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「思い描く経営者像がまったく違っていた」株式会社美創 田中社長インタビュー①

株式会社美創の田中社長は、2009年に社長に就任されてから今年で15年目。35年前に一般社員として入社されており、経営者としての資質を持ち合わせていない、、と非常に苦労した時期を過ごされたそうです。そんな時、ご自身・会社が変わるきっかけとなったのが中小企業家同友会。どのような苦労があったのか、どう乗り越えてこられたのか。
内容がたっぷり詰まった田中社長のインタビュー、ぜひ最後までご覧ください!

一般社員として入社したが・・・

ー まず、これまでのご経歴について教えてください。

大阪の大学を卒業しそのまま大阪のメーカー企業に就職をしましたが、1989年(平成元年)に当社へ中途採用で入社しました。まず配属されたのは新規事業の分譲マンション販売をする不動産部門で、それから商業店舗などの不動産提案やそれに伴う設計・施工に携わりました。その後、2001年に福岡支店責任者、2003年に東京支店責任者の任務を経て本社へ帰ってきました。

ー 社長就任の経緯を教えてください。

はい。実は当社は事業譲渡を受けた会社なんですよね。私は中途採用で一般社員として入社しましたが、会社の整理・再生に伴って経営をする立場になりました。旧会社でも専務取締役という役職ではありましたが、会社の経営面には携わっていなくて…あくまでも営業面・統括管理という面での役職だったんです。
その後、2007年に不動産所有部門を残し、現事業を休眠会社へ事業譲渡することになりました。その際、地元の社長に大部分を出資いただき、私自身も12%ほど出資し副社長に就任しました。当時社長に就任したのは、同じく12%ほど出資した同僚でした。ただ、経営を始めるも2年目には非常に赤字が多くなり行き詰まったため社長交代。2009年1月に副社長だった私が社長に就任することになりました。

ー 社長に就任してみて、いかがでしたか?

事業を残していただいた創業者と引き継いでいただいた地元企業の社長への恩義と責任感で社長になるものの、当時は経営者としての資質を持ち合わせておらず、人・金に困り非常に苦労した時期を過ごしました。その後、中小企業家同友会で学び、自分の経営者像が全く違うことを発見し、必死に学び自社に取り込んでいくことで会社が変わっていったんです。

藁にもすがる思い…中小企業家同友会にて必死に学ぶ日々。

ー 会社が変わるきっかけとなった中小企業家同友会。入られたきっかけを教えてください!

私が46歳になった時、先輩から声をかけられ初めて参加しました。先輩に「どういう会なんですか?」と聞くと「経営者の勉強会だよ」と言われましてね。ちょうどその前月(5月)に赤字決算をしたタイミングで、当時は火の車でしたので、そんな甘っちょろい事をしている場合か!というのが正直な気持ちでした。でも、参加したおかげで私の考えが180度どころか1週回って反転し540度くらい変わったので、誘って頂いた先輩にはものすごく感謝をしています。

ー 中小企業家同友会に入られて具体的にどのように変わっていったのですか?

まず持って、私の経営者像がまったく違ったんです。これまでは、不動産や建築をやっていて、人との繋がりはアンダーグラウンドでやるものだと思っていたんですよね。ネゴシエーション、根回し、説得など、そのあたりをうまくやること。そして、営業に資金繰りがついたものが経営だと思っておりました。また、「社長」という役を演じなければいけないという風にも思っていて、自分が仕事を取ってきて社員を食わせていかなければ!と、それが当たり前だと思っていたんです。でも、同友会に入ってみると先輩方が、私の考えとはまったく違う話をするんです。最初は、いやいや道徳のような綺麗ごとで経営ができるはずはありませんよ、と思っていたんですが、それから時が経っても同じことを言われるし、そんな綺麗ごとを言う先輩方は良い会社を作られているし…ひょっとして自分が間違っているのかな、と思い始めるようになりました。

