31.僕が気持ち悪いと思うこと

 今回の話は、人によってはすごーく嫌な話だし、受け入れられないと思うし、めっちゃ叩かれる可能性もあるので、事前に忠告しておく。「そういう考え・感じ方の人も世の中には数%くらいは居るんだなあ」とおおらかに受け取る事が出来ない人、自分と違う考えの人を見ると攻撃したくなる人なんかは読まない方が良いよ。

 良いね? 大丈夫だね?

 では行こう。

 僕は昔っから、「みんなで同じ方向を向く」ということに嫌悪感がある。「みんなで一つのものを作り上げる」ことが嫌いで、「みんなであることに熱中し熱狂する」ことがすごーく苦手だ。

 例えば体育祭や学校祭。みんなで盛り上げよう、成功させよう、頑張ろうという流れが嫌いだ。

 例えば葬儀。みんなで個人を偲んで悲しんで泣いて、参列者が遺族にお悔やみを述べる、という空気が気持ち悪い。

 そして今まさに開催中のオリンピック。テレビが新聞の一面が軒並み「日本人選手が」「メダルラッシュで」と取り上げているのが酷く不快だ。

 みんなで力を合わせることは良いことだと思う。協調性を育むことは必要だ。だがしかし、「それが当たり前」で「みんながそう」して「それが正しいこと」みたいな風潮が非常に嫌なのである。

 個人を偲ぶことは勿論悪いことではない。でも「死」に対して過剰反応し過ぎではないかと思う。

 父方の祖父が亡くなったとき、僕は多少の喪失感はあったけれど、正直安堵していた。祖父はあんまり良い人だと思っていなかったし、長いこと闘病していたから、居なくなってほっとしたし、闘病の苦しみから解放されて良かったのではないかと思っていた。それなのに葬儀に参列した人々は口々に祖父を「良い人だった」といい、泣いたりしている。それが酷く気持ち悪かった。

 母方の祖父が亡くなったとき、原因の一端に煙草があって、僕は暫くその影響であんまり煙草を吸えなかった。でも父方の祖父の葬儀の空気感が嫌で、母方の祖父の葬儀は仮病を使って行かなかった程だ。母の実家に行く度にもう居ないのだと実感はするが、だから取り立てて悲しいとかは無い。

 オリンピックに限らず、スポーツ選手たちは大変な努力と才能の元に頑張っていて、とてもすごいことだし、各国の選手が参加する大会でメダルを獲ればそれは素晴らしいと思う。メダルが獲れなくてもその場所にまで至ったのは間違いなくその人が、周囲の人が頑張ったからで、それは良いと思う。しかし普段僕同様スポーツに興味のない人たちが、このとき「だけ」観戦したり、オリンピックに興味がないことを「普通じゃない」様にいったり、何もかもがオリンピック一色になることが不快なのだ。

 これは別にコロナは関係ない。オリンピックイヤーの度に感じることだ。勿論僕だって柔道の兄妹同日金メダルはすごいなあと思った。でも、だからってその兄妹のこれまでの軌跡とか、努力とか、正直どうでもいい。結果が全てということではなく、興味のないことをどれだけ頑張っている人が居ても、へえ、すごいね、で終わりという話だ。掘り下げられてもへえ、そう、で終わりという話だ。

 だからやめてくれ、という訳ではなくて、世の中には「コロナだから」でも「みんなと逆行したいから」でもなく、生来の性質として「オリンピックでみんなが盛り上がる」とかが嫌いだったり、「卒業式で泣いちゃう子」が全く理解出来なかったり、と、そういう人も居るのだと知って欲しい。

 そういう人を「変」だと思うかもしれないけど、まあ、居るよね、そういう人。くらいに捉えて欲しい、という話だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?