ウェーバー:クラリネット五重奏曲 変ロ長調 Op.34
2009年の原稿をweb用に改変してみました
■ウェーバー:クラリネット五重奏曲 変ロ長調 Op.34
カルル・マリア・フォン・ウェーバーは、まず何よりもオペラの作曲家でした。ウェーバーの父親は劇団を結成して各地を巡業していたため、ウェーバーの生活は物心ついたときには既に劇場と共にありました。旅から旅への生活ですから、学校で落ち着いて勉強をするという環境ではありませんでしたが、その代わり、彼は様々な土地で見るもの・聞くものに興味を持ち、それらのすべてを貪欲に吸収しました。旅先で音楽教育を受け、ザルツブルクではミヒャエル・ハイドンにも教えを受けています。移動の生活ですから、行く先々で様々な先生に教えてもらったのも、彼にとっては大きな財産になったことでしょう。この辺のことは、やっぱりお父さんがクレバーだったと言えるでしょうね。うまく息子を導いていくことができた。ウェーバーにとっては、まさに劇団と旅が「学校」であり、「家」だったのです。そうした環境で育ったウェーバーがオペラに興味を持つのは当然の結果なのかもしれません。何しろ劇場が生活そのものなのですから....早くも12歳のときには最初のオペラ創作を試み、14歳のときには2番目のオペラ「森の娘」がフライブルクで上演され、17歳のときには何とブラスラウ(現ヴロツワフ。ポーランドですよね)の歌劇場の指揮者に任命されました。その後、プラハ歌劇場の芸術監督に就任し、低落傾向だったこの歌劇場を見事に立て直しました。そしてドレスデン歌劇場に移り、代表作・歌劇「魔弾の射手」によって、ドイツ・ロマン派オペラのスタイルを確立することになるわけです。イタリア一辺倒だったドレスデンの関心をドイツオペラにも向けさせることに成功したんです。ウェーバーは39歳の若さで亡くなりましたが、その決して長いとは言えない生涯は常に劇場と共にあり、まさに『劇場の申し子』と言っても過言ではないでしょう。
そうしたウェーバーですが、オペラだけではなく、器楽作品にも注目すべき作品がいろいろあります。ピアノ用の作品の充実ぶりは言うまでもありませんが、器楽のための作品の一覧を見ていてもうひとつ気がつくのは、クラリネットを主役にした作品の多さです(協奏曲が2曲、小協奏曲が1曲、ピアノとの二重奏が3曲、そして今日聴いていただく五重奏曲の計7曲)。1811年、ウェーバーがミュンヘンを訪れた際に、同地の宮廷オーケストラのクラリネット奏者ハインリヒ・ベールマンと知り合いました。2人は意気投合し、後には一緒に長い演奏旅行に出かけるほど親しい間柄になりました。ベールマンは大変な名手で、その素晴らしい演奏に触発されたウェーバーはクラリネットのための作品を次々に作曲したのです。
👇グランデュオコンチェルタンテのピアノパートは華やかに活躍するクラリネットをただ脇に回って地味に支えるのではなく、元気にしゃしゃり出て行ってクラリネットと対等にめっちゃコンチェルタンテに活躍しまくるのがおもしろいです。このスリリングな丁々発止感は実に素敵です。オペラのスター歌手の名人芸対決みたいって言ってもいいかな...ものすごくコンチェルタンテなのにそれでもちゃんと室内楽になってるのが凄い。絶妙なバランス感覚。
クラリネット奏者と作曲家には、こうした幸福な出会いがいくつかあります。モーツァルトがアントン・シュタットラーのために協奏曲や五重奏曲を作曲しましたし、創作意欲を失いつつあった晩年のブラームスがリヒャルト・ミュールフェルトの演奏を聞いて再び創作意欲を取り戻し、2つのソナタ、三重奏曲と五重奏曲を書いたのも有名な話です。
本日聴いていただくクラリネット五重奏曲は1811年に第2楽章から作曲が始まり、1815年になってようやく全楽章が完成されました。モーツァルトやブラームスの五重奏曲に比べると、クラリネットが一貫して前面に出るスタイルで書かれていて、これはもう『協奏曲的』と言ってもいいかもしれません。実際、近年では弦楽四重奏を弦楽合奏にして、クラリネット協奏曲のような形態で演奏することも最近はよくあります。 クラリネットがかなりコンチェルタンテに書かれてるので、このスタイルも違和感は少ないです。
ウェーバーは本当はピアノ作品が凄いのです。(リストはウェーバーのピアノ曲が大好きで、大きな影響を受けています)
そのお話は、またできればいいんですけど...