1.一番古い記憶

 一番古い記憶は幼稚園だろう。

 僕は当時から絵を描くことが好きで、女の子たちと女の子の絵を描いては色んな子に見せて「どっちがかわいい?」なんてやっていた。

 この頃は性差なんて殆どなくて、精々、トイレが別、くらいだったと思う。多分別だった気がする。きっと。

 当時の僕は控えめにいってもかわいくて、それが今なぜこうなったのか……と頭を抱えたくなるほどだが、天真爛漫で人見知りもせず、所謂よい子だった。と思う。本当にどうしてこうなったのか。

 性差はなかったが、当時から女の子は女の子と、男の子は男の子とつるむのが既に普通のこととしてあって、僕も何の疑いもなく女の子とよくいた。特に家の隣に住んでいた一家の三女(確か三女だったと思う)と同級生ということもあり、一緒に登園したりもしていた(が、彼女の遅刻癖に辟易して一人で登園する様になった)。けれど当時既に性自認は男だった。一人称は俺だったし、小学校に上がったら黒いランドセルを持つのだと何の疑いもなく思っていた。

 思っていたが、それは許されなかった。

 三つ年上の兄は、一人称が俺だった。だから僕もそれが普通と思って「俺」といっていたのに、「私」といいなさいといわれ、更に兄を名前で呼ぶことまで咎められた。納得がいかない。が、そうしないと怒られるからと仕方なく一人称やらを矯正した。

 三つ年上の兄は、ランドセルが黒だった。だから僕もそれが普通と思っていたのに、いざランドセルを買う段階となって、初めて「赤を買います」といわれた。今と違って当時はランドセルといえば赤と黒で、女の子は赤、男の子は黒、学年に一人くらい紫とか、ちょっと変わった色のランドセルの子がいる、という感じだった。僕はどうしても黒がよくて、黒を買うと言い張ったが、五歳児のいうことなど聞いてもらえるはずもなく、僕は赤いランドセルを買い与えられた。

 そうして、僕は全く不本意ながら、赤いランドセルを背負って小学校に通うことになったのである。

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