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自分の葬式で音楽遍歴ダイジェストを流したい話

2月に祖父が亡くなり、葬式があった。
コロナ渦ということもあり、極力人を呼ばない方向で万事執り行ったので、正直「待機の時間」が多すぎていろいろなことを考える時間がたっぷりあった。
そこで、もし自分が死んで葬式をやるとしたら、今まで人生に影響を与えてきた音楽のセトリを組んで流したい、と思いついたので、徒然なるままに書いていく。

1.ダンスミュージック期

明日でめでたく39歳を迎える私が最初に「ハマった」音楽はSPEEDだった。

メンバーの絵理子ちゃんが同い年。まさに同世代。同じ年の女の子たちがあのハイクオリティで歌って踊る姿は衝撃だった。
どの番組でもいつも生歌。実年齢より大人びた歌詞、とにかくかっこいいサウンド。
少ないお小遣いの中からCDを買って、歌詞カードがヨレッヨレになるまで聴いていた。
生まれて初めてカラオケに行きたいと親にねだって連れていってもらったのも、SPEEDが歌いたかったからだ。
SPEEDの活動期間は短かったけれど、今でも色あせない青春の音楽だ。

葬式で流すなら、「my graduation」「Starting Over」「Carry On my way」あたりがいいか。
もし葬式が4月だったら「April」はマストだな。

2.バンド期

次にやって来たのがバンドブーム。
中学生の時に、ミスチル、スピッツ、GLAY、ラルク、SOPHIA、LUNA SEAといったバンドがヒット曲を量産していた。
どれも一通り聴いていたけれど、人生に大きく影響したのはJUDY AND MARYだろう。

パンクでロック、思い切り尖っているのにめちゃくちゃポップでキュート。とにかくオンリーワン。唯一無二。
当時はまだカセットテープ(時代~!)が存在していたので、カセットが擦り切れるぐらい聴いていた。

葬式で流すなら、「クラシック」「風に吹かれて」「ひとつだけ」辺りがいい。あとは、ファンにとって思い入れの強い「Over Drive」も。

3.時代を変えた歌姫期

バンドブームが継続する中、続いてやって来たのが歌姫ブーム。そう、宇多田ヒカルの登場である。彼女も私と同じ年の生まれ(学年は違うけど)。
いろいろな人が同じことを言うと思うけれど、ま~~~出てきた時の衝撃はすごかった。
聴いたことのない声、全く新しいサウンド、それを10代の子が歌うというギャップ。
マジの天才現る、だった。

1stアルバムはいわずもがな、私は2ndアルバム「Distance」が死ぬほど好きで狂ったように聴いていた。
「Wait&See~リスク~」のイントロやばくないか?未だに震えるほどかっこいい。

葬式で流すなら、「Can You Keep A Secret?」「Prisoner Of Love」「Flavor of Life」がいい。大好き。

4.初の洋楽デビュー期

さあ、まだまだ続く。
高校生の時にハマったのが洋楽。時は2000年、ミレニアムである。そう、Backstreet Boys。略してBSB。
いや~、あの時のBSBの人気ぶりは凄まじかった。専用ジェット機飛ばして世界中をプロモーションで回るなんてことしてたんだから。

ネットが今ほど発達していない時代、外タレの情報なんて必死に集めないと入ってこない。
字幕すらついていない海外のVHS(時代~!!)を手に入れて、なんとか喋っていることを理解しようと頑張った。

そして忘れもしない、2001年11月。初来日公演、東京ドームの開催が決まり、私と次妹は親に土下座する勢いで頼み込んだのだ。

「コンサートに行かせてください」

東北の片田舎から東京まで。往復の交通費、公演は夜なので宿泊費、食費、もちろんチケット代。全部自分たちの貯金をはたいて出す。だから、学校を休ませてほしい。
コンサートは平日だったので、どうしても2日間学校を休むことになる。この時、何て言う親が多いだろうか。

うちの親は、「よし行って来い!」だった。
そもそも父親が大の洋楽狂い。外タレの来日公演がどれほど貴重で、このチャンスを逃すと二度と見ることはできないかもしれないということを、身に沁みて知っている人だった。
日頃から私たちの熱量を見ていたため、これは行かせてやらなければと思ったそうだ。

