2020夏
最近飼い始めた犬が、全くトイレを覚えない。以前飼っていた犬は外にいたため、トイレは覚えさせるものでは無かった。室内にいる犬には秩序が必要だった。
パグ。名前はオモチ。世界一可愛い犬種はパグとフレンチブルドッグのどちらかだろうと考えていて、パグが来たことで、パグだ。と結論が出た。
当初、体の色合いからコムギというなまえにしようと言っていたのだが、来てみるとあまりに太っていたため、オモチになった。太っている動物は可愛い。一挙一動ふがふが言っていて、母に異常に懐き、どこまでも追いかける。
そして全くトイレを覚えない。本当に全く覚えない。トイレには座ったが、「なぜか座ると家族が総出で褒める謎スポット」くらいにしか思っていない。スポットに入るとやたら褒めそやされるのが落ち着かないのか、トイレを外れた場所でどっこいしょと粗相する。
当初は(これから何年も一緒に居るんだから、こんな失敗が続いていたことなんて、すぐ過去になるだろうな)とか思っていたが、最近は(もうずっと覚えないかもしれない……)と思ってきている。
私は東京から来た人間なので、帰省前の、東京で過ごす2週間、そして実家に着いてからの2週間、外に出ることができない。そのため、ずっと犬といる。
つまりトイレを覚えさせ、粗相を片付けている。
オモチは普段ずっと寝そべっていて、大きな物音や突然の気配にも耳を立てるだけ、何も起きなければずっと寝ている。そして実際何も起こらないので本当にずっと寝ている。
しかし、ひとたび催すと突然その辺をソワソワ歩きだし、ぐるぐる回りだし、やたら匂いを嗅ぎ、やたら体を痒がる。くしゃみもする。
そうなったらもう十中八九トイレだ。当然トイレに連れて行く。座らせる。なでる。そこだよおと甘い声で言う。しない。しないのだ。
もう絶対にトイレがしたいんだろ。こうなったときはほぼトイレだ。してくれ。一日にそうそうないチャンス。トイレを覚えさせるチャンス。
まずは成功体験を植え付けるため、トイレに誘導してそこでさせる、そして異常に褒める必要がある。
トイレシートを持って、粗相する場を探すオモチのうしろについていく。オモチがギョッとするので、いや私はトイレなんかさせるつもりないっすけどねみたいな顔をして、目線だけオモチに気を使う。
ということを30分くらいする。
しない。
それで、つい、(もしかしてトイレじゃないのか?)と不安になった一瞬の隙に、なんらかの布に粗相するのだ。
というあいだ、ずっと一人。部屋にいる父は一度も出てこない。
腹が立った。
「自分ばかり割を食っている」といつも本気で思っている。そこそこ幸福で要領が良い部分もあるのに、「自分ばかり割りを食う」と、信じている。家族は私より本当に幸福で要領がいいからだ。
それで、父に冷たくした。
父はこういうとき、いつもよりすこし明るく振る舞う。
それでも私は父に冷たくした。
姉が帰ってきた。
今日もトイレ失敗したよ、と頭を掻きながら言うと、姉はコラァとオモチをやさしく叱った。
テレビを見ながらオモチを撫でていると、
「お父さんさみしそう」
と、姉がポツリと笑いながら言った。
「何で?」
「まえは、お父さんがこうやって遊んでたんだよ」
ふうん、と思ってから、
「べつに遊びたきゃ自分が来ればいいじゃん、部屋にいんのにオモチのトイレも手伝わないし」
と昼のことを思い出してイライラ言うと、
「でもまえトイレ覚えさせようとしてたのお父さんだったよ、トイレしようとしたら一人で追いかけて、お母さんと私は「何してんの」って冷たい目で見てた」
と姉は言った。
私はその父を思い浮かべる。その情けなく丸っこい後ろ姿はまさしく昼間の自分に似ている。
冷たい目をされても頑張ったり、「調べてみたら、オモチって名前、2019年パグのオスに付けられてる名前ランキング3位だったぞ」とわざわざ部屋から出てきて言いにきたり、トイレトレーニングの記事を家族のグループラインに貼ったり、
人間らしい甘えたところ、素直な感情だけ、私は似て、「自分だけ割りを食っている」なんて、父はきっと思わない。
というか、本当にやさしくて、忘れっぽい男の人は、自分がしたことと相手がしたことの均衡なんていちいち覚えていない。
やさしさだけで出来ている異常な肉になってやろうと目論む私より、彼はずっと正直でやさしい。
フーンと言った。
明日、また謝ることもできない、そして父は、何を謝られたのかわからない。
私は多分、父に謝ることなんて今後もずっとないだろう。
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