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私の夢(仮)

大学3年になってからの毎日は、自分と向き合わざるを得ない瞬間ばかりだった。

手探りの就活、今年からチームリーダーを務めることになった地域活性化活動、少し妥協した研究室配属、あっけなく終わった恋愛、やけになって始めたマッチングアプリ、自分を好きになるために始めたジム etc…

高校時代までに自分の内面に真剣に向き合ってこなかったツケが今になって回ってきたような半年だった。

正直しんどかった。

月1の頻度でかかってくる母親からの電話で現状を話すたび、”第三者目線でことを語る自分”と”感情を抑えて生活してきた当事者の自分”との乖離から、何度も涙を流した。

けどそんな日々が私の本当の感情を浮かび上がらせてくれたんだと今になって思う。



私には夢がある。

それは、
自分の心の動きを言語化し、感情・健康状態をコントロールできるようになることである。


私は昔から、自分の”ときめき”に鈍感だった。
自分が何をしたいのか、何が好きなのか、明確なものがなかった私はいつも年子の姉の真似をすることでやり過ごしていた。

習い事(ピアノ)に始まり、小学校の金管バンド、中学校の吹奏楽部、目指す高校までも姉と同じものを選んだ。

姉は自分の好きなものが一貫していて、それに対して従順だっから、私にとっては彼女が「正解」という思いが潜在的にあったのかもしれない。

姉は音楽と自然が好きで、小学生のころにはクラシックに傾倒して部活動にも合唱の伴奏にも夢中で取り組んでいた。NHKの「さわやか自然百景」とか「小さな旅」とかを楽しそうに見ている姿は、興味のない私からしたら何が面白いのかさっぱりだったけど、本人はそんな周りの目なんて気にしていないようだった。

ただ、そんな姉は私にとって、自分にはわからない感性を持ち合わせているのが憧れであり、妹として誇りであり、なんとなく羨ましい存在だった。

自己顕示欲がまあまあ強い私は、中学まで、自分を誇れる手段が成績で学年トップになることとか読書感想文や作文でちょっとした賞を取ることくらいしか能がなかったから、姉みたいな”ちょっと人とは違う”感性を持っている人がうらやましくて、私もそういう感性を身に着けたくて仕方がなかった。

でも、姉のペースについていくのも中学までが限界で、私は結局高校で理数科を選択することで姉とは別の世界で頑張ることにした。



ところが、高校時代もまた別の障壁にぶつかることになった。

誰もが”できる子”として進学してきた理数科で私の能は大した武器にはならなかった。

文章を書くことは好きだったけれど、もっと語彙力が豊富で文才に優れている同級生なんてごろごろいて、私のプライドはそこでへし折られた。

それがわかってからというものの、私の心の中は他人の能力への嫉妬心でドロドロで、私なんかここにいても勝ち目も、価値もない、そんな風に思っていた。
今振り返ると割とイタイ生徒だった。


そんな私は進学先として農学部を選んだ。


もともと食べることが好きで、実家でも農業をしていたことから、「食」が身近な存在だったこと。高校時代のキャンパスツアーでとある大学の農学部の説明会を受けたときに食の不可欠性に感銘を受けたこと。農学部の括りでも学問としてのフィールドが多岐にわたるという面白さに惹きつけられたこと。単に、同じクラスに農学部志望者がいなかったことにアイデンティティを見出そうとしたこと
・・・などなど 書きだそうとすれば色々理由はあるが、今の私が農学部に所属していることに求めている価値は、高校時代から今現在にわたって苦しめられている「食欲」について知るためにあった。


高校時代、理数科に所属する中で私の楽しみは食、ではなかった。
もはや無意識に忘れたがっている私の脳の僅かな記憶を拾い上げても、食が私にとって嗜好を提供してくれたことはなった。

というのも、私はストレスで胃腸をやられていたからである。

私の所属していたクラスでは主に理数系教科において、優秀な人が受けられる”上パート”と少し出来の悪い人が受ける”下パート”(少人数)と呼ばれる二分化授業が組まれていて、私は後者に所属しることになった。

それは私のプライドをなくすシステムだった。

下パートを担当する先生はみんな親身に指導をしてくれたけれど、成績はなかなか芳しい成果を残すことはできなくて、下剋上どころかさらに成績が悪化の一途をたどる毎日は私の精神をすり減らした。

さらに、理数科の鬼とされるベテランの先生からはっきりと”下パート”としての刻印を押されてのお説教(クラスの上パートの人に対して下パートに行かないように激励するもの)を聞く時間はすごく苦痛で、反抗心も何も持ち合わせてなかった私は先生の言葉を鵜呑みにして、あがこうとしては失敗した。部活動にも入らず、勉強しかしていないのにあれよあれよという間に成績が下降していくという現象に陥り、高校2年生のころにはお昼のお弁当は半分しか食べられないのが普通になっていた(※母には言えなくて残りは夜ご飯にしていた)。

毎食後の3錠の薬が手放せなくなった。

高校に入学して早々に自分の価値を見失った私は、諦めの境地でクラスメー
トとクラスに雑用係として貢献することを生きがいにし始めた。


しばらくして転機があった。

高校3年生になり、同じ”下パート”の同級生が授業のたびにトイレにこもるようになったのだ。

小柄な彼女は私より勉強に苦戦していた。

有機化学を覚えるにも、数学をやるにも、周りより1テンポ2テンポ遅れていた彼女は受験期に入り、授業で大事なパートに差し掛かるたびにトイレに駆けこむようになった。それを見て、私は心配より先に共感を抱かずにはいられなかった。

自分ばかり苦しんでいると思っていたから。

周りの人も似た苦しみを抱えているということに気づいてからというものの、「自分を救うために」「自分に似た境遇の人を救うために」
  食  という万人に必要でありながら、”嗜好”にも”凶器”にもなり得るモノについて心・身体の両面から学びたいと強く思った。




ここまで2500字近く書いて、自分でも何やらまとまりがない文章になってしまった()

けど、確信しているのは
自分を知れば自分をコントロールできるかもしれない、ということ。

PMSもPMDDもホルモンの影響なのだから、それに合わせて栄養だったり睡眠だったりをコントロールすることである程度は自分らしく過ごせる(と思う)。

いまの私は友達に精神衛生を頼りすぎているし、卒業後独り立ちするためにも、自分の心身の舵は自分でとらなくちゃね。


つらい過去も踏み台にすればいい。




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