かくして母は、2日連続それぞれの高校に、「すみません、風邪をひいたようで……」とウソ電話をかけ、私と次妹は人生初の東京ドームへと向かったのだ。
今でもはっきり覚えている。1階スタンドの10列目。めちゃくちゃ良席だった。
今まで映像でしか見ることができなかったBSBが、肉眼で見えるくらいはっきりと目の前にいて、CDと変わらない生歌を披露し、ぎこちない日本語で挨拶してくれた。本当に夢のような体験だった。

あの時快く行かせてくれた両親には今でも感謝している。まあ、その後BSBは何度か来日公演を行い、代々木体育館とドーム2回目も参戦したのだが、やはり初めて見た時の感動は何者にも代え難かった。

葬式で流すなら、やっぱり名曲中の名曲「I Want It That Way」は外せない。マジで人生で1000回以上聴いてる。
「Spanish Eyes」「Drowning」「Never Gone」「Show ‘Em」も大好き。
「How Did I Fall In Love With You」もいいな。
ドームで生で聴いたHowieのソロ最高だった。

10億回再生ってエグいな。

5.カリスマボーカリスト期

2002年、大学入学と同時に上京した。
この年にバンド活動を終えてソロデビューしたのがYUKIちゃん。JUDY AND MARYのボーカリストである。
学生時代、どんなに好きでもなかなかライブには行けなかった。JAMを生で見られなかったのがずっと心残りで、ソロになったYUKIちゃんのファンクラブに入ってせっせとライブに通うことになる。

東京に行って良かったことの一つが、エンタメの充実度だ。
コンサート、ミュージカル、歌舞伎、お笑いのライブに至るまで、とにかくチケットさえ取れればすぐに見に行ける。
東京ドームも武道館も定期の範囲内だったから、交通費もタダみたいなもの。それは、東北の田舎では体験できないことだった。

中野サンプラザ、Zepp Tokyo、横浜BLITZ、東京国際フォーラム、水道橋ミーツポート、神奈川県民ホール、日比谷公会堂、武道館は3回、それに東京ドーム。
YUKIちゃんのライブは10回以上行った。ファンクラブに入っていたらほぼ確実にチケットは取れた。

痛くて切なくて優しい言葉と、ソロになってぶわあっと広がった歌の幅。いくつ年を重ねても、永遠に「かわいい」と言われるであろうその存在。
全部が好きで憧れで、こんな女性になりたいと今でも憧れの存在だ。

葬式で流すなら、ぶっちぎりの好き曲「プリズム」、「Home Sweet Home」は外せない。
「tonight」「24hours」も大好き。葬式が冬なら「雪が消してく」はマスト。

6.アニソン・キャラソン期

結婚して地元に戻り、どハマりしたのが「うたの☆プリンスさまっ」通称「うたプリ」。
元々アニメを見ることは好きでライトにいろいろかじってはいたが、ここまで一つのコンテンツにハマったのは初めてだった。

私の永遠の推し、神宮司レン。ただひたすらに恋。持ち物がオレンジ色に染まっていく。
二次元アイドルは熱愛報道もなく、スキャンダルも起こさず、解散もせず、なんなら年も取らないので非常に安心して応援できる。
もうそのうちオタクの年齢層が上がっていったら、うたプリ仕様の仏壇とか棺桶をグッズで出してほしい。買う。

葬式で流すなら、火葬の時に爆音で「ウルトラブラスト」を流してほしい。真っ赤に燃えたウルトラブラスト。
で、「ファンタジック☆プレリュード」で天に召される。

7.人生初のジャニーズ期

大人になると、今まで聴いてきた曲をリピートするばかりで新しいアーティストになかなか手が出ない。
そんな中、突如沼にズドンしたのがSixTONES
堕ちた経緯は以前書いたので割愛するが、これもやはり私の人生に大きな影響を与えた。

葬式で流すなら、やはり堕ちるきっかけになった「Lifetime」。「光る、兆し」で感動的にするのもいいし、「Good Time」で人生楽しかったなあ~で締めるのもいい。
まさに生活に、人生に寄り添ってくれる音楽がSixTONES。


思いつくままに書いてきたが、残りの人生もきっと新しい音楽との出会いがあるのだろう。
暇な時に考えてみると楽しいかもしれない。自分の人生を振り返るセトリ。