見出し画像

1週間に50mtg後の違和感の正体


前置き

この生活=オンライン会議中心も早2年、、なんだか身体の疲労感がいつも抜けない2年でした。移動も出張もこれだけ減ったにも関わらずオンラインの方が疲労度は増しているこの感覚は、何か疲労とは違うものが悪さをしていそうです。
仕事柄、数えてみるとだいたい1週間で20~30,飛び込み系含むと50近くのオンラインmtgと称する何かを昼夜問わずやっています。
クライアントとの商談、プロジェクトの定例会、チーム会、上司とのコミュニケーション、業績確認、チームメンバーのケア、、正月休みなどにボーっとOutlookをながめていると、大そうな数をよくもまあこなしていると我ながら感心すらします。とはいえ、週に100mtgくらいやっている人もちらほら、逆にもっと少ないmtg数で高出力の人もいるでしょう。「今週は50mtgもやったのか~」と、”50mtg”が ベンチプレスの"××kg"の様に、数字が増えていくにつれ充実感を得てしまっている時すらあります。テストステロン(だったらいいのですが)ならぬ、仕事した感物質が脳内に分泌されているのでしょう。
昔少し嗜んだアメフトの事を思い返し、ベンチプレスの最大重量kgはすごいのに、試合では意外と活躍できない選手というのがたまにいましたが、その感覚に近いのかもしれません。mtgの数の割りに仕事の出力が出ていないという。

もはや紙と対面中心の生活は昭和の事だったか平成の事だったか、、かつて資料を印刷してクライアント先に訪問していた”紀元前”と比べ、格段にmtgの数は増えました。
ではその分、何か産み出すものは増えたのか?出力スピードも速くなったのか?紀元前後のmtg量の比較から言えば、答えはYESであって欲しいのですが、果たして…

いつも何かが足りない

職柄染みついてしまったのか、、日中常に頭の中では、「自ら発している事は“論理的”か」、「そこに“合理性”はあるか」、「やることなすこと全てそれは“効率的”か」、といった思考が暴れまわっています。脳内で暴れるだけ暴れて大した結論も出てない事も多く、皮肉にもそれらを追いかけ続ける“非効率な時間”を過ごす事が多い悲しい現実があります。
そしてオンライン生活になり、会議の与時間びっしりにアジェンダを詰め込み、秒針追うかの如く会議を進行し沈黙や間を殺し、何かを生み出さねばという強迫観念を負いながら過ごしている感すらあります。(実際にはそんなタイトな時間は流れておらず、あくまで自意識計測上の話)
オンラインmtgによって、五感のほとんどを不活性状態にしたコミュニケーションを強いられた我々は、そこはかとない不安をかき消すかのごとくより一層、論理、合理、効率に意識を向けて、この30分で結論を出そう、アクションアイテムを決めなければと、我々は妙に躍起になっています。
その時間を過ごした先に爽快な疲れの感は無く、何か濁った残留物が脳内に残り脳内CPUは熱をもってアイドリングし続け、嫌なだるさが残る日が増えていないでしょうか。

足りないのはおそらくやわらかいもの

私がmtgの回し下手、論理思考レベルが低い、といった私個人のスキルや何かを色々差し引いても、この精神衛生上不健康そうな感覚については別の説明が必要な気がしてならないと思いながら2年間を過ごしてきました。
”1週間に50mtg後の違和感”の正体は何なのか?
違和感を薄めてくれそうなものはなんとなくわかっていますが、鋭く”これだ!”と言えるものがありません。ただ、日々のコミュニケーションの中で本能的に渇望していそうなものを頑張って言葉にしてみると、“弛み”、“余白”、“無駄”、“遠回り”、、こんな感じになります。いずれもそれ自体は意味があるのかないのかわからないふわっと、やわらかいイメージのものが浮出してきます。一方、論理、合理、効率、結論、、といったテトリスぽい角々したオブジェクトのもので生活を敷き詰めてみると、スケジュール帳の整調感によるまやかしの充実感は得られるものの、脳みその弾力がどんどん削られていく鈍痛感も併せて残るのも確かな感覚です。

おそらく”雑談”は(字姿はテトリスぽいですが)いわゆる”やわらかいもの組”に入るのではないかと思います。
議論とか出てきた結論とか、そういったどこか固そうなもの同士をくっつけて、その時間過ごした事そのものが何か一つの動体として意味を成し、一人一人の脳内に棲みつく助けをしてくれるという感じがします。
豊かな雑談ができたmtgというのは、mtg後にTODOリストを見返さなくても、自然と脳内の引き出しが勝手に開いてくれる感じがします。

やわらかいものの相対価値は上がる気がする

共通目的への意識が弛緩し過ぎた会話や、雑談だけの会議は、ただの与太話になってしまうと思います。話す事、議論しようとする事は一体何のために、議論のために与えられた時間は、誰が、どうして、、といったいわゆるカチッと決めるべきものは決めておいた方が良いし準備も必要だと思います。仕事は時間という資源をどううまく使うかゲームであることを踏まえれば、一定の”かたさ”は必要になるとは思います。
しかし、リモート会議~オンライン生活がここまで浸透すると、効率性が重んじられる風潮はむしろ益々強まり、より”かたいもの優性主義”になりつつあるので、ここらでやわらかいものを流し込むべきだと思います。
オンライン、在宅勤務は、「いつでもどこでも働ける・柔軟な××」とか、通勤時間が減りワークとライフのバランスがとりやすいとかやわらかそうな言葉が表見します。ただ、現実は、移動時間60分に30分mtgを二つ入れられるじゃんと効率性と引き換えに、移動時間にぼーっとmtgの内容を反芻する中で思いつく着想や自省/学習機会を失っていると思います。

常に振り子の様に対極をそれぞれ経ながら良きバランスを見つける今その過程にあるのかもしれませんが、今このまま”かたすぎる日々”を過ごしていると、ひらめきも驚きも熱情も湧かず痩せた発想しか出てこない様なmtgが漫然と繰り返され、×eamsやZ××mは、人間の活力減滅装置になりそうな気がします。

雑談とも言わず、むしろ与太話でいいのかもしれません。
どうてもいいことを意味ありげに話せる、話題を多方角にスイッチできる、相手の関心を自分の関心にできるとか、意味のあり無し忘れて一旦相手の話に乗ってみるとか、自分の中に1分くらいの程よい小話セットを持っているとか、、。なんかどうでもよさそうなこの能力、一旦これを“雑談力”としておくと、雑談力こそ近い未来とても重宝されるのではないかと信じ、まずは相手に関心を持つ、から始めてみたいと思います。

そんな一冊。
雑談力上げるコツは、
・あまり考えない 見たもの気づいたものを口にする
・オチを意識しない 何の話だっけ?でちょうどよい
・一呼二応 ラリーする Yes No応答というのは失礼というか自分本位
・相手が主 自分を滅して話させ(自分からフックは作り)主導権は作る
・面倒であれば道具を使え 目につくもの 鉄板ネタ 
・雑談の質は高めた方がチャンスは増える 興味関心とその域外含め情報得ておく
・雑談をあえて軽んじろ 自意識もプライドも含蓄も不要 弱火で温かい程度で良い

英語力を図るTOEICの様な、雑談力検定の必要性を斎藤先生は真面目にうったえていらっしゃる様で、どんなテストになるのかな(実技?)と、とても興味があります。

3年後、職務経歴書に「雑談力」を書き足せるかどうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?