当時私は経営者としての自信が無かったんですが、もし同友会の方々のようにすれば道が開けるということであれば、自分にも出来るかもしれない!と思うようになり、藁にもすがる思いで同友会で必死に学んでいきました。学んだことを自分がしっかり吸収し、それをどんどん会社に反映させていくと、会社もどんどん変わっていきましたし、最後には業績まで良くなりました。そこで、後ろをぱっと振り返ってみて気付いたことは、やはり自分が間違っていて、今まで思い描いていた経営者像は180度違ったんだな、ということです。当時は会社を潰したらいかん!と一生懸命な思いでやっていたんですけどね。振り返ってみると全く違っていたということで、全社員を集め「申し訳なかった」と謝り、「これからはこういう会社を作りたいんだ。」とみんなに改めて伝えました。

ー 現在はそんな中小企業家同友会の代表理事もされているんですよね!

今熊本のメンバーは720人ぐらいいますよ!私は、立ち上げ・創業といった、本当の経営をしたことがないんです。一般社員として会社に入社し、一応取締役などの役職にはついてきたんだけども、いわゆる普通の会社の課長・部長のような仕事をやってきていて、経営には携わっていないんですよ。そんな人は、経営をどこで学べばいいのか、その方法すら知らない訳なんです。だからそんな人達に、こんな道があるんだ!こんなことが学べるんだ!と同友会を通じて知らせてあげることが、ある意味人助けだと思い日々活動しています。

会社経営において苦しかったこと・嬉しかったこと

ー では、会社経営において一番苦しかったことは何ですか?

1番はお金です。もうお金が足りなくて足りなくて…そりゃ相当苦しかったですね。とにかく銀行から借りられるだけ借りるんですけど「もう田中社長、ごめんやけどこれ以上は無理やもんね」と言われ、他の銀行に行ったり支払いを伸ばしてもらったり。当時は夜遅く23時くらいまで会社にいて、夜中1時に寝るけどお金の問題で4時には目が覚める、と。そんな生活を送っていた時がありました。そうなると人も辞めていきますしね…。

ー そんな困難があった中で、なぜ諦めずに、会社経営を続けてこられたのですか?

やっぱり、会社を残していただいた感謝・責任感ですかね。元々の会社を、負債を抱えながら整理していくわけですよ。その負債を抱えるのは創業者で、我々は仕事とお客様と会社を残してもらった身なので、そんな会社を潰すことなんて到底できない!と思っていました。そして、地元の会社が手を差し伸べてくれて何とかやっていけていたので、創業者と地元会社社長のお二人に対する責任感・恩義が1番強かったです。

ー では逆に、会社経営において嬉しかったこと・お客様から頂いた嬉しいお声等はありますか?

1番嬉しかったことは、まさしく当社のビジョンとなるお言葉をお客様から言って頂けたことです。3、4年前にお客様から「美創さんは、安くはないけど決して高くはないよね」と言って頂き、この言葉は今もずっと心の中に残っています。同友会の調査でも、”原材料高”が経営の問題で1番だったんですが、これが2番に下がったんです。ということは、原材料高はずっと続くし、下がりようがなく当たり前になっていくということなんですよ。そうなると、うちのお客様に対するお見積もりも必然的に高くなるんですよね。それを突っぱねずに「そうだよね、物価も高くなってるもんね」と受け入れて下さることや、弊社としても社員の給料を上げていきたいことなどを考えた時に、これはローコストリーダーを目指すべきではないな、と気付きました。先ほどの「安くはないけど決して高くないよね」と言われる文化を築くことが大事だと思いましたし、これが当社の環境づくり・方向性の指針にもなっているので、非常にありがたい言葉を頂いたと思っています。

最後に

株式会社美創の田中社長は、同友会がきっかけでご自身の考えが大きく変わり、学んだことをどんどん実践することで、会社を大きく変革・成長させてきました。

学びを経て後ろを振り返った時に、これまでの自分は間違っていた、これからはこんな会社を作りたい、と自分の非を認め社員の皆さんに謝罪と今後の決意をお話しされたという田中社長のエピソード、とっても素敵で思いが溢れており、社長の魅力がたくさん詰まっていると思いませんか?

次回は田中社長の観点から「株式会社美創」について語って頂きます!
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