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パスじゃないフリができるパス


I先生とK先生と食事に行った。そこで、サイコパスの話になった。
タイトルは僕が発した言葉で、ツイートしてくださいと言われたので、代わりにここに書くことにした。

ネットに転がっていたサイコパスの定義

Lynam(1998)は、Cleckleyが主張したサイコパスの諸特徴として、易刺激性、冷淡、衝動的、無責任、自己中心的、感情的に浅はか、操作的、共感性の欠如、不安、自責、そして様々な犯罪行動に従事することなどを挙げた。さらにSellbom & Verona(2007)によれば、これらの諸特徴はまた、「情緒一対人関係(affective-interpersonal)」と、「社会的逸脱(social deviance)」の2つの主要な側面に分類される。「情緒一対人関係」側面では、ごまかし、表面的な魅力、感情的に冷淡といった特性が含まれる。一方、「社会的逸脱」の側面では、衝動性、無責任、社会通念に従うことの困難といった特性が含まれる。

金子周平, 非犯罪者のサイコパ類型におけるパーソナリティ特性および精神病理の検討

僕にとってのサイコパスの定義

心無いことが言える。共感できない。操作しようとする。等。ざっくりそんな感じ。サイコパスは先天性、ソシオパスは後天性。サイコパスは生まれ持った気質であるが、ソシオパスはなんらかの原因(トラウマになるほどの強い衝撃等)が原因でなってしまうものだと考えている。

先生たちとの食事

桃のパフェ
居酒屋 お通し

パフェを食べた後、居酒屋に行っていつもの如く話したいことを話した。今回もいろいろと話が出た。そのなかで、僕たちはサイコパスかどうかという話が出た。
I先生はサイコパスだと自認している。K先生はサイコパスじゃないらしい。
で、僕はよくわかっていないけど、サイコパス/ソシオパスかもしれないという話にはなっている。I先生曰く話を聞けば聞くほどサイコパスという定義に入ってしまうらしいが、僕は生まれつきながらのパスかというとそうじゃないと思ってる。でも、「生まれつきそうじゃない」となぜ言い切れるのかということも言えてしまう。子供時代の僕を俯瞰して見て、「うん、心無いことをしていないし、僕はパスってない」と言えるのは変だと思う。心無いかどうかというのは第三者じゃないと判断できないから。そもそもこの心無いかどうかという考え自体、他人がいる社会だからこそ成立するものだ。


子供の頃

僕は子供の頃から、人の気持ちがわかるし、気がきくし、優しいし、常識がある方だと思っていた。笑。だからみんなとお遊びでやる性格診断の選択では、「気がきく」「融通がきく」という方をよく選択していた。
でも数年前にそれは違うと認めざるを得なくなってしまった。今なら言えるけど、心の中でちょっと違うと思いながら、そう思いたくて敢えて選択していた。何か引っかかりながら、良い選択ばかりしていた。
数年前に、いろんな人と話す期間があって、そこで「僕とは明らかにチャンネルの違う人間が存在する」ということを咀嚼して飲み込んだ。そして、”人の気持ちがわかる”なんてことは不可能だということも。僕の脳みそから発信して考えているということは、フィルターがかかっているのは事実なので、その時点で相手の気持ちではなく、僕の憶測、推測、願望だったりするんだな……と思った。
じゃあ、僕は今まで何していたんだ?となる。自分のこの性格が嫌だし、嫌いだなとうっすら思っていたところに、ある作品と出会った。

