見出し画像

歩く人目線のまちづくり

オーナーシップ。難しい言葉だ。
どこまで自分ごととするか?

公共とか、社会貢献って難しくない? とか
日本では、市民と公共の関係が未成熟だ… とか

難しく考えたり誰かを批判する必要はなくて、
著者は明快に考え、爽やかに行動する。

・与え合いを目指さない。わたしは自分の好きなことを誰かとしているだけで、すでに十分なのだ。
・富の再分配を誤読する。目の届く再分配。そして経済的に貧しい人にだけ再分配するのではない。
・公共とは与えられるもの、みんなのもの、ではなくて、自分自身が公共であり、自分で公共はつくれる。
・そう、”マイパブリック”でいいのだ。

あるひとがこんなことを言ってくれた。「この通りがこんなに人で溢れるなんて何十年ぶりだろう。また来て下さいよ」。ありがたい一言だ。他の場所でもそう言っていただけることがあるけれど、わたしは感謝を伝えつつも、いつもこう答えている。「次は、あなたがやってください!わたし、遊びに来ますよ」。これは私の素直な願いである。本当は、その街に暮らす人々が、特別なことでもなく、普段からこんなことをしていたら、どんなに面白いだろう。ひろんな人が、いろんな場所で各地で、いろんなパブリックをつくる。(p.78)

これからは、「禁止」主導のルールではなく、何かを自由に使ってもらったり楽しんでもらうための「自由」主導のルールづくりが、企業にも行政にも普通のことになっていく。全部予測してコントロールするのは不可能だからだ。企画側がトップダウンでサービスを提供し、そして消費側は与えられたものに対して不満を言う、ではなくて、ある程度の方向性を示した上で自分がやっていいんだ、という余白をつくる。ヒエラルキー型の構造や関係性から、フラットな共創を通じて豊かなふるまいが生まれてくる、それがこれからの時代の鉄則だと思う。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?