしたことのあるくらいの関係性だったが、旅から帰国した翌日にお茶してから、yutoriに業務委託といった形で関わることになったのだ。

ビジネス経験がほとんどない僕に仕事を振ってくれて、そんな中で事業を仲間と作り上げていく過程はとても心地よく、音楽的に言うならばグルーヴが炸裂していた。

バーチャルモデルの事業では、立ち上げから撮影ディレクターとして関わらせてもらい、日本最高峰のクリエイターたちと作品を一緒に作りあげていったのは極上の経験だった。

yutoriにはどんな人をも否定しない美学がある。彼らにはたくさんのことを学ばせてもらい、自分の良さにも気付くことができた。また、そこで繋がった人と新しい仕事を共にすることもあった。今後もその波は続くだろうし、返しても返しきれないほどの恩がある。本当にありがとう><

eanbe_mv01のコピー

そんな経験を活かして、ずっと仲が良かった友人のきいち( @yonkonwarawara )が立ち上げたアロハシャツブランド「Eanbe」のプロデュースも担当した。PR設計、ブランディング、コンセプト設計など頭がちぎれるほど考えて、無事リリースできた。

記事が注目され、シャツが売り切れた時の喜びは半端じゃなかった。その時の話はぜひ以下の記事を読んで欲しい。

ちなみに今期のデザインも超イケてるので、楽しみにしていてほしい。彼のアロハ愛は本物だ!


また、自分の世界観を視覚的にも表現したいと思い、映像編集にも挑戦した。まだまだ実力不足だけど、少しずつ上達してきているはず><

自分の作った音楽を視覚的にも聴覚的にも堪能してほしい、そう思っては映像編集に明け暮れた。

(この曲は自分の東京での葛藤を書いた大事な曲。映像も含めて是非聴いてほしいです!)

歌えて、曲を書いて、映像も創って、クリエイティブのディレクションもする。そんな自分になりたいと思い、走ってきた一年間だった。2020年も同様にどんなことも積極的に挑戦していきたい◎

(ファンの方には、なかなか発信できてなくて、心配かけて本当に申し訳ありませんでした><)


そして2020年。

これまでの数えきれない失敗を経て気づいたことがある。僕にとっての" 幸せ" とは、隣にいる仲間たちとああでもないこうでもないと言いながら、夢に向かって走っているその瞬間に他ならない。

旅から帰国する前までの僕は、本田圭佑さんの言葉を借りるならば、 "成長" ではなく "成功" に囚われていた。目標とする結果を出さないことには全て失敗であると。でもそんな悲しいことはない。

音楽に限って言えば、みんながみんな武道館を目指さなくてもそれぞれの成功のスタイルがあって良いはずで。じゃないと、武道館に立てず夢半ばで諦めてしまったバンドは歩んできた音楽人生そのものを否定することになってしまう!そんなのは切なすぎる!

自分自身の活動、特にUnited Santaに限って言えば、3人で歌った日々も、2人になって走っている今も全てが成功だ。そう思ってから、心がとても軽くなった。

もちろん僕は2020年、さらに速度をあげて夢に向かって走る。もっともっと多くの人に僕らの音楽を届けたい。ただ結果に囚われ過ぎてしまい、目の前の人を大切にすることを忘れてしまうのは一番ダサい。そんな寒い人間にはなりたくない。

今年の目標は、このツイートに全て詰まってる。応援してくれたみんなへ。たくさん心配かけて本当にごめんなさい。たくさん遠回りしてしまったけど、もう大丈夫◎

周りの目線を気にするんじゃなくて、自分が持つ美学を信じて、しっかり周りに感謝を伝える。そして、そんな愛のある日々にこそ、僕にとっての "幸せ" は詰まっていると信じている。

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