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古い習慣とさようならをする、新しい習慣にこんにちはをする

ひとりの時間を大事にしてきた。
特に大事なことを考える時だったり、ニュートラルに戻ろうとする時は。

物理的にひとりになるだけじゃなくて、あらゆるものとのつながりをシャットアウトして「一人で存在している時間」を作っていた。

別の言葉で言い換えると、色んなものを切る癖、習慣があった。

「それは孤独への道だ。」

そういうことじゃないんだと思う。
たぶんこの「なんか違う」を繰り返して、何度も古い習慣とさようならをして最後の脱皮を迎えている。

「どんな声も聞きもらさない。聞いてあげたい、共に生きたい。」

私の信念、生き方なのだと思う。
強い叫び声を抑圧して見ないフリをして先送りしてきた。強いエネルギーを持つのは直感的にわかるから、反射的に怖くて無視する習慣がついたのだろう。そうやって自分を守ってきたけれど、今の私はそんなに弱くはない。というかその生き方に、自分の心を裏切ることに嫌気がさした、と言う方が正しいのかもしれない。だから強い弱いと言ってられなくなった。
もっと大事にしたいものがある。

私は丁寧に生きたい。

心に感じるものをじっくりと味わって、
自分に舞い降りてくる様々な出来事をやさしく包み、
今と、今ここにある未来と、たまに過去と、
私と、世界と共にあり、
じっくり、丁寧に生きたい。

欲を張ると世界の美しさに触れたいかな。(笑)

旅をしたい。

できるところから抑圧している声を聞いていく。
頭は「早くしろ!」ってうるさいけれど、心は全然そんなことなくて、恐ろしいくらいゆったりにっこり待っていてくれている。

本当頭はいろんなことを急ぐよなぁ。先へ先へって。
外に権威を見つけようともする。正しい正しくないって、そういうことじゃないのよ。

よくわからないときも、自分の言葉で話す、紡ぐことにチャレンジをしたい。
「こんな感じかな?」
何度もトライする。
ここはもう人間の進化の限界でしょうか。反復練習あるのみ。

体もまた、面白い。心は穏やかなのに体はムシャクシャイライラしてたり、焦りや恐れをめちゃ出してくる時がある。それに従っても違う瞬間というのはだいたい掴めてきました。体は覚えているんだなぁと感心します。


最近私の中で「旅」というキーワードが降りてきている。
その言わんとすることはまだ釈然とはしないけれど、

「移動をすること」

はなんだか大事なようで。
そげ落ちていく感覚、「ありがとうございました。さようなら。」をするような、通過儀礼のような、「本当を知る」、私の哲学を、みたいな感覚がある。

移動する中でその土地のエネルギー、その土地にあるものに助けてもらいながら少しずつそこにおいていくイメージがある。
手を合わせて弔っているような映像。

循環、供養、還元。

元あった場所に戻すというのでもなさそうな、そげ落ちる何かがいたいと思う場所?にっこりと笑顔で消えていく映像も浮かぶ。

周波数とかそういうものなのかな。

綺麗なもの、澄んだもの。
光と闇が本質的には同じものであるということが思い当たる。私が汚い嫌だと思っていたものは蓋を開けてみたらみたら綺麗なものであることが多い。
ここに心を通わせて、重ねて昇華させる、?同じものが還っていく、私から抜けていくなり新しくまた戻ってきたりするような...。
穏やかな、さざ波のような世界。

よくわからないけれど、移動という部分は、
「こうでないといけない気がする。」
という不思議な感触が残る。
とか言って違った〜とかなるのも恒例なので、未知。


まだ何かピースがありそうだけど動いてみないとわからなそうなので準備ができて時がきたらどこかにふらっと行こう。
行かないのかもしれないけれど。

(周辺の人はいつもこの私の突然の決断に付き合うことになる。でもそれが私だから。許してね。)


どんな形にせよ、あらゆるものを脱ぎすてる旅になるのだと思う。
そして旅の題名は、いつも通り後から付くのだろう。

今は次への準備期間。
いつ旅の始まりが来るのかはわからない。時が来るまで最高最善の支援を感謝の気持ちと共に。

最後なんていつ来るかわからない。
最後の奉仕と思って全ての仕事に向き合います。


つぶやき

「親愛なる彼氏と、家族と、仲間と、旅することになったら離れちゃうの嫌だなぁ〜〜寂しいなぁ〜〜〜」

とか思ったりもしますが、つながりってそういうことじゃないから。
大事な、深く愛でつながったコードは時間も距離も幻のようなもので、そんなものは容易く超えてしまう。

励みになります☺️