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面白くない人間でも「お笑いが好き」って言っていいじゃないですか?

「そんなにお笑いが好きなら面白いこと言ってみてや(笑)」

それは合コンで知り合った関西人から言われた一言。

まるで“面白くないならお笑い好きって言うな”と言われているようでムカついて、でもそれ以上にそいつを見返してやるくらいの面白いことを咄嗟に言えなかった自分にも腹が立った、あれは去年の夏のことです。

私は“面白くない人がお笑いを語っちゃいけないみたいな風潮”が苦手でした。“お笑い好き=面白い”みたいな偏見が。私はよく一人でも劇場に足を運んで、その感想や好きな芸人さんのことなどをTwitterやInstagramなどで呟いているのですが、周りにお笑い好きと認知されすぎているとたまにこの風潮の嫌な部分にぶち当たります。「そう言ってるあなたは面白いの?」みたいな。

実際、私は面白くない人間だと思います。みんなの注目を集めて咄嗟にボケるようなメンタルも、あっと驚くようなツッコミができるくらいの頭脳も持ち合わせていない、人を笑わせたことなんてきっと数えるくらいしかない人間です。お笑いに関しての専門的な知識もありません。
もちろん大して面白くもない人が偉そうにペラペラとお笑いを語ることはプロの芸人さんにとって良い気がしないことも理解できます。たくさんネタを見ている人はボケやツッコミをたくさん知っている、だから面白いことも言えるはず、という安直な考えも。
それでも「お笑い好きなら面白いんだよね?」みたいな雰囲気を醸し出されると、面白くない自分をなんか否定されているようで、まるで“面白くないことが罪”みたいに感じ取れてしまってとても苦手でした。

でも最近、「お笑いが好き」ということにおいて、別に自分が面白い必要ってないんじゃないかな、って思っています。

だって自分はお笑いのプロではないし、将来お笑い芸人さんになる訳でもない。誰かに評価してもらうために好きになった訳でもないし、面白さを求められる場面もない。というかネタを見ただけで面白くなれる訳がない。世間の偏見に勝手に踊らされていただけで、もっと気楽に考えれば良かったんです。面白くない自分を責める必要なんてない。

そもそも「お笑い好き」であることと「面白い」ということは全然関係ないから。

私にとってはお笑いはただの世界一大切な趣味です。“ただお笑いが好き”という気持ち、“好きだからもっとみんなに知ってもらいたい”という気持ち、そんな想いが面白さよりも何十倍も重要なんじゃないかな、って思います。ネタを見るのが好き、笑うのが好き、劇場に行くのが好き。多分それだけで「お笑い好き」と公言するには十分だと思うんです。だから私はこれからも「お笑い好き」であることをどんどん公言していくし、面白いことが言えなくても私が感じたことをたくさん発信していきたい。

私と同じように「お笑い好き=面白い」という偏見を窮屈に感じている人がたくさんいると思います。

だから私は言いたいです。

好きという気持ちがあれば、面白くない人間でも「お笑いが好き」って言っていいんじゃないですか?って。


P.S. 霜降り明星さんに全然関係ない内容なんですけど、この二人の笑っている顔がめちゃくちゃ好きなんですよね。

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