作品を通して受け入れる

イギリス制作ドラマ『SHERLOCK』を見た。当時の僕は普段見ないような作品をとりあえず見てみようという気分だった。あるきっかけで、この作品を見た。前情報は全く無かった。これを何の情報も入れずに見ることができたのは幸運だったと思う。
このドラマ、とにかく面白くて文字通り夜通しで全部見た。数日でシーズン4の終わりまで見た。
で、僕は何に驚愕したかというと、僕がこのドラマに出会う前に思っていたことや、実際に発した言葉を、シャーロックがガンガン言うことことだった。そして、僕の恐れていることを見事に可視化し、「君が恐れているのはこれだろう?」と言われているような気さえした。
製作者側はジョン・ワトソンを視聴者の代弁者としてキャラクターを立てていると言っていたけれど、そんなんけないと思った。ジョンは良くも悪くも究極の一般人だと思っている。軍医としての技術や射撃術のことを指しているのではなくて、内面のことだ。ジョンのような性格を半分くらい内面に持ち合わせてる人は本当にたくさんいる、と僕は思っている。
とにかく……1話目から僕はがっつりシャーロック目線で見ていた。映画を見る時はなるべくいろんな視点から見るように心がけているつもりだったけれど、このドラマは気付いたら完全にシャーロック目線で見ていた。(シーズン3の、ジョンがシャーロックを殴るシーンではなんで殴ったのかわからなかったので、この時に僕は完全に片方の視点だけで見てしまっていることに気付いた)。
ドラマに対する感想諸々は話が脱線するので省略する。

僕はこの主人公を見て、「あ、これでもいいんだな」と思った。多分、これを読んだ何人かの人は何気持ち悪いことを言ってるんだ?と思うかもしれない。僕自身は思ってる。それも承知の上で書く。
僕は彼ほど知識は無いし、頭も良くないけれど、自分の嫌だなと思う性格をこんなふうに描く作品もあるんだという安心を得られたのかもしれない。僕の親は「(ジョンのような人間が傍にいてくれるのは)シャーロックに才能があるから」と言ってきたし、まぁ実際そうなんだろうと思う。

僕は昔から、空想上の人間を頭の中に召喚することが多かった。とにかく自分じゃない誰かになりたかった。これは認めざるを得ないし、僕の恥ずかしい事実の一つだ。(同じような人がいたらごめん、でも君は恥じなくていいんだよ)。そこには多くの憧れや「こうなりたい」って気持ちがたくさんあったと思う。そして今回も勿論憧れが半分くらいきっと入ってる。でももう半分は、これまでとは何か違うという気がしている。

シャーロックは作品の中で一番人間的で、誰よりも人間だ。そこが良かったのかもしれない。

パスなのか?

いい子ちゃんを頑張って演じず、素直に、率直に言うなら、多分僕はパス寄りの人間なんだとは思う。子供の頃の自分をまるで別人だと思っているけど、あの凶暴さや酷い行動(とされていること)を思うと、まぁそうなんじゃないかなと思う。

:-)

:-D

こんなこと言っちゃ悪いが、僕の性格とかは家庭環境や親の影響だと思っていたけど、先天性の根っからのものだっていう可能性はあるのかもしれない。
第三者に診断してほしいものだ。
いやしなくてもいいけどね。

:-)

小学校低学年の頃、文化祭のようなものがあった。理科を紹介する教室では、初めてダイラタンシーを知った。
磁石と砂鉄。砂鉄は必ず紙を介して磁石にくっつけろと言われたが、僕は好奇心が勝って磁石と砂鉄を直接くっつけてしまった。
高学年の女に、
「どうするの、これ、アレンさん。ねえ」
と言われた。
彼女は僕の名前を知っていた。なぜなら高学年に僕の兄がいたからだ。
丁度チャイムが鳴ったので、僕は走って逃げ出した。悪いとは微塵にも思わなかったし、罪悪感も抱かずただひたすら逃げた。一回振り返って見たけど、彼女はそこに立ち尽くしたまま、「アレンさん! ねえ、アレンさーん!」と怒鳴っていた。僕の視界からどんどん遠ざかる彼女と、叫ぶ声はドラマのワンシーンみたいだった。あのあと彼女は先生に怒られたかな。彼女は僕の兄に文句を言いに行ったかな。

あえてよくない出来事を書くことで僕はむしろわざとこういうことをやっている一般人という振る舞いをすることができる。……と、思わせるための振る舞いかもしれない。メタ認知のメタ認知。キリがない。

:-